【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第五章:風前の灯火

第八十八話:真田昌幸の奇策

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 おふうの犠牲は、小太郎の心に深い痛みを刻み込んだ。

 血塗られた白い着物が、彼の両腕の中で色を失っていく。腹部からとめどなく溢れる血は、小太郎の絶望を一層深くするかのようだった。

 しかし、愛する者を守るという一心で、小太郎は牙を剥く黒百合組の刺客たちに立ち向かっていた。
彼の剣は、怒りに燃え、これまで以上の切れ味で刺客を斬り伏せていく。

「小太郎様……。早く……」

 フロイスが、呻くように小太郎に促した。彼は、おふうの傷口を必死に押さえつけているが、止血はままならない。このままでは、おふうの命が尽きてしまう。

 小太郎は、襲い来る刺客を次々と退けながら、徐々に後退していく。だが、山の中では逃げ場がない。
このままでは、おふうもろとも、ここで命を落とすことになる。

 その時、突然、山中に響き渡る奇妙な音がした。それは、複数の竹筒を叩き合わせるような、不規則でけたたましい音だった。
刺客たちは、その音に一瞬だけ動きを止めた。彼らの顔に、警戒の色が浮かぶ。

「何だ……?」

 黒百合組の頭領が、眉をひそめた。その音は、彼らが慣れ親しんだ音ではなかった。

 音の主は、甲斐の山奥深く、真田家の居城・上田城にあった。この城を預かるは、武田家臣、真田昌幸(さなだまさゆき)である。

 昌幸は、長篠の敗戦を受け、武田家存続のため、信玄からの密命を受けていた。彼の顔には、常に不敵な笑みが浮かんでいるが、その目は、戦況を冷静に見極めていた。

「勝頼様が、またもや織田の罠に嵌ったか。ふむ……これでは、信玄公の御計画にも支障が出る」

 昌幸は、そう呟くと、傍らに控える家臣に命じた。

「良いか。今より、甲斐への街道に潜む織田の目を欺く。山中に兵を伏せ、奇妙な音を立てさせよ。そして、まるで大軍が移動しているかのように見せかけるのだ」

 昌幸の言葉に、家臣は目を丸くした。
「昌幸様、それは……いかなる御意にございますか?」

「ふむ。織田の奴らは、武田を侮っておる。だが、我らが信玄公は、まだ死んではおらぬ。我らが取るべきは、正面からの力押しではない。幻を見せ、敵を惑わせるのだ」

 昌幸は、そう言って、ニヤリと笑った。彼の奇策とは、武田の兵力を偽装し、織田軍の目を分散させるための陽動作戦だったのだ。長篠の戦で壊滅的な打撃を受けた武田軍に、正面から織田の大軍を迎え撃つ力はない。ならば、智略で敵を翻弄するしかない。

 昌幸の命を受けた真田の兵たちは、山中に潜伏し、竹筒を打ち鳴らしたり、木を揺らしたりして、まるで大勢の兵が移動しているかのような音を立て始めた。同時に、煙幕を張り、遠目には兵が多数いるかのように見せかけた。

 小太郎たちがいる山中にも、その音と煙が届いていた。黒百合組の刺客たちは、その異様な気配に惑わされ、隊形を乱し始めた。頭領は、焦りの色を隠せない。

「何だ、この音は!?まさか、武田の伏兵か!?いや、これほどの軍勢が潜んでいようとは……!」

 頭領は、小太郎たちへの追撃を中断し、周囲の状況を探らせるために、一部の刺客を分散させた。その隙を、小太郎は見逃さなかった。

「今だ!フロイス殿、おふうを頼む!」

 小太郎は、そう叫ぶと、残りの刺客たちを牽制し、おふうとフロイスを連れて、一気に山中の奥へと駆け出した。真田昌幸の奇策が、図らずも小太郎たちの窮地を救ったのだ。

 小太郎は、走りながら、振り返った。
あの奇妙な音は、武田の者によるものなのか。そして、その意図は。しかし、今は考える暇はない。おふうの命が、刻一刻と失われようとしている。

 信玄が「秘策」を発動するためには、小太郎が甲斐に辿り着かねばならない。そして、武田の魂を守るため、真田昌幸は、自らの智謀を尽くし、織田軍の目を欺き続けていた。

 彼の奇策は、武田家の存亡をかけた、最後の希望の光となるのか。
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