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73.1941年頃 とある国の密室 過去

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――某国 某所 密室 過去
 痩せた長身の男は自身を見張る者がいないことに細心の注意を払い、とある場所へ向かっている。彼の機密を護る為に彼の部下も彼を監視する者がいないか遠巻きに見守っている。
 寂れた酒場に入った男は、裏手にある扉を開けると地下へと足を運ぶ。地下は天井が低く、男の身長では頭が天井につくほどだった。
 
 狭い地下室にはテーブルと椅子が二脚。すでに男が一人座しており、軽く手をあげる。
 
「同志チョルーヌイ。久しいな」

「同志ピエールイ。お久ぶりです」

 二人の名前はもちろん本名ではない。チョールヌイはロシア語で黒。ピエールイは同じくロシア語で白という意味になる。二人は無表情のまま会話を続ける。
 
「指導部はあせっているようだな……」

「そのとおりです。同志」

 痩せた長身の男――ピエールイは同じ協力者であるチェールヌイに指導部の様子を説明しはじめる。
 指導部の思惑は独仏戦争中にポーランドを陥落させ、オーストリア連邦のガリツィア州を手に入れる予定だったという。ロシア公国は元指導部の者が幾人もおりアメリカの参戦も考慮するとオーストリア連邦とドイツより与しがたいと判断したようだ。
 しかし、これまで完璧とも言えた指導部の判断にもほつれが見え始めているとピエールイは主張する。
 独仏の余りに早い講和に加え、トンキンの共産党勢力の暴走で指導部内で意見が分かれているという。意見がまとまらないうちに今度は中華ソビエト共和国が勝手に戦争を始めてしまった。
 モンゴルも中華ソビエト共和国へ協力しそうだとの情報もある……
 
「ふむ。指導部はロシア公国への亡命を恐れ大粛清を断念した。その為、作戦遂行能力は上がったが……」

「そうです。我々のような存在が生き残ったわけです。同志」

 指導部はソ連に対抗しうる国家の分析へ躍起になっている。指導部の評価で最も大きな軍事力と国力を持つ国はアメリカで、アメリカとの正面衝突は避けたいとの意向がある。その為アメリカが参戦するロシア公国への侵攻には二の足を踏んでいるのだ。
 チョルーヌイの考えだとアメリカは陸海空全て強大ではあると認めているが、ソ連と戦争を行うには海上輸送を行う必要があり、こと防衛線となればアメリカより警戒する国があるのではと思っている。
 陸軍同士の戦争となると、イギリスの方が脅威ではないかと彼は考える。世界各国に巨大な植民地を持つイギリスの人的資源は強大で人員輸送能力も他の追随を許さない。ただ、イギリスは全戦力を使い戦争を行使することはしないだろうとも彼は見ている。
 イギリス本国が爆撃されるのならば話は別だが、中国大陸で紛争が起こったからといって軍は差し向けるがある程度損害がでるとイギリスは必ず引く。
 むしろ日独墺連合軍が現状一番の脅威ではないか? 独墺は再軍備したばかりで練度がそれほど高くないと先の戦いで彼は感じたが、先の戦いを経験し練度もあがり軍の規模も戦争に備え拡大している。日本は陸軍での支援を独墺に行使しないものの、日本の海軍は脅威で彼らに海での戦いを挑んだ場合ソ連では勝ち目は無いだろう。
 
 結果、海に面している東プロイセンで日独連合軍と戦うことはソ連にとって困難じゃないだろうか。まあ、決めるのは指導部だ。指導部が焦ってくれればそれだけ我々にとって望ましいのだが……

「同志チョルーヌイ、引き続き指導部での情報収集を頼む」

「了解いたしました」

――数日後 某所密室にて
 先日と違う場所になるが、同じような密室で二人はまた密談を行っていた。

「同志ピエールイ。ソ連指導部は暴走したベトナム社会主義共和国を黙認いたします」

「同志チョルーヌイ。そうせざるを得ないだろう」

「東プロイセンは日独軍の猛威に晒されております。しかしながら私の得た情報からしますと日独の空爆が甘いと聞いております」

「民主主義政権の弱点だな。世論を気にして徹底できない」

 ピエールイの言う事にチョルーヌイも同意する。つい最近まで自国領土だった東プロイセンの沿岸部諸都市を空爆することに抵抗があるのだろう。軍事基地や軍隊には容赦なく空爆を行ってくるが、市街地に逃げ込めばやり過ごすことが出来る。
 恐らく指導部は内陸部に拠点を移すだろう。少なくとも沿岸部では勝ち目がないから。いや、そのまま東プロイセンを放棄するかもしれないな。

「ルーマニアはオーストリア連邦の支援を受けた国王派が動いておりますが、共産党政府側の優位は動かないでしょう」

「ふむ。黒衛軍を排除したとはいえ、元政府側は市民の支持を得ていないということか」

「その通りです」

 オーストリア連邦の直接介入がない限り、ルーマニアは落ちることはないだろうとチョルーヌイは見ている。ルーマニアがトランシルバニア州を狙う限り、オーストリア連邦はルーマニア国王派へに一層の支援を行うことは難しいだろう。
 
「中華ソビエト共和国は順調に侵攻しておりますが、イギリスの介入がありそうです」

「イギリスが介入すると、戦線が|膠着__こうちゃく__#しそうだな。インドシナはどうなっている?」

「はい。フランス領インドシナの民族主義者の共産党への取り込みを指導部は進めています」

 フランス領インドシナはフランス軍が各地の民族主義者の蜂起を鎮圧していっているが、ベトナム社会主義共和国については手を出せていない。目下、ベトナム社会主義共和国以外の地域でせめぎあいが行われている。

「同志チョルーヌイ。決行は近そうだな。指導部は硬直してきている」

「はい。同志。引き続き監視を行います」

 ピエールイらの判断を待たねばならないが、我々が決起するならばどちらが最善か。東か西か……その判断を待つことにしよう……。チョルーヌイは静かに密室から退出すると、今後の展開に思いを馳せる。
 チョルーヌイは現共産党指導部を快く思っていなかった。指導者は前指導者に比べ頑迷で嫉妬深く、粛清が大好きな男だ。指導部がまだ優秀だからこそソ連はまだ保てているが、前指導者の頃からの凋落は明らかになってきている。
 いつまでもソ連一国だけでは国は立ち行かないことは誰にだって分かることではないのか? チョルーヌイは憤り、拳をギュっと握りしめる。
 しかし、彼には分からない。ソ連が他の大国と同盟すれば立ち行くのか? それとも、力を見せることで成り立つのか。彼に出来ることは情報を伝えることだけだ。しかし、彼は信じている……共産党こそが至高の党であり、優秀な指導部が指導するソ連こそが最も素晴らしい国なのだと。
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