【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第六章:本能寺への序曲

第百六話:本能寺への下準備

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 明智光秀の決意を知った小太郎は、坂本城を後にし、信玄の隠れ処へ急ぎ戻った。

 光秀の内に秘められた「大義」が、ついに信長への忠誠を打ち破った。この報せは、信玄にとって、長きにわたる計画の最終段階への号令となった。

「光秀が、ついに決断したか」

 信玄は、小太郎の報告に静かに頷いた。その声には、喜びと同時に、これから起こるであろう歴史の大きなうねりを見据える、深い覚悟が感じられた。

「ならば、抜かりなく準備を進めねばならぬ。本能寺の変は、ただ信長を討つだけでは終わらぬ。その後の混乱を最小限に抑え、家康が天下を担ぐための礎としなければならぬ」

 信玄の言葉は、本能寺の変が、単なる信長暗殺に留まらない、壮大な計画の一部であることを示していた。彼は、光秀が信長を討った後の混乱、そして羽柴秀吉の台頭までも予測し、その全てを織り込んだ上で、次の手を考えていたのだ。

「小太郎よ。お主には、変が成功した後の光秀の逃亡路確保、そしてその後の身の振り方、すなわち服部半蔵としての新たな人生の準備を水面下で進めてもらいたい」

 信玄の命に、小太郎は目を見開いた。
「服部半蔵に、ございますか……?」

 小太郎の問いに、信玄は静かに頷いた。
「左様。光秀には、信長を討った後、死んだと見せかけ、その名を捨て、徳川家康の家臣である服部半蔵として生きてもらいたい。そうすることで、明智家は滅びず、光秀は新たな身分で家康の天下を支えることができる。家康も、わしとの密約により、光秀を受け入れる手筈となっておる。これは、わしが長年温めてきた策の要の一つよ」

 信玄の言葉は、小太郎にとってまさに青天の霹靂であった。
光秀が服部半蔵となるという、あまりにも大胆で奇抜な構想に、小太郎はただ驚嘆するしかなかった。

 しかし、信玄の深謀遠慮を目の当たりにしてきた小太郎にとって、もはや信玄の言葉に疑念を抱く余地はなかった。

「御意にございます」
 小太郎は、深く頭を下げた。信玄は、さらに続けた。

「望月千代女にも協力を仰げ。彼女の率いる甲賀の忍び衆は、情報収集だけでなく、逃亡路の確保や、身代わりの手配にも長けておる」

 信玄の言葉を受け、小太郎はすぐさま望月千代女に連絡を取った。

 千代女は、信玄の意図を瞬時に理解し、即座に行動を開始した。彼女の配下の忍びたちは、密かに京の都に潜入し、本能寺周辺の地理、警備の状況、そして光秀が変を起こした後の最適な逃亡経路を詳細に調べ始めた。

 また、光秀の身代わりとなる人物の手配も、極秘裏に進められた。それは、光秀と瓜二つの容貌を持つ者である必要はなく、むしろ、光秀が討たれたと信長家臣や諸大名に思わせるに足る、巧妙な演出ができる者でなければならなかった。

 おふうは、京の薬種屋を拠点に、小太郎の活動を支えた。彼女は、市井の人々との交流を通じて、京の町に流れる様々な情報を収集し、信玄の計画に役立つものを小太郎に伝えた。また、変が起こった後の混乱に備え、負傷者の手当てに必要な薬草や道具の準備も進めた。彼女の薬種屋は、表向きは人々の病を癒す場所であったが、その裏では、歴史を動かすための重要な拠点として機能していた。

 光秀もまた、信玄と密に連携を取りながら、本能寺の変の具体的な手筈を整えていた。
小太郎が信玄の書状を届けた後、光秀は信玄に密使を送り、自らの決意を伝えた。信玄と光秀の間には、幾重にも張り巡らされた密やかなる連絡網が構築されており、信玄の指示は光秀へと、そして光秀の返答は信玄へと、寸分の狂いなく届けられていた。

 光秀は、信長に中国攻めの先鋒を命じられていたが、その真の目的は、京の本能寺にあった。
光秀は、自らの兵を動かすための準備を巧妙に進め、信長に疑われることのないよう細心の注意を払った。

 その頃、真田昌幸は、信玄の指示を受け、各地の旧武田家臣や信玄の恩義を受けた者たちとの連絡を強化していた。

 彼らは、表向きは織田に従いつつも、密かに兵を蓄え、来るべき決起の日に備えていた。昌幸は、これらの「楔」が、いよいよ一つの大きな力となる時が来たことを確信し、その結束を固めていた。

 信玄の計画は、多岐にわたり、緻密に練られていた。信長を討つこと。光秀を生き延びさせ、家康に仕えさせること。そして、その後の天下の混乱を最小限に抑え、家康が泰平の世を築くための地盤を整えること。

 その全てが、歯車のように噛み合い、静かに、しかし確実に回り始めていた。
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