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56 ブラン子爵夫人

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 ブラン子爵夫人は、浮かれていた。自分から手紙など書いたことのない夫から手紙が届いたことも嬉しかったし、王都へ来て欲しいと書かれていたことも嬉しかった。
 王都へ行けるなんて。こんな田舎に住んでいては、なかなかできない。子どもが大きくなって学園へ通うようになった頃にもまだ夫が王宮勤めなら、王都で屋敷を借りて家族で暮らすのも良いかと思っていたりはしたが、子どもが小さい今は、領地で夫がたまに帰ってくるのを待つしかなかったのだ。もう少し収入があれば良かったのだけれど。
 とはいえ、生活に困るようなことはない。領地の収入はほどよくあるし、夫の王宮での仕事は順調なようだ。それなりに暮らしていくことができていた。
 一人目の奥方が病死してからの後妻なので、使用人たちにもすんなり認めてもらうことができた。前妻が病弱だったからか、身軽に動き回っているだけで褒めてもらえるくらいだ。夫も、大切にしてくれる。快適だった。
 目が見えないという前妻の子だけが、煩わしかった。夫はこの子どもの目が見えないと言っていたが、普通に生活しているように思える。少し気味が悪い。どういうことなのだろう。見えないどころか、人に見えないものまで見えているような目をしているのだが。
 目が見えないのに家庭教師を呼んで勉強もしている。なんて無駄なことだと、すべて解約した。見られているのが気持ち悪くて、部屋に閉じ込めた。人に移る病気を持っていると言いふらし、使用人たちも近寄らせないようにすれば、衰弱していなくなってくれるのではないかと思ったが、案外しぶとかった。
 学園から入学の案内が来たときは、学園に放り込んでしまえばもう、自分の目にはつかないと心底ほっとしたものだ。寮で何があろうと、私には関係がない。王都までは遠いが、もう十二歳だ。お金を渡して家から出せば、義務を果たしたことになるだろう。
 夫の手紙にはリュシルのことが聞きたい、とあったが、突然どうしたのだろう。今まで一度も尋ねてきたことなど無かったのに。あの子がどうしているかなど知らない。学園から休学届けがきていたことがあったように思うけれど、届けが出ているのなら学園にはたどり着いたのだろう。たどり着けるとは思っていなかったので驚いたが、その後の連絡はない。もうすっかり忘れていた。
 
 小さな子どもを連れての旅はとても時間がかかったが、楽しいものだった。初めての旅に子どもたちも大はしゃぎしていた。王都で夫と合流して、家族四人で宿を借りて、休みを取ってくれていた夫と王都を見物して。私は幸せ者だわ、と子どもたちの寝顔を見ながら、久しぶりに会う夫を見た。
 ダニエル・ブラン子爵は、ここからが本題だと真面目な顔を妻に向けた。

「リュシルが学園に入ったことを知らなかったのだが。」

「十二歳になったら入学するのは、貴族の子弟として当然のことですわ。」

「だが、あの子は病気だったのだろう?部屋からも出られない、と君が言っていたではないか?」

「ちょうど入学前に治りましたので、送り出しました。」

「あの子は目が見えない。馬車で出かけたこともないはずだ。一人で出したのか?」

「もう十二歳ですもの。お金も渡しましたし、あの子を可愛がっていたエマとかいう侍女が退職届けを出していましたから、付いていったのではないかしら?」

「着いたかどうかの確認は?仕送りは?」

「仕送りは余裕が無くて、しておりません。朝晩の食事は寮で出されるのですから、昼が無くても死にはしないでしょう?私の在籍中にも、そういう学生はたくさんおりました。休学届けが出された旨の手紙がきていたようですので、学園に着いたのは間違いありませんわ。病気が再発したのかしら?」

「休学しているなら、今、どこにいるんだ?」

「存じません。帰ってきていないもの。」 

「学園に尋ねたら、お嬢様の具合はどうですか、と聞かれたのだぞ。もう最終学年だから、復学か退学か決めろと。」

「では、退学届けを出してきたらよろしいのでは?本人がいないのでは、復学できませんし。」

「なぜ君はそんなに冷静なんだ。子どもが消えたのだぞ。生死も分からない。」

「貴方はなぜ今さらそんなに焦っておられるのですか?もう三年近く、あの子のことなど尋ねたこともございませんでしたのに。」

 確かに妻の言う通りだ。誰かに聞かれなければ、思い出しもしない。だが、気になった以上、放っておくわけにもいかない。

「つまり君は、二年前にリュシルを家から放り出した後は何も知らない、というわけだな。」

「放り出した、ですって?きちんとお金と着替えを持たせました。学園ですもの。着いたら寮で暮らせるでしょう?自分は知らんぷりのくせに、なんて言い方なの!王宮と学園は近いんですから、様子を知ることくらいできるでしょう?病気なら、近くにいた貴方が見に行くべきだわ。」

 ブラン子爵夫人は、先程までの幸せな気分をすっかり害されて、ひどく腹が立った。リュシル、いなくなっても私をこんな気分にさせるなんて。本当に、ひどい子だわ。

「ああ、そうだな。事情が聞きたかっただけなのだ。悪かった。君はよくやってくれたよ。」

 夫がそう言うのを聞いて、少しだけ機嫌を直した。
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