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第3話「届カヌ想イ」
5.後悔
しおりを挟む目を開けた時、視界がぐらつくような感覚は無くなっていた。星が浮かぶ夜空。現実が返ってくる。
これは私の体、私の感覚、私の世界。
どれだけリアルでも、あの夢は過去のもの。そう言い聞かせる。私の体験ではない。
初めて見る夢だった。ユウの最期ほどではないが、後味が悪い。立派な悪夢だ。
「大丈夫か」
「えぇ」
ベンチに寝かされていた体を起こす。真樹がタンクトップ姿で立っていた。トレードマークの赤い上着は私の膝を覆ってくれている。
「顔色が悪いな。ここにいてやるから、もう少し休んだらどうだ」
「いい。夢見が悪かっただけだから」
「夢見が、なぁ。お前、ちゃんと眠れてるのか。うっすらクマ出てんぞ」
「うるさい。放っておいて」
見ればわかるぞ、と言いたげな顔。腹の立つ顔だが、眠りが浅いのは確かだ。この男はちゃんと私を見ている。
沙姫と出会ってから、掘り起こされるように忘れかけていた夢、見たことのない夢を見るようになった。昔はもう少し時系列が把握できるような、毎日順番に見ていたものが、ぐちゃぐちゃになっている。
目の下に触れてみた。そんなことでクマがあるかどうかなどわかるわけもないが。すると、ぬるっとした感覚が指先に伝わり、反射的に突っ放した。夜で識別し辛いが、これはきっと透明な雫の跡。
赤じゃない。それだけで、命の危機から脱したかのような不安の後の安心感があった。
「やっぱり疲れてるな。いい医者紹介するぜ」
「…………」
「冗談抜きで紹介するぞ」
「いらないわよ」
振るえる手を押さえつけた。新しい悪夢のせいで感覚が麻痺している。認識が混ざる。
立ち上がろうとして足に力を籠める。どうやらまだ本調子ではないらしい。また倒れるのがオチだ。
諦めた私は膝にある上着を真樹に押し付けるのが精いっぱいだった。
「ねぇ、答えてほしいんだけど」
「俺に答えられることならなんでも」
「答えられるわよ。だってユウのことだもの。知ってるんでしょう、あいつが何者だったのか」
なんでも。真樹はそう言った。いよいよ覚悟を決めたらしい。今度は目を逸らさなかった。
「ユウは最期、天使病に侵されていた。でも、私はそれがいつからなのかを知らない。いつからあんな酷い光景が平気になったの。昔はそんな夢じゃなかった。最近になって血生臭い内容が増えたのよ。起きても感覚がこびりついて毎日頭がおかしくなりそう。あんたなら、アリシアならずっと見ていたんでしょう?」
手の震えが止まらない。今の私の顔はきっと酷いものだろう。疲れ切った顔なのか、精神が参っているのが表に出てしまっているかもしれない。
真樹は言葉を詰まらせ、答えを選んだ。
「恥ずかしい話、アリシアもユウが天使病になった正確なタイミングは知らないんだ。多分だが、最初に症状が出始めたのはあいつが初めて出兵した時だ」
出兵?訓練についていけないせいで自然と掃除雑用係になっていたユウが、兵士として?
「城に仕える兵士様だからな。あんな優しすぎる奴でも、ちゃんと姫の役に立ちたがってた。だからアリシアが推薦したんだ。とある村の避難誘導部隊に」
知らなかった。少なくとも、ユウがまともに兵士として何かを成した記憶はない。
兵士として城から出るなんて信じられない。でも、それなら、外で感染した可能性が高い。
感染源は解明されていなかったはずだが、出兵時に感染、発症であれば私が知らないのもまだ納得がいく。
「ただの避難誘導だった。前線が迫って来たんで余裕をもって移動する手筈でよ。大したことにはならねぇってそん時の隊長に任せて、アリシアはついて行かなかった。あんまり過保護だとユウも成長できねーって言ってな。だが、そこで問題が起きた」
「問題?」
「天使病の患者が村に紛れ込んでいた。その場で何人かが感染して負傷者多数。村人も犠牲になった。だからアリシアの部隊が追加で派遣されたんだ。救護隊なんか必要なかったはずだからな。だから発見が遅れた。見つけた頃には終わっていた」
真樹の声は重くなっていった。
「連れていたのは女の子だ。その子いわく、家族と一緒にユウと合流地点へ向かっていたらしい。父親は負傷していて、母親と手を繋いで走っていた。すると父親が豹変して、母親に襲い掛かった。その時のことは詳しく話してくれなかったみたいだが、気が付くとユウが父親に斬りかかってたんだと。そこからの話も曖昧でな……最後にはユウへの恨み言しか言わなくなっていた。お父さんとお母さんを返してって」
「そんな、だって」
「助けただけなのに。そう言える現場じゃなかった。アリシアが着いた時にも正直、異様だった。散らばった羽根。首が跳ね飛ばされた天使病患者のそばで泣く女の子。喉を掻っ捌かれてズタズタにされた女。大量の血を浴びてへたり込んでいるユウ。流石に一瞬見ただけで状況を全部把握するなんて無理だ」
つい先程、見たばかりの夢と同じ。赤い記憶。
手にまだ感覚が残っている。彼女が抱きしめてくれた温もりよりも、生暖かさの混じった冷えた手の感覚が。
「ユウは無傷だった。いや、負傷した痕跡はあったが、傷はなかった。アリシアは怪我の有無だけ確認してユウの無事を喜んだ。思えばあれが、最初だったんだろうな」
最初。ユウが初めて人を殺した。最初に狂った記憶。
いつも数えきれないほどの死体で築かれた道を歩くだけで、そうなった夢なんて見なかった。結果だけ。最初に剣を振るってからあの夢に至るまで、彼は何度血を見たのだろう。
臭いを思い出して、思わず手で口を覆う。冷えも酷くなっている。おそらく顔色も。
ため息が聞こえた。私のものではない。声の主は上着を羽織り、背を向けた。
「どこ行くのよ」
「悪いが話はここまでだ。これ以上はお前のためにならない」
「勝手に決めないで、私は知りたい」
どれだけ苦しもうと構わない。もう知ってしまった。後には引けない。
ここで立ち止まったところで悪夢は終わらないのだから、せめて真相を知りたい。真樹はそれを許さない。
「あれが私の前世だって言うなら、全部知る必要がある。私はあの子を悲しませたくない。同じ選択をするわけにはいかないの」
「俺だってそうしたいさ。もう、守れないのはごめんだ」
絞りだすような言葉だった。
守れない。アリシアは常にユウの傍にいて、守ってくれていた。だが、最期に彼女はいなかった。
ユウの最期の記憶はシャラだ。ならアリシアはどうしていた。何をしていた。何を見た。
真樹の見た夢の内容など知らない。だけど、もし、あの悪夢の続きを知っているのなら。
想像したくない。彼女の絶望を。真樹の苦しみを。
私たちは夢に影響されやすい。私と利紅がそうだ。おそらく真樹も。何も、言えない。
「一つ忠告させてくれ」
上着の裾が地面を引きずるのもお構いなしに、真樹は目線を合わせるように腰を落とす。
「無理に思い出そうとするな。後悔するぞ。もし何か思い出したら、沙姫ちゃん以外の人間に相談しろ。まぁ、俺か利紅だな」
縋るように訴えかけてくる。
待って。どうしてあの子の名前が出る。
「どういうこと、どうして沙姫以外なのよ」
「ん?あぁ、まぁ沙姫ちゃんも色々と悩んでそうってことだ」
確かに、沙姫も言っていた。失敗した、傷つけた。罰を受けるべきだと。
しかし、今日会ったばかりのこの男に何がわかる。苛立ちが込み上げてくる。
嘘だ。違う、私にもわからない。彼女の悩みなんて知らない。聞けば彼女は隠すだろう。私でもそうする。
ならいつもの通りだ。沙姫と出会う前までそうしてきた。一人で抱えてやる。全て飲み込んで、理解して、否定する。同じ結末を迎えないように。
「私は後悔なんてしない。もう後戻りはできないわ。意味の分からない夢を見続けるくらいなら、全部思い出したい。逃げること以外、後悔になんてならない」
沙姫以外。そう言ったのは他でもない真樹自身だ。ならこの場で、答えるべきだ。私の“相談”に対して。今ここで。
「後悔にならない、か。本当にそうならいいけどな」
「どうして私のことをあんたが決めようとするの。私はただ、ユウのようになりたくないだけ」
言葉が、続かなかった。
苦しむような顔で、懇願するように、真樹が迫って来た。
「俺は今度こそお前を守りたい。もうあんな思いはしたくないし、あんな結果もごめんだ。大事なんだよ。お前も、沙姫ちゃんのことも」
不安の声だった。軽さなんて感じない、震えた声。
「夢の中だけの関係だ、わかってる。だけど、記憶はあるんだ。お前たちといた記憶が。笑った記憶がよ。どんだけ絶望的な光景が焼くついていても、端にはその綺麗すぎる思い出が残ってる。俺は、アリシアにも笑っていてほしい。だから、エゴでもいい、代わりに笑っていてほしい。塗り替えさせてくれ」
私は、ユウのことが嫌いだ。優柔不断で、誰にでも優しくて、何もできない男。
真樹は、きっとアリシアのことが好きだ。彼女は誰からも好かれる魅力があって、支えられる。記憶の中の彼女に、惹かれて、想って、大切にしている。
少し、羨ましかった。大切に思える記憶があって。それでも私は―――
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