徒花の先に

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第三十七話 幸せな夢①

「おにいちゃんまだかなぁ」
 椅子を窓のそばに置いて膝立ちになり、外を覗き込む。ここからだと訓練所から帰って来る兄が見えるはずだった。だが一向に姿は見えない。
 毎日毎日、兄は剣の稽古に励む。
 少し前まではいつも僕の部屋へ訪れて遊んでくれたのに今じゃあ稽古のせいで会う機会さえもめっきり減ってしまった。
 身体が弱く、僕は外に出ることを禁じられている。僕にとっての世界はこの部屋だけだ。
 今日こそは来てくれると思っていた。
 しかしもう陽は沈みかけている。そして変わらない風景。
「もう騎士なんて大嫌いだ!」
 兄が執務と稽古とで忙しいのはよく分かっていたがそう叫ばずにはいられなかった。
 兄は将来皇帝として、そして軍を導く騎士になるために頑張っている。
 寝る前には必ず兄に騎士の物語をせがむくらいには騎士に憧れを抱いていたはずなのに今は兄との時間を奪った騎士という存在が嫌いになってしまった。
 父も政務に忙しくて僕のところへは滅多に来ない。
 朝から晩まで一人だけ。その繰り返し。
「っひぐ……おにいちゃん……」
 遂には蹲り、涙がボロボロと溢れてきた。
 寂しくないはずがなかった。医者からは感情の高ぶりによって魔力量も変化するから心は穏やかに保つよう言われていたが、こんな状況でそんなの無理な話だった。
「ひぐっ、ぐす……うっ──!」
 案の定胸がズキズキと痛みだし、ぎゅっと手で胸を押さえ込む。
「っひぐ、ひくっ……おにいちゃん」
 胸が痛むのは泣いてるせいだというのは理解していたが、涙は止まらず更に溢れてくる。いつもは僕が体調を崩すとそばにいてくれるのに今は一人きりだという現状にますます兄を求めてしまう。
 頭もぼやっと霞がかかったようで体もなんだか熱かった。
「っひぐ、ぐす…………」
 本当は医者を呼んだ方がいいのだが、僕の頭にはある考えが浮かんでいた。
 きっと待つだけでは兄とは会えないままだろう。なら──。
「ぐすっ、もういい。ならこっちから会いに行ってやる!!」
 早速頬を伝う涙を拭いて、扉を開ける。
 キョロキョロと顔を出して廊下に人がいないことを確認して部屋を出た。
 訓練所自体の場所は兄から話を聞いていたから知っていた。後はそこに向かうだけだ。
 途中途中、使用人と出会しそうになったが彫像の影に身を潜めるなどして上手く難を逃れた。
 そして宮殿を出るまで後少しというところでまた人が現れた。あの身なり、おそらく父のもとへ訪れた貴族だろう。ひょいっと見つからないように身を廊下の角に引っ込める。
 見つからないように息を潜めていると二人の立ち話が自然と耳に入ってきた。
「──アラン殿下のお噂は聞いております。国政の流れを掴む優れた才をお持ちで助言をおっしゃる度に陛下も感心しておられるとか。それに芸術や音楽、語学にも造詣が深いようで。国を担う未来の皇帝として申し分ない御方ですな。今は剣の稽古も始められたとか。お噂は聞きませんが、そちらはどうなのでしょう?」
「さぁどうでしょうな。しかし代々皇族の方々は皆武芸に優れておりました。きっとアラン殿下も素晴らしき剣の才をお持ちでしょう」
 どうやら話題は兄のことらしい。
 兄が褒められていることに自分のことのように嬉しくなる。
 そうだ! おにいちゃんはとっても頭が良くて、優しくてかっこいいんだぞ!
 兄の素晴らしさを語るため僕も彼らの輪に混ざりたかったが見つかってしまってはいけないのでぐっと堪える。
「まさに非の打ち所がありませんな、しかし弟君はその……」
「言いたいことは分かります。お身体も常に医者の目がない程に弱く、医者曰くいつ危篤になられてもおかしくないだとか」
「皇族相手にあまりこういうことを言うのは憚れるのですが、その……アラン殿下に何かありましても第二皇子として備えにはならないかと」
 ドクンと心臓が大きく鳴り、痛みが走る。
「確かに。もしこの先も無事ご存命で万が一にでも皇帝になられてもあのご調子では国政も混乱するでしょうし、正直言って我々には邪魔でしかありませんな」
 彼らの言うこともよく理解できた。だって僕は体も弱くてまともに机に向かって勉学に励むことも出来ない。国のために何も出来ない、部屋に閉じこもっているだけの役立たずだ。
 胸の痛みが増して、手で押さえ込みながらずるずると壁を背が滑って床に座り込む。
「陛下は妃を迎える気はないのでしょうか。お相手はたくさんいるでしょうに」
「今は亡き国母、グィネヴィア陛下を陛下は深く愛していましたから。日が経っても未だ悲しみは癒えないご様子。新しき妃を迎えるのは難しいでしょうな」
「しかしこのままでは帝国の未来を盤石なものにすることは叶わなくなりま──」
「こんなところで何の話をされているのですか?」
 ふと会話に誰かが入り込む。
 新たな声の主に胸を押さえながらも覗き込む。
 見ると話していた貴族二人の顔が青ざめ硬直していた。
 慄いたように二人が後退り、間に入った人間の顔が明らかになる。
「……アラン殿下」
 おにいちゃんだ!
 嬉しさに胸の痛みが一気に和らぐ。
 久しぶりに顔を見て興奮する僕とは反対に兄は冷たく鋭い視線を彼らに向ける。
「……殿下いつからそこに?」
「君たちが私の大切な弟をまるで物のように帝国の備えとしては不足だと罵ったところからだ」
 一層二人の顔が真っ青に染まる。
「で、殿下、それは誤解です! イライアス殿下を罵るなど私はっ──」
「言い訳は無用だ。貴様らが弟を邪魔だと言ったのははっきり耳にしていた。これはれっきとした皇族侮辱罪だ」
 それを聞いて恐怖に体を震わせながら二人が慌てて土下座をする。
「も、ももも申し訳ございません! 愚かな私をどうかお許しください! もう二度とこのような真似はしないと命を懸けて誓います!」
「わ、私もどのような罰も受ける所存ですのでどうか極刑だけはご勘弁をっっ!!」
 こんなに怒った兄を見るのは初めてだった。彼らを見下す氷のように凍てついた瞳。
 僕のために言ってくれているのだと思うと嬉しかったが、兄のその怒りように怖くもあった。
 兄は許してくれと叫ぶ二人に何を言うこともなかった。ただ静かに携えていた剣を抜こうと柄を握る。
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