【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第六章:本能寺への序曲

第百七話:最後の密談、運命の歯車

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 本能寺の変への下準備が着々と進む中、信玄の隠れ処では、最終的な密談が行われることになっていた。

 小太郎、そして望月千代女が、信玄様のもとに呼び集められた。部屋の中央に広げられた地図には、京を中心とした畿内の詳細な地理が描かれ、いくつかの地点に小さな印がつけられている。それぞれの印が、来るべき歴史の転換点において重要な役割を果たす場所を示していた。

「千代女、光秀の身代わりの手配と、逃亡路の確保は滞りなく進んでおるか?」

 信玄様の問いに、望月千代女は涼やかな声で答えた。

「はい、信玄様。光秀様の身代わりとなる者も手配済みでございます。容姿は似せずとも、光秀様の気配を模し、信長様の家臣や諸大名に『明智光秀は討たれた』と信じ込ませるに足る、周到な演出を施す手筈となっております。
また、本能寺から伊賀山中への逃亡路も、幾重にも罠と退路を設け、万全を期しております」

 千代女の言葉には、抜かりのないプロの仕事ぶりが滲み出ていた。信玄様は満足そうに頷いた。

「小太郎、そなたは、光秀が本能寺を襲撃した後、いよいよこの計画の核心に触れることになる」

 信玄様の言葉に、小太郎は身を引き締めた。光秀が服部半蔵となること、そしてその後の家康への仕え方については、すでに信玄様から聞かされていたが、それが具体的にどのように行われるのか、小太郎はまだ全容を把握していなかった。

 信玄様は、地図の伊賀の山中、そしてそこから三河へと続く道筋を指差した。

「光秀は、本能寺での役目を終えた後、千代女の忍び衆の助力を得て、伊賀の山中へと逃れる。そこで、服部半蔵と名を変え、徳川家康の隠密衆の頭領として、家康に仕えることになる」

 小太郎は、その壮大な計画の全貌に改めて驚嘆した。一国の主であった明智光秀が、その名を捨て、家康の忍びとなる。それは、並大抵の覚悟では成し得ないことだった。

「光秀は、信長を討った後も生き延びることで、わしが目指す『和の世』の実現に貢献することになる。家康の天下統一を、陰から支える重要な役割を担うことになるのだ」

 信玄様の言葉には、光秀への信頼と、その後の天下を見据える深い洞察が込められていた。光秀が単なる捨て駒ではなく、信玄様の描く未来において不可欠な存在であることが、小太郎には理解できた。

「小太郎、そなたには、光秀が服部半蔵として家康のもとに身を寄せるまでの間、彼の護衛と、徳川家康への引継ぎを担ってもらいたい。特に、鳴海伊賀衆を光秀に引き継ぐ段取りは、慎重に行わねばならぬ」

 小太郎は、信玄様の言葉に改めて気を引き締めた。鳴海伊賀衆は、かつて信玄様が家康の力を借りて傘下に収めた精鋭の忍び集団。
彼らが光秀、すなわち新たな服部半蔵の指揮下に入ることは、家康の隠密勢力を盤石なものにする上で極めて重要な意味を持っていた。

「御意にございます、信玄様。必ずや、滞りなく務めを果たして参ります」

 小太郎は、力強く答えた。彼の心には、光秀という男の運命を左右する重大な使命への、深い責任感が湧き上がっていた。

 信玄様は、地図上の京、そしてその西方を示すように手を動かした。

「京の都には、まだ秀吉がおる。信長亡き後、最も早く動くのは秀吉であろう。故に、光秀は京に長居できぬ。そして、山崎で秀吉と雌雄を決するは、光秀の影武者、その役目を担う者よ」

 信玄様の言葉は、本能寺の変の後の展開、そして山崎の戦いにおける光秀の影武者の役割までもが、すでに計画の中に組み込まれていることを示していた。
すべての駒が配置され、運命の歯車が静かに、しかし確実に回り始めている。

「これで、全ての駒が配置されたな」

 信玄様は、満足そうに目を細めた。彼の顔には、病による疲労の色が浮かんでいたが、その瞳の奥には、長きにわたる悲願の成就を目前にした者の、静かな高揚感が満ち溢れていた。

 この密談の後、小太郎と千代女は、それぞれの任務へと向かった。京では、おふうが薬種屋で情報収集を続け、来るべき混乱に備えていた。真田昌幸は、各地の協力者たちとの連絡を密にし、信長包囲網の網の目をさらに狭めていた。
そして、坂本城では、明智光秀が、信長との最後の対決に向けて、密かに兵を動かす準備を進めていた。

 歴史の表舞台では、信長が天下布武の夢に突き進み、諸大名がそれぞれの思惑を巡らせていた。しかし、その陰では、信玄様という稀代の策士によって仕掛けられた壮大な計画が、最終局面へと向かっていた。

 本能寺の変という歴史的大事件は、信玄様の描いた「和の世」へと続く、不可避なプロセスの一つとして、着々と準備が整えられていたのである。
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