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しおりを挟む第一章 ドM王子との出会い
カタカタカタ――と馬車が近づいてくる音に、アデルの耳がぴくっと動いた。ほぼ同時に読んでいた本を閉じて机の上に置くと、素早い動きで開けっ放しにしていた窓へ近づく。
カーテンの隙間から窺った外には、思った通り派手な装飾を施した馬車が走っていた。
(うへぇ、今度は馬にまで帽子を被せているわ)
馬は見るからに重そうな箱を引かされている上に、珍妙な帽子まで着けさせられている。おそらく、あのトンガリ帽は他国で流行しているものだろうが、可哀そうに。
アデルは呆れた表情を顔に貼り付けたまま反対側の窓へ向かい、カーテンを縛って作ったロープを垂らした。
「よっ……と!」
しっかりと布ロープを掴み、窓枠を越えると、身軽な動きで自宅の裏庭へ降り立つ。
「ごきげんよう! ニコラスが参りましたよ」
そんな声が表玄関から聞こえてくるのを聞きつつ、裏門から屋敷を抜け出した。
(まったく、しつこいったら! お父様もお母様も、あのダサい脳筋商人に嫁げだなんて、どうかしているわ)
アデルはラングポート王国の由緒ある伯爵家プランケット家の娘である。
代々治めてきた領地が海に面していることもあって、プランケット伯爵家は昔から外交、特に貿易の面で王国の経済を支えていた。ここ最近は運輸業に力を入れていて、特に最先端の技術を取り入れた造船業に出資している。
そんなプランケット家の現当主の一人娘であるアデルは、すでにこの国の娘の結婚適齢期である十八歳になっていた。
けれどまだ許婚が決まっておらず、両親は娘の嫁き遅れを心配しているらしい。今のところ彼らが娘の相手にと考えているのが、プランケット家と関わりの深い商会の後継ぎたちだ。その中でも、ここ数年で急成長を遂げたサリンジャー商会の息子、ニコラス・サリンジャーが最有力候補とされている。
(あの人、プランケット家が持っている貿易権が欲しいだけなのが見え見えなのよね)
アデルは町に向かって歩きながら、顰めっ面をした。
商人であるサリンジャー家に爵位はないが、彼らは今やプランケット領で一番の利益を上げる商会を営んでいる。それは、プランケット家が出資する貿易・運輸業にも利をもたらしていた。
つまり、プランケット家にとって、彼らと繋がりを持つことは理に適っている。
しかし、アデルはニコラスとの結婚に乗り気にはなれない。彼女には、二人の婚姻で得をするのはサリンジャー側ばかりだと思える。
伯爵の一人娘の彼女を娶れば、ニコラスは爵位を手に入れるのだ。それによって彼は、プランケット家の貿易権を掌握し、ますます利益を上げて確実に権力を強めるのだろう。
それに……
「あ! アデル姉ちゃんだ! アデル姉ちゃーん!」
アデルが城下町の端にある広場を通りがかったところで、一人の少年が彼女に気づき、手を振って叫んだ。
「こら、アデル様ってお呼びしなさい!」
「いいの。私のことは好きに呼んで」
少年と彼を叱る母親のほうへ向かいつつ、アデルは微笑む。
「ほら、アデル姉ちゃんがいいって言ってるもん。それより、アデル姉ちゃん。またあのダサリンジャーのニコラスから逃げてんのか?」
「そうなの。あの人、しつこくプランケットの屋敷を訪ねてくるのよ。本当、嫌になっちゃう」
はぁっと盛大なため息とともに答えると、少年は「ハハッ」と大きな声で笑った。そんな息子の態度を、彼の母親が目を吊り上げて叱る。
「サリンジャー商会のニコラス様、でしょ!」
「いてっ!」
ニコラスを「ダサリンジャー」と呼んだ少年が母親に小突かれるのを見ながら、アデルは声を出して笑った。
「あははっ! そんなに怒らないであげて。『ダサリンジャー』というのは間違っていないわよ。今日は変な縞々模様のトンガリ帽子を馬に被せていたわ」
「馬にトンガリ帽子? 変なの」
アデルの話を聞いて、少年が眉根を寄せる。彼の母親も息子の隣で首を傾げた。
そう、少年が言う通り、ニコラスは一言で言うと「ダサい男」である。
商会の仕事で外国を回り、各国の流行に敏感な彼の商売センスは素晴らしい。彼の輸入した品がラングポート王国で次々と流行り、売れていることがそれを証明している。
だが、彼自身はとにかくダサい。
原因は、各国の流行りを闇雲に取り入れてしまうことだ。
単品で見れば素敵なデザインでも、ごちゃ交ぜでは魅力半減――それどころか、それぞれの主張が強すぎて、まったく個々の良さがわからなくなる。東西南北、様々な国からの取り寄せ品見本市のようなニコラスのファッションは、とにかくいただけなかった。
(ヒョウ柄のスラックスにシマウマ柄のシャツで、キツネのファーを羽織っていたこともあったわね)
いつかの動物系ファッションを思い出し、アデルはため息をつく。
統一感など皆無だった奇抜なその組み合わせに比べれば、今日の馬に帽子を被せた程度のファッションはまだ良いほうだった。
「でも、貴族様たちの間では流行るのではないでしょうか? 馬に帽子を被せるなんて、斬新な発想ですよね」
「そう? またどこかの国で流行していたからやっているだけでしょう。なんでもかんでも真似すればいいってものではないわ。動物に帽子を被せるくらい、ニコラスがやらなくてもそのうち誰かがやったと思うし」
少年の母親が感心したように言うのを聞いて、アデルはフンッと鼻を鳴らした。すると、「その〝誰か〟になるのが難しいんですよ」と彼女が苦笑する。
「それに、その縞々のトンガリ帽とやらも、どこかの国の有名な帽子屋から輸入しているのではありませんか?」
「帽子屋が有名なのかどうかは知らないけれど、確かに目立ちたがり屋の貴族たちがこぞって買いそうなデザインだったわ」
名のある店から買い付けた商品というだけで、貴族たちは必ず食いつく。そうでなければ、社交界で馬鹿にされるからだ。
最新のファッションや話題の店を把握するのは紳士淑女の嗜み。パーティに前回と同じ装いで行くなんて、もっての外。
ニコラスはそういう貴族社会の〝仕組み〟をしっかり理解している。
元々、陽気な性格で誰にでも親しげな話し方をする男だから、人の懐に入り込むのが得意なのかもしれない。
彼は貴族相手にも物怖じせず、積極的に彼らの邸宅を訪問し、営業活動をしているようだ。
いや……勝手にアデルの婚約者になったつもりでいるくらい図々しい彼のことなので、誰彼構わず声をかけているだけに違いない。
「それにしたって、あんなにダサい男が輸入する品物が片っ端から売れるなんて、奇妙な話よね」
「アデル様……」
仮にも婚約者候補に「ダサい」と連呼するアデルに、少年の母は困り顔になる。
「偉い人を脅してそうだよな! あのムッキムキの筋肉でさ!」
一方の少年は、アデルと意見が合う。彼は両腕を上げ、肩の高さで肘を曲げて力こぶを作ってみせる。
少年の言う通り、なぜかニコラスは異常なほどマッチョだった。それも、年々、逞しくなっているようだ。
肩幅が広く、腕も太い。下半身もかなり鍛えているらしく、どこかの国で流行りの細身のズボンを穿いていたときは、布が破けそうだった。
さらに、鍛えた身体を見せびらかしたくて仕方がないと言わんばかりの彼の服装や態度は、見た目以上にむさ苦しい。
「そうね。鍛えているのも、いつもシャツのボタンが半分開いているのも、そのためかもしれないわ。ひょろひょろの当主やその息子たちには、筋肉を見せるだけで十分脅しになりそうだし、買うのを渋ったら壁にドーンって穴を開けて見せればいいもの」
アデルは握り拳を前に出し、壁を突き破る真似をする。
貴族の貧弱さに加え、すぐにお金で解決しようとする性質も利用されているに違いない。
「さすがにそこまでしたら問題になると思いますよ。でも、アデル様は強い男性と結婚したいのでしょう? それなら、ニコラス様はぴったりではありませんか」
「うへぇ! やめてよ」
少年の母親が苦笑しつつニコラスを婿にすすめてくるので、アデルは思わず令嬢らしからぬ呻き声を出した。
確かに常々「自分より弱い男は嫌だ」と宣言している。しかし、だからと言って選択肢があのムキムキダサリンジャーのみなのは心外だ。
「なぁなぁ、それよりさ。アデル姉ちゃんはしばらく家に帰れないんだろ? チェスを教えてくれよ!」
アデルが片手を額に当てて唸っていると、少年がもう片方の手を引っ張った。
「こら、あんたはまた! アデル様はね――」
「それくらいならお安い御用よ。それじゃ、学校へ行きましょう」
「あっ、アデル様! お待ちください!」
少年の手を取って歩き出したアデルを、彼の母親が止めようとする。
「大丈夫よ。お父様もお母様も、このくらいのことで怒ったりしないわ。それに、私は屋敷に籠もってお茶会を開くより、こうして街を歩いたり、皆と遊んだりするほうが好きなの」
毎日のように開催されるお茶会で、お洒落や恋愛の話をするだけなんてつまらない。
貴族令嬢として育てられる中、アデルは早々に淑女の嗜みとやらに飽きてしまった。
それで、こっそり――今や堂々と屋敷を抜け出し、城下町でいろいろな人々と交流しているのだ。時間があれば町を散策し、子供たちと遊んだりお年寄りの手伝いをしたり、悠々自適な生活を送っている。
貴族社会という狭い世界で生きるより、そのほうが刺激的で楽しいと感じていた。
つまり、アデルはいわゆる「お転婆娘」。貴族の間では、庶民との交流が好きな変わり者として扱われているようだった。
だから、婚約者候補がニコラスしかいない……とも考えられる。
彼女が強気な性格であることも相まって、変わり者を嫁にしたいという気概のある貴族子息が現れない。
とはいえ彼女は、今さら猫を被って淑女らしくする気もなかった。周囲の機嫌ばかり窺う意志の弱い男は、こちらからお断りだ。
かと言って、ニコラスに嫁ぐ気もないが……
そこまで考えたアデルは、ため息をついて頭を横に振った。
これ以上、余計なことを思案していても仕方ない。
ひとまず学校にいれば安全だ。
子供たちはいろいろなことを教えてくれる彼女を慕っている。もちろん、ニコラスとの婚約を嫌がっていることも知っていて、逃亡の手助けをしてくれるのだ。
こうして少年と連れ立ったアデルは、すぐに学校に着いた。
「――ああ! また負けたぁ」
「ふふ。まだまだね」
遊び場として開放されている校舎の一室で、チェス盤を挟んでアデルの向かいにいる少年が天井を見上げながら頭を抱える。
「次は私と勝負して、アデル様!」
「僕もやりたい!」
「私も、私も!」
少年とアデルの周りには、いつの間にか子供たちが集まって二人の勝負を見ていた。
「じゃあ、順番を――」
「アデル様! さっき、ここへ来る途中でダサリンジャーの馬車を見たよ。教会のほうへ行ったから、次はここへ来ると思う」
「ええ? もう来ているの?」
皆がアデルとの対戦を求めて騒いでいるところに、少女が慌てた様子で部屋へ駆け込んできた。一気に言った後、膝に手をついて上がった息を整える。
彼女はニコラスの馬車を見かけて、急いで知らせに来てくれたらしい。
ニコラスがアデルを追いかけてくるのは毎度のことで、最近、彼は彼女の逃走ルートを把握し始めている。彼女が立ち寄りそうな場所を効率良く回るようになった。
「皆、ごめんね。私、もう行かないと。勝負はまた今度! 次までに順番を決めておくのよ」
アデルはチェスの駒を置き、立ち上がった。
「うん、わかった。アデル様、気をつけてね」
「おう! ダサリンジャーになんか捕まるなよ!」
口々に答える子供たちは、もちろん彼女の味方だ。
「教会からなら、裏門の道を使うと思うわ。表から堂々と出ていくほうがいいよ」
「ありがとう! じゃあね」
急いで学校を出て、城下町の中心へ向かう。
中心地は華やかな反面、たくさんの建物があって道が入り組んでいるため、少々地形が複雑だ。逃げ隠れするにはちょうどいい。
途中でニコラスの馬車の目撃情報を集めつつ、アデルは城下町の中心に向かってぐるぐる歩き回った。
しばらくそうして時間を潰し、ニコラスが仕事に戻らなければならなくなるのを待って、屋敷へ戻るのが最善策である。
ところが――
「――失礼、マダム。プランケット家のアデル嬢を見かけませんでしたか?」
「ひ――っ」
路地裏から表に出る曲がり角で、ニコラスの声が聞こえ、アデルは慌てて両手で口を押さえた。
もうこんなところまで追ってきているなんて、早すぎる。毎日の追いかけっこで、彼も学んでいるようだ。
アデルは踵を返し、来たばかりの裏道を引き返した。二つ目の曲がり角をさっき通った道とは反対のほうへ進み、さらに奥の細い道へ入る。
すると、ダンッと鈍い音がして、彼女は驚いて足を止めた。
視線の先には、図体のでかい男が二人と、彼らの間に黒いフード付きのローブを着た人物がいる。
「こんなところで何してんだって聞いてんだ」
「いえ、私はちょっと道に迷って……」
身長と声から判断するに、ローブ姿の人物は年若い男性のようだ。
「嘘つけ。この家を覗き込んでいただろう? 怪しいやつだなぁ」
「それは、道を尋ねようと……」
大柄な男二人に絡まれて、ローブの彼は明らかに困っている。
(なんだか情けないわね)
おろおろしてばかりのローブ姿の青年に苛立ち、アデルは後先考えず前に出た。
「ちょっと貴方たち! こんなところで喧嘩でもするつもり? 二対一なんて卑怯ね」
「ああ?」
「なんだぁ?」
大柄な男二人が同時に振り返った。
彼らはどちらもヒョウ柄のシャツを着て、そのボタンを半分ほど開けている。シャツの隙間から見える胸筋がどこかのダサい商人を彷彿させ、アデルは口をへの字に曲げた。
彼らはニコラス信者なのだろうか?
(どちらでもいいわ。今は、ここからどうやって逃げるかが問題よね)
彼女は彼らを睨みつけ、絶対に引かない意思を示す。
少しでも隙を見せたら終わりだ。
ニコラスから逃げつつ、二人の男も撒くとなると……
城下町の地図を思い浮かべ、どのルートを通ればいいのか考える。
アデル一人ならなんとかなるが、ローブ姿の男が自力で逃げられるかはわからない。
二人の男たちと睨み合う場に、沈黙が満ちる。
「おい、この女……」
少しの間の後、男の一人が何かに気がついたように呟き、それを聞いたもう一人も舌打ちした。
「命拾いしたなぁ、兄ちゃん」
吐き捨てるみたいにそう言うと、二人は路地の奥へ消えていく。
どうやってここから逃げ出すか考えを巡らせていたアデルは、拍子抜けだ。
目撃者がいたらまずいとでも思ったのか。それなら、彼女の口も封じてしまえばいいというのに……もしかして、怖いのは見た目だけだったのかもしれない。
何はともあれ、助かったことに変わりはない。
アデルは黒いローブを被った青年に近づいた。
「貴方、大丈夫?」
話しかけるが、青年は何も答えない。
そんなに怖かったのかと、彼女は内心でため息をついた。
確かに大柄な二人に囲まれて不利な状況だったし、恐ろしいと思うのは仕方ない。だが、もう少し気丈な態度を取らなければ、ますます舐められてしまうだろうに。
「ちょっと、何か言ったらどうなの? それにね、あんなふうにおろおろしていたら、あっちの思う壺なの。もっと堂々としていないと……ねぇ、ちゃんと聞いている?」
青年が何も答えないので、一方的に喋る形だ。
じっと固まったままの青年に痺れを切らした彼女は、彼に迫りフードの中を覗き込む。
「――っ!」
その瞬間、アデルは言葉を失った。
フードのせいでよく見えなかった青年の顔が、あまりにも美しかったからだ。
長い睫毛に縁取られた大きな目、スッと筋の通った鼻、血色の良い薄い唇。肌が日に焼けた色でなければ、深窓の令嬢だと言われても納得してしまいそうだ。
年頃は、アデルと同じくらいに見える。
金髪碧眼は、ラングポート王国では珍しい。どうやら、彼は異国から来た旅人みたいだ。それで、目立たないようにフードを被っているのかもしれない。
青年はアデルがいきなり顔を近づけてきて驚いたのか、時が止まったかのように動かなかった。
透き通るグリーンの瞳が、ただアデルを見つめている。
彼女もあまりに綺麗な彼の顔立ちに見惚れ、二人の間に沈黙が落ちた。
だがしばらくして、ごくりと青年の喉仏が動いたのを見て、ハッと我に返る。
「っ、コホン! と、とにかく、もっとしっかりしなくてはダメ!」
情けないと思っていた男に見惚れたなんて悔しい。
アデルはわざとらしく咳払いをして、もう一度念を押してから彼に背を向けた。
(び、びっくりした……)
胸に手を当てると、大きな鼓動が伝わってくる。こんなひょろひょろの顔だけ男にときめくなんて、一生の不覚だ。
「美しい……」
「はぁ!?」
後悔しているところに青年の声が聞こえ、彼女は再び振り返る。
今、彼はなんと言った?
「美しい」と聞こえたが、一体何が? もしかしてアデルが思っていたことを口に出してしまったのだろうか。
確かにこの青年は美しい顔立ちだが、それだけだ。
アデルがそう結論を出した瞬間、青年はフードを取り、頭を下げた。そして、彼女に礼の言葉を述べる。
「あ、いや、その……助けてくれて、感謝している……ありがとう」
風になびく長めの髪が、キラキラと輝く。
彼は顔を上げ、笑みを浮かべてアデルを見つめた。
「べっ、別に! たまたま通りがかっただけよ。口出ししたのは、貴方の不甲斐なさにイライラしたからで……」
照れ隠しで、つい口調がきつくなる。
だが、青年は気分を害した様子もなく、ひたすらニコニコしていた。
「あ、貴方ね! 私は怒っているのよ!」
「え? ああ、そうだね。私は今、貴女に怒られているんだ……!」
頬を紅潮させ、なぜか喜んでいる青年を見て、アデルは眉を顰める。
(どうして喜んでいるのかしら?)
彼女の怪訝な表情に気がつかないのか、彼は頬を緩めたままだ。顔立ちが整っているので、とても品良く見えるが……
ぞくっと、アデルの背中に悪寒が走る。
(なんだか、これ以上関わらないほうがいい気がする)
「じゃ、じゃあ、私はこれで――」
「アデルー? アデルー!」
アデルがそそくさとその場を立ち去ろうとしたところ、ニコラスの声が聞こえてきた。
「げっ! ダサリンジャーのニコラス!」
先ほどまで子供たちと遊んでいたせいか、思わずあだ名を口にしてしまう。
「ダサリンジャー?」
「サリンジャー商会の息子のことよ」
ニコラスの二つ名を知らないのは、この国の呑気な貴族か内情を知らない異国人くらいだ。そして、ラングポート王国の貴族ならばアデルと面識があるはずなので、やはり青年は旅人に違いなかった。
それはともかく――
「とにかく、逃げるわよ!」
ここで見つかったら、今までの労力が水の泡になってしまう。
アデルは青年の手を取って、ニコラスの声とは反対方向へ走り出した。
「サリンジャー商会……」
「ラングポート王国で一番大きいと言ってもいい商会よ。いろいろな国で商いをしているから、他国でも有名だと思うけれど、知らない?」
走りながら説明すると、青年は「ああ、知っているよ」と答える。
「でも、貴女はどうして逃げているの?」
「ニコラスの妻にはなりたくないからよ! それより貴方、宿はどこ? 道に迷っていたんでしょう? また逃げる羽目になっちゃったし、ついでに送ってあげるわ」
「ああ、宿は――」
青年が口にした場所を聞いて、彼女はまた絶句する。
なぜなら、彼が滞在している宿は城下町で一番値段の張るところだったからだ。
建物自体も大きくて目立つし、町の中心にある。城下にいれば、どこからでも見える豪奢な屋根が目印だ。
いくら城下町の道が入り組んでいるとはいえ、誰も迷わないだろう。現に、今も黄金に光る屋根の装飾が見えている。
(本当に頼りないわね!)
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