私とけいちゃん

明石 はるか

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けいちゃん、けいちゃん、だいすき。
わたしだけの赤ちゃん。




私とけいちゃんの出会いは、保育園の年少に遡る。
けいちゃんは年少組にやって来た季節はずれの転入生だった。
ふわふわの茶色の髪に、榛色の瞳。
くるりとした大きな目は、さながらビー玉のように綺麗だった。
まぁるいほっぺに、小さな鼻。
まるで天使のような女の子。
…いや、男の子だった。
りす組の皆は色めきたったが、直ぐに飽きた。
いや、飽きたというか、もて余していた。
だって、けいちゃんは転入した日から、ずっと泣き通しだったから。
保育園に入園して、最初に泣く子は多くても比較的日数が経てば落ち着くものだけど、けいちゃんは頑固だった。
転入してから、一月位。
「っ…うっ…ひっ、…うっ、ひっ、く」
けいちゃんは、まだ泣いている。
…根性あるな。
綺麗なママが送って来て、離れた瞬間から保育園に絶叫が響き渡る。
あんまり泣くものだから、先生達も少しだけイライラしているのが透けて見えて。
それが、もう1つ、けいちゃんを泣かせる原因になっていた。

そんな中、私はずっと泣いているけいちゃんが気になって仕方がない幼児だった。
ずっと泣いている赤ちゃんを泣き止ませるお話をママに読んでもらったからか。
お人形遊びも、砂遊びも、絵本を読むのも、飽きたからか。
私は一大決心をして、立ち上がった。
部屋の隅っこで泣いているけいちゃんの傍に行き、頭を撫でる。
最初は、ずっと 抱っこしていた先生もこの頃、放置気味で傍にいない。
「なかないで、けいちゃん」
びくりと体を跳ねさせ、泣き腫らした目が私を見る。
…ビーだま、みたい。
「ひっ、…うっ、ひっ、」
びーだまは直ぐにそっぽを向いてしまったけど、当時の私は平気だった。
だって、赤ちゃんは泣くのがおしごとだって、絵本とママがいってたから。
「けいちゃんは、あかちゃんみたいだねぇ」
今、思えば、デリカシーの欠片もない私の言葉に、けいちゃんは一層泣いた。
でも当時の空気読めない選手権優勝候補の私は、泣きわめくけいちゃんを無理やり抱っこして、とんとんしてみる。
「いや~っ、ひっ、…うっ…うっ」
抱っこする、這い出る、抱っこする、這い出る、を繰り返し、漸く私に軍配が上がった。
よし。
諦めて、私に抱っこされながら、泣きわめくけいちゃん。
「なきません、なきませんよ?…けいちゃんは、いいこですね~」
恐るべし当時の私。
けいちゃんを羽交い締めしながら、とんとんする私を、先生達は遠くから生暖かい目で見ていた。


その日から、けいちゃんは私の赤ちゃんになったのだ。


「けいちゃん、おはよう」
朝の挨拶をして、先生の言われた事を終えると、けいちゃんの傍に行き抱っこする。
「やだ、…やだっ、…や…。…。…」
再び激しい攻防の末に、私に軍配が上がる。
そこからは私の独壇場だ。
「…ねんねんね~ん、ねんねんね~ん」
謎の歌を歌いながら、けいちゃんをとんとんし続ける私に、けいちゃんがぐったりと身を任せるまで歌い続ける。
…今、思えば拷問?
泣き続けるけいちゃんにまいりかけていた担任の長谷川先生は、私を止める事なく、危なくないかだけを遠くから見守る姿勢だった故、私の暴走を止める人間はりす組には存在しなかった。
「けいちゃん?…ほら、おやつですよ~」
首を振るけいちゃんの口に、ラムネを捩じ入れる。
むせるけいちゃんの背中を擦って、
「ほら、ゆっくりたべなくちゃいけませんよ~。…けいちゃんは、あかちゃんだからね」
…当時に戻れる機械がここにあれば、私はわたしをどつきまわしていただろう。
信じられないものを見るように私を見たけいちゃんは、再び泣き出した。
再び、私の独壇場だ。
「なにがかなしいんでしようねぇ~。…いいこ、いいこ」
ねんねんね~。
ねんねんね~ん。
りす組の教室に私の訳分からない歌が響き渡る。
他の園児は、砂遊びに夢中だ。
私とけいちゃんを気にする事もない。
そして、私は今日もずっと泣いているあかちゃんをあやしつづけるのだ。




私が、あかちゃんを手に入れてから、1ヶ月。
先生も見慣れたのか、こちらを余り気にする事もなくなってきた。
「何時もありがとう。さくらちゃんはとっても良いママになるわね」
けいちゃんのママが申し訳なさそうに、私の頭を優しく撫でてくれる。
ずっとけいちゃんを抱っこしている私に、けいちゃんのママも認めてくれたと、鼻高々の私。
「だってけいちゃんは、わたしのあかちゃんだから。ずっと、おせわしてあげなくちゃいけないの」
けいちゃんはママに手を伸ばしているけれど、それを後ろから羽交い締めで止めている私。
小柄で細いけいちゃんを押し止めるなんて、容易い事だった。
「そうなの。圭をさくらちゃんの赤ちゃんにしてくれてるのね。…もう少ししたら、お友達にしてくれる?」
とっても良い匂いのする、とっても美人のけいちゃんママにそう言われたけど、私は嫌だった。
だって、けいちゃんは、私の赤ちゃんなんだもの。
「う、うん」
空気読めない選手権優勝候補の私が、けいちゃんママの美しさに空気を読んでしまった。
…ふんだ。
けいちゃんは、わたしのあかちゃんだもん。
「いまはあかちゃんでいい?」
困ったようなけいちゃんママは、それでも優しく頷いてくれた。
それがとっても嬉しくて、私は一層、けいちゃんの背中に回した腕に力を込めた。
「…ひっ、ひっ、く…やだぁ、…ママ…」
「なぁに、けいちゃん」
ママを求めて伸ばした手を握りこんで応えた私に、けいちゃんの泣き声が響き渡った。




凄いもので、それから2ヶ月。
私は完全勝利を勝ち取った。
けいちゃんが泣かなくなったのだ。
それどころか、私の手を握り、
「さぁちゃんママ」
そう呼ぶ。
ふふふふふふ。
直ぐに泣くけど、時折、笑うこともあり、ママとしては嬉しくて堪らない。
そんなけいちゃんの手を引き、私は色々な事を教えてあげる。
服の置場所や畳み方、泥団子の作り方や、美味しいおやつのお代わりの仕方まで。
得意気に教えていたけれど、泣かなくなったけいちゃんと過ごして一月程経った頃、私はけいちゃんに教える事がなくなった自分に気がついた。
どうしよう…。
どちらかといえば、私よりもよっぽど器用なけいちゃんは、直ぐに私以上のスキルを身につけてしまった。
…わたしがママなのに。
私は子供が巣立つのを、優しく見守る良いママではなかったのだ。
「ダメだよ!…けいちゃん、こっちはあかいろだよ!」
バナナを黄色に塗っているけいちゃんに無茶ぶりしてみたり。
「けいちゃんは、わたしのあかちゃんだから、わたしとあそばなくちゃダメ!」
なんて、他の子に誘われるけいちゃんを無理やり取り返したり。
4歳児とはいえ、黒歴史だ。
と、いう訳で着々と私はりす組の皆から嫌われていった。
でも、けいちゃんは決して私の手を離さなかったから、私は調子に乗っていた。
保育園から小学校に入学する時には、私の評判は最悪だった。
天使のようなけいちゃんを無理やり従わしている、意地悪なさくらちゃんになっていた。
「さぁちゃんママ、だいすき」
でも、そう言って私の手をぎゅうっと握るけいちゃんの手を私から離すことなんて出来なかったのだ。














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