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1.日露戦争後 現代

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<ロシアと戦争がはじまる>

 なんだ、これは。少年は夕飯を終え宿題をとっととすましてしまおうと数学のノートを開くと、ロシアと戦争がはじまるとノートに殴り書きされていた。少年本人の字と違う字で……

 誰だよ、こんなイタズラしたのは。
 と、消しゴムを走らせた少年だったが、何度消しゴムをかけても字はビクともしない。

<イタズラするな!>

 字が消えないのにイライラした少年は、ノートに殴り書きする。

<君こそ、私のノートに何てことを>

 えー! どうなってるんだ。俺のノート! と少年は浮かび上がってきた文字に絶叫した。

「どうしたんだ? 健二?」

 絶叫した少年――健二を心配し、父親が部屋を訪ねて来る。

「少しビックリすることがあったんだけど、まあ何でもないよ。父さん」

 息を落ちつけ深呼吸を二度した後、健二は父親にそう告げる。彼の様子を見てひとまず安心したのか、父親は戻っていった。

 さて、どういうことだ。これは。もう一度書いてみよう。健二はそう考え再びノートに目をやる。

<ロシアと戦争とかそんな様子もないけど?>

<何を言ってるんだ! 日本とロシアの対立は決定的で、もう後戻りはできんぞ>

 意味がわからない! 何を書いてんだこの人は。健二は心の中で叫ぶ。

<ロシアと揉め事? 北方領土かよ>

 呆れた、北方領土で戦争? この人大丈夫かよ。

<北方領土? どこだそこは。朝鮮の問題に決まってるだろう>

 はて、朝鮮とな。北朝鮮の核か? ロシアがなんで出てくるのー。なんかさらに文字が。

<先の日清戦争で清は朝鮮から手を引いたのだが、朝鮮王朝はロシアを抱き込もうとしている。朝鮮半島は日本の防衛線に必須なのだ。譲るわけにはいかない>

 日清とか。何言ってるのこの人。んで、ロシアと戦争かよ。
 健二はスマートフォンで日清戦争を検索した後、日露戦争のことを調べた。
 えーと、日露戦争は1904年2月8日から起こった戦争か。百年ほど前のことになるのかー。案外最近じゃないか。
 せっかく調べたことだし、誰だかわからないけど、書いてやるか。

<日露戦争、1904年2月8日から1905年9月5日まで。ポーツマス条約にて講和。戦争推移は――――>

 推移まで詳しく書いてあげた健二は、書ききった心地よい疲労感に満足していた。
 健二が長々と書いてる間、あちらさんは終始無言であった。最後に以上と書くと反応があった。

<君は、何者なんだ。本日は二月五日。君が言うことが本当なら、あと三日でロシアと戦争がはじまるのか……>

 その言葉を最後に確認すると、健二はノートを閉じた。

「健二ー。まだ勉強か?」

 扉の外から父親の声。日露戦争の筆記でずいぶん時間を取られ、父親と約束の時間を大幅に過ぎている。父親はいいんだが、妹がうるさいんだよな。

「あー、今いくよ」

「お、そうかそうか。先にログインして蜜柑と一緒に待ってるぞ。今日も猿を狩りまくるぞ」

 健二の家族は父子家庭で家族の三人とも割にゲーム好きだった。今健二ら三人で、ドラゴンバスターオンラインというゲームに熱中しているのだ。


 健二自身この日あったノートのことはすっかり忘れていたのだか、四日後の数学の授業時に事件は起こる。
 教師が黒板に書く内容をぼーっと板書していた健二だったが、ノートに字が浮き出てきて悲鳴を上げそうになる。ついでに、眠気もすべて吹き飛んだ。

<君は、君は一体何者なんだ……君の言った通り、全くズレることなく戦争が推移している……>

 またか! この人の妄想はすごいな。一度付き合ったから無視するわけにもいかないな。

<はは、俺は予言者なんだ>

<予言者……今ならその言葉を信じられる。この先日本はどうなるのだ?>

 希望をもたせて妄想を書いてもいいけど、俺は予言者だからな。正確に書かねばならぬだろう。
 健二は予言者気取りで調子に乗って続く言葉を書く。

<最後は世界と戦争して、大量の犠牲者を出し、無条件降伏する。その後平和になる>

<……なんということだ。予言者殿、どうにかならんのか?>

 食いつき過ぎだろ! どうしたらいいかって言われても歴史の事実だから、どうしようもないだろ。
 ひょっとしてこの人、架空戦記好きなのか、よくある「もし、日本がこうしていたら世界はこうなった」ってやつだ。
 こういうの父さん好きだったな。

<俺は予言者だからな。賢者に聞いてみよう。夜まで待たれよ>

 健二は父親を勝手に賢者(笑)として紹介してしまった。予言者プレイにも何気にノリノリである。

 その夜、夕食時に健二は父親にノートを見せ、どうするか相談した。
 父親は最初驚きで目を見開いていたが、この不思議現象に乗っかってくれることになったのだ。
 ただ、字を書くのは健二がやるということになった。

 父親の案は、朝鮮や満州などに投資しても結局無駄に終わり、肝心の日本国内が微妙になる。
 それならいっそ日本国内に投資を絞り、他は売っぱらってしまえば、日露戦争の借金も無くなって一石二鳥じゃないのかというものだった。そもそも、日本は島国で海洋国家たるべきだとも。

 最終目標は太平洋戦争の回避。アメリカと戦争しても勝てるわけがないだろということだ。
 健二も確かにそう思う。アメリカと戦争し、勝てたとしても被害は甚大なものになるだろう、建物は立て直せばいいが、人命はそうはいかない。
 戦争回避が最終目標。平和でいいじゃないか。

 健二は父に隣に座ってもらってノートに筆記を始める。
 
<賢者に案を聞いてきたぞ>

<予言者よ、待っていた。あれから数日経つので、もうノートを書かれないのかと思ったぞ>

 彼の中では数日経っていたらしい。

<日露戦争後の講和会議であるポーツマス条約より、日本の将来を変えていく。講和では、満州利権、朝鮮、南樺太を譲渡される。満州と朝鮮は列強に高く売り払え。その金で、国内投資を行うべし>

<日本は朝鮮を取るためにロシアと戦争したのだぞ。それを放棄するとは>

<アメリカやイギリスなどが朝鮮・満州に入ればロシア・清とことを構えることはない。中国大陸については不干渉を貫き、朝鮮・満州と貿易すればよい。購入するであろう国は本国が遠いので、きっと日本のよい貿易相手になるはずだ>

<そうは言うが予言者殿。その案は日本の国体を反対向きにするものだ……>

ここまで筆記した時、父親が健二に助言をしてくれる。

「健二、日本が何故ロシアと戦争をしたのか分かるか?」

「ん。確かロシアが満州や朝鮮にまで勢力圏を広げたんだよね」

「ああ。そうなんだが」

 父は健二に分かりやすく当時の状況を教授してくれる。日本海に突き出た朝鮮半島を抑えることは、日本の防衛に欠かせないもので、ここを抑えられると日本は首根っこを掴まれた状況に陥る。
 日本は日清戦争で、清へ朝鮮の冊封――朝鮮の宗主国みたいなもの――を断念させ、朝鮮を独立国とさせた。ところがどっこい、朝鮮の王族とロシアが結びつきを強めてしまった。さらに満州の支配権をロシアが収めつつあり、朝鮮半島の西にある遼東半島の先端をも支配下に収めつつあったのだ。
 これに危機感を抱く日本であったが、相手は強大なロシア帝国……なんとか彼らと融和しようと外交交渉を続けるも、ロシアは自らの巨大さから尊大な態度を取り続けついには戦争となった。

 こうして始まったのが日露戦争だ。戦争目的である朝鮮半島・遼東半島・満州を放棄するなど、当時の日本からすればもってのほかだろう。

「ありがとう父さん。だいたい理解したよ。確かに日本にとって受け入れづらいね」

健二は父に礼を言うが、彼は思案する顔を崩さない。

「健二。こう言えばどうだ。1917年ロシア革命が起こる。それによってポーツマス以後のロシアとの良好な関係は全て破たんすると」

「なるほど。父さん。書いてみるよ」

 先日健二はノートの人物へ日本の戦後までざっくりと説明はしたが、革命のことなど説明はしていなかったことを思い出す。
 確か史実では……日本とロシア帝国はポーツマス条約締結後はお互いの勢力圏が安定し、比較的良好な関係を築いていたはず。それが、ロシア革命でロシア帝国が崩壊すると、これまでの関係性は全て水の泡となった。

 戦後になるまで、ロシア帝国の後継国家――ソ連とは良い関係になることは無かった。なるほど。説得材料としては良いかもしれない。中国大陸だって共産党と国民党やら軍閥やらでずっと不安定なんだよなあ。
 一見すると魅力的な中国だが……日本があれこれするには広すぎるし、島国に大陸は水が合わないのだと健二は思う。

<ロシア帝国は1917年……十二年後に革命が起こる。それによってロシア帝国との関係性は霧散するぞ>

<……何だって! 真実か? 予言者殿>

<ああ。中国大陸も動乱を迎える。清が崩壊し各地に軍閥が群雄割拠するのだ>

<中国大陸も動乱の時代になるのか……>

<そして朝鮮だが、インフラが全くない不毛の土地だ。かの土地を使えるようにする為には莫大な費用が掛かる>

 史実の朝鮮半島は日本が五十年近く莫大な資金を投入したが、利益があがるまで成長しなかった……そこを父が指摘していたことを健二は思い出す。お金はかかるし、今後の歴史でもあの地域に外敵が来るという動きは無い……ならばいっそというわけだ。

<それでは防衛はどうなるのだ?>

<賢者が試算したことだが、朝鮮半島が収益をあげるには五十年でも不可能だ。これを念頭に置いてくれ。インフラを全く開発しないか、赤字を垂れ流して投資をするかの二択になる>

<賢者殿の試算……それはさぞ正確なのだろうな>

<朝鮮半島の済州島は残し、防衛線に。現地人は後の憂いを無くすため、朝鮮に送還すべし。樺太はロシアと接するので、いつか北樺太を取れる機会があればよいな>

<大陸志向を捨て、海洋立国として立とうというのだな。賢者殿は。済州島も現地人を労役させるのではなく、無人にするほうが憂いはないということか>

<そうなんだ。だから、満州・遼東半島・朝鮮半島の利権は売り払う。戦争の借金を返せるほどにはならないだろうけど、大きな足しになるだろう>

<予言者殿、賢者殿がそう言うなら信じてみよう。しかし、領土を売るか。利を取るに逆転の発想だな。面白い。やって見せようじゃないか!>

 ちょうどここで、ノートを使い切った。彼の妄想に付き合うのもここまでだな。
 父親の話、この人の話、初めはビックリしたけどなかなか楽しめたなー。
 健二は一息つくと父に礼を言おうと彼を見るが、彼は目を見開いたまま微動だにしない。
 
「父さん!」

 健二は父の名を呼ぶも、彼が答えることは無かった……
 健二は血の気が引き、父の肩を揺するが彼からの反応が一切なかった。そこで健二は意を決し、彼の心臓に手を当てる……心臓は問題無く動いている。呼吸もしている。しかし、意識が無く体が固まったまま動かない……

 どういう現象なんだ。これは!
 
「父さん! 父さん! しっかりしてくれ!」

 健二は再び呼びかけるも、父からの反応は返ってこない。
 病院に電話すべきか迷う健二であったが、呼吸と心音は正常なので暫く様子を見ることにした。妹の茜がもうすぐ帰宅する時間だから、彼女が帰ったら相談しようと健二は考える。
 
 わたわたと何をしていいのか混乱した健二は何故かお湯を沸かし、父と自分のお茶をいれ父のいるテーブルに運ぶ。その時……
 
「う。健二。どうした?」

 父が突然元に戻る!
 
「父さん! 突然止まっちゃったから心配したんだよ」

「そうなのか? 俺はどれくらい止まってたんだ?」

 父は訝し気に健二に問う。

「んー。十分くらいじゃないかな。全く身動きしなくなったんだよ」

「ううむ。不思議な現象だな。まるで俺だけ時をすっ飛ばしたみたいだ」

 父が言うには止まっていた間の記憶は無く、気を失っていた体感もないそうだ。ノートを書き終えたのを確認して、健二に話しかけようとしたら彼がお茶をいれていたからビックリしたとのこと。

「すごく奇妙な現象だねえ」

「ああ。そうだなー」

 二人は不思議に思ったものの元来余り気にする性格ではないのか、そのまま就寝したのだった。この現象がノートの先にいた過去の日本の歴史を揺るがしたことを、彼らはまだ知らない。
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