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声をかけてきたのはヒースだ。
彼は私の幼馴染であり、ミリーの婚約者でもある。
昔からヒースもこの秘密基地によく来ていた。
ミリーも知っているけれど、何の手入れもされていないのが嫌だとの事で次第に寄り付かなくなった。

「キャス!?ど、どうしたんだ!?」
「ヒース~~っ」

涙声に涙目で顔を上げる私にヒースがぎょっとしたような顔をする。
明日結婚をするという人間の顔ではないのは自覚している。

「うっ、うわああああん!」
「うわ、待て待て待て、ちゃんと聞くから落ち着いて」
「うっ、ううっ」

ヒースの顔を見た途端にさっきよりも多く滝のように流れる涙。
それに更に焦ったヒースが隣に座り、背中を撫でてくれる。
温かい手にゆっくりと撫でられると次第に落ち着いてきた。
ヒースは昔から兄のような存在で、悲しい事があったり落ち込んだりした時には必ずこうして背中を撫でて慰めてくれる。
成長するにつれて回数は減り、彼の婚約が決まってからは二人きりになるのも避けていたからこうされるのは久しぶりだ。

「大丈夫か?説明出来る?俺が聞いてもいいやつ?」
「ん……聞いて、欲しい」

まだ涙は滲んでいるけれど、ひとしきり泣いた後で少ししゃくりあげながら何を見たかを説明した。
さすがに相手が誰かまでは言えなかったけれど。

「そんな事が……」
「私、どうしたら良いの?あんな人だとは思ってもみなかった!明日が式なのよ!?なのに、あんな、あんな……!」
「……はあ、あいつら本当にクズだな」
「本当よ!」

……ん?
あいつ、ら?

「ヒース、あいつらって……?」
「え?ミリーとオリオンだろ?」
「え?」
「え?違うの?」
「違わないけど、あなた相手がミリーだってどうしてわかったの!?」

さらりと告げられて驚く。
ヒースもショックを受けるだろうと思って名前を伏せておいたのに。

「いや、どうしても何も……」
「あなた前から気付いていたの?」
「まあね。見てればわかるよ、そういう関係だって」
「私、全然わからなかったわ」

見てればわかる?
本当に?
ずっと見ていたはずなのに全然わからなかった。

「本当に今日まで気付いていなかったのか?」
「悪い?」
「いや、でも、匂いとか、普段と違うとかあるだろ?その、そういう時に」
「!!!」

ヒースに言われて顔が熱くなる。
そ、そういう時ってそういう時よね?
そんなの、そんなの

「わからないわよ!」
「いやあ、でも」
「だって!」

だって……

「………………だって、私達、そういう事はまだ……」
「………………え!?」

もじもじと告白する私にヒースが少しの間を置いて驚きの声をあげた。

「あ、そ、そうなんだ、えっと、それは……」
「良い、何も言わないで」
「したくなかったの?」
「聞かないでったら!」
「ごめん、気になって」
「だってそういうものなんでしょう?式まではそういう事はしないって。式の後で初めて結ばれるって……」
「最近では少ないかもね。お互い想い合っていたら式の前でも、その、する人はいると思うよ」
「そうなの!?」
「もしかして、キスもまだ、とか?」
「……っ」

答えられなかったけれど更に真っ赤になっているだろう私の顔で察したらしい。

「あいつに迫られなかったの?」
「それはあったけど、初めては式の時が良いからって断ってたわ」
「そうなんだ、へえ、そっかそっか」

ふむふむと納得しているヒース。
心なしか嬉しそうに聞こえるのは気のせいかしら。

「ふっ、あいつずっとおあずけ喰らってたのか。良い気味」
「?何か言った?」
「ううん、何でもない」

ぼそりと何かを言っていた気がしたが聞き取れなかった。

それはそうと、ヒースが二人のあれやそれやに気付いたということは……

「ヒースは、ミリーとその……」

していたという事だろうか。
聞こうとして、面と向かって聞くような話題ではなかったと気付きすぐに口を噤む。
私ったら何を聞こうとしているのよ。

「ごめんなさい、今のは気にしないで」
「してないよ」
「!そうなの!?」

気にしないでと言ったくせにヒースの返事に食い付いてしまった。

「したいと思わなかったの?」
「まあそんな感じかな」
「どうして?ヒースはミリーが好きなんじゃないの?オリオンは好きだからしたくなるんだって言ってたけど……」

ああ、そうか。
好きだからしたくなるのなら、私に迫らなくて当然だ。

「……オリオンは、私を好きじゃなくなってたのね」
「え?」
「親に決められた婚約者だけど、大事にされてるって、好きでいてくれてるんだって思っていたけれど違ったんだわ」

初めてのキスを断ってから何度もそういうお誘いはあった。
ふいに顔が近付いてきて驚いて避けたのも一度や二度ではない。
泊まりに来ないかとかお酒に誘われる事もあったけれど都度断っていた。
彼の視線や態度でそういう事を望んでいたのには気付いていたけれど、気付かないフリをした。

その内に誘われる事もなくなったが、きっとその頃から、もしくはもっと前からミリーとの関係が始まっていたのだろう。
誘われなくなったのも納得だ。
とうの昔に愛想を尽かされていたのだ。

「私ったらそんな事にも気付かないで、明日の式に浮かれて……馬鹿みたい」

一度おさまったはずの涙がまた浮かんでくる。
ヒースは私のセリフには答えず、慰めるようにぽんと頭を撫でてくれた。
馬鹿だなと笑う事もそうじゃないと否定する事もないその態度が嬉しい。

「さっきの質問だけど、俺はどうやってもミリー相手にその気にはなれなかったんだよ。好きってわけでもないし。だからキャスと同じ。キスもしてない」
「そうなの?」

それならどうして気付けたのだろうか。
そんな私の疑問に気付いたヒースが苦笑いで教えてくれた。

「そりゃオリオンの香水の匂いプンプンさせて近付いてこられたらね」
「ああ……」

オリオンにはお気に入りの香水があって毎日愛用していた。
私はあまり好きな匂いじゃなかったけど、そういえばミリーも同じ匂いを纏っていた時があった。
何故その時に少しでも疑わなかったのかしら私ったら。

「それに俺、他に好きな奴いるし」
「え!?」

次いで言われたセリフに目を見開く。

それは初耳だ。
ずっと一緒にいたのにそんな話一度も聞いた事がない。
気になる。
ヒースの好きになる人ってどんな人なんだろう。

「誰?私の知ってる人?」
「内緒」
「何よそれー!」
「まあ俺の事はおいておいて」
「ええー」

不満を漏らすがそれ以上は口を開いてくれなかった。

「ていうかあいつ、俺との婚約決まった直後からもう浮気してたから余計にそんな気にはなれなかった」
「ええ!?それじゃあ、オリオンとはそんなに前から……?」

ヒースとミリーの婚約が結ばれたのは二年前。
ある程度の期間はしているだろうと思っていたが、まさかそんなに前からだとは。

「悪い、ショックだよな」
「ううん、大丈夫。あんな場面を見た後だもの、あれ以上の衝撃なんてないわ」

今更期間の長さでいちいち傷付いてなんていられない。

それよりもヒースだって傷付いているはずだ。
その気になれなくても婚約者だし、多少の情はあるはずだ。

「ごめんなさい、ヒースも辛いわよね」
「え?俺?」

何が?と言わんばかりの反応をされてしまった。
いやいやあなたの婚約者が浮気してたのよ?

「お互い想い合っての婚約じゃないからそこまでショックではないかな。だから辛くもない」

完全なる政略結婚だったようだ。
でもヒースがショックを受けていないのなら良かった。

「キャスはどうするつもり?」
「え?」
「明日、そのまま式挙げるつもり?」

ヒースに問われて返答に困る。
もちろん式を挙げるつもりなんてない。
けれど、どうしたら良いのだろう。

「ちなみに俺は婚約破棄するつもり」
「出来るの?」
「出来るさ。浮気してた証拠はこれでもかと集めてあるんだ。元々親同士が適当に組んだ婚約だからな。他に候補がいない訳でもないし」
「……そう」

良いなあ。
私も式をキャンセルしたい。
オリオンのあの口振りでは結婚した後でもほとぼりが冷めればミリーとの関係を再開するつもりなのだろう。

(ほとぼりが冷めたら……)

それは即ち、私との初夜が終わり式の余韻が冷めた後という事だ。

初夜。
あの男と、初夜。
他の女に散々触れた手で、初夜。

(無理!気持ち悪い!)

改めて想像しただけで吐き気がする。
良く考えたら誓いのキスもあるじゃない。
思わず口元に手で押さえる私を見たヒースが背中をさすってくれるのがありがたい。

「キャスが式を止めたいのなら、俺は協力するよ?」
「え?」
「言っただろ?証拠は集めてあるって。キャスが望むなら全部の証拠を渡すよ」
「……ほんと?」
「当たり前だろ」
「ありがとう。でも……」

明らかな浮気の証拠があれば式を中止出来るだろうか。
いや、もう準備も終わっているから婚約が破棄出来たとしても式だけは続行されるかもしれない。
もしくは式は中止出来たとしても、さっき想像した通りに男の浮気は甲斐性だと婚約は続行されるか。
どちらにしても冗談じゃない。

「……いっその事、式をぶち壊しちゃおうかしら」

悩んでそんな考えに至った。

そんな事をすれば両親どころかオリオンの両親にも恥をかかせる事になる。
けれどあの二人には確実に制裁を加える事が出来る。
二人が愛し合っているのなら邪魔者は私。

「ねえ、花嫁を挿げ替えるのはありだと思う?」

そう訊ねる私に、ヒースはニヤリと笑った。



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