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あの子からの呼び出し
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食事を終えて藤澤君のマンションの部屋に帰宅しキッチンでコーヒーを淹れるお湯を沸かしていたら、藤澤君に後ろから抱き締められた。
「あー、落ち着く」
「そう?」
首筋にあたる彼の吐息がくすぐったくてクスクスと笑いながら私は尋ねた。
「俺って実は結構甘えたい系だったのかな?」
後ろから私を抱き締めたまま、藤澤君は独り言のように言った。
「今までの彼女って、年下の子が多くてさ」
過去に付き合った人について藤澤君から聞くのは初めてだった。
「別に自慢とかじゃないんだけど『藤澤先輩~』って感じでなついてきて、気づいたらなんか付き合っちゃってたみたいなのが多くて」
「ふうん、やっぱモテるんだ」
そりゃそうだよねと私は心の中でつぶやいた。胸の奥が少し痛んだ。
「だからこんなに自分からぐいぐいいったの、奈々美さんが初めてかも」
そんな風に言われると照れてしまう。素直に嬉しかった。
「だから今までの彼女はなんかお世話してあげてるって感じでさ。初めは奈々美さんのことも、この人なんか危なっかしいから、見ててあげなきゃなって感じの庇護欲?だったんだけど」
「難しい言葉、知ってるね」
時々言葉の使い方を間違えるお子様な藤澤君が、珍しく『庇護欲』なんていう言葉を使ったことが面白かった。
「でも付き合い始めてからは一緒にいると落ち着くっていうか、甘えたいっていうか……。なんかよくわかんないけど今までの彼女といるときとちょっと違うんだよね」
「ふうん、それって褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
ヤカンのお湯が沸騰したので私は藤澤君の腕から逃れて二人分のコーヒーを淹れた。ペアのオレンジとグリーンのマグカップは先週二人で行った雑貨屋で買ったものだ。ダイニングテーブルにマグカップを二つ並べたそのとき、藤澤君のスマートフォンが鳴った。
藤澤君は画面を見ると少し眉間に皺を寄せたが、そのまま画面をタッチして通話を始めた。
「なに、どうした?」
そう電話口で話しながら藤澤君は廊下に消えた。私は残されたリビングでひとり、コーヒーを飲んでいた。藤澤君の口調から、相手はなんとなく女性のような気がした。
数分後、通話を終えてリビングに戻ってきた藤澤君はなんだかソワソワしている様子だった。
「なにかあった?」
私が尋ねると藤澤君は言葉を濁した。
「いや……」
少しの沈黙の後、藤澤君が続けた。
「南沢さんがさ……、新人発表会の資料にかなり苦戦してるみたいで」
聞くと、来週頭にある新人研修発表会の資料がまだ完成していないらしい。
「今日他の先輩に見せたら、かなりきつく駄目出しされたらしくて、かなり落ち込んでた」
「そっか……」
藤澤君の話を聞きながら私は自分が入社した七年前のことを思い出していた。
仕事も分からず人間関係にも慣れず、精神的にも体力的にも入社一年目は本当に大変だった。
南沢さんも初めての社会人生活できっと大変な思いをしているんだろうと私は思った。
「どうしようかなあ……。あー、奈々美さんとのんびりしたいのに!」
藤澤君はダイニングテーブルに腰かけず立ったまま言った。少しの沈黙があった。
「……行ってきたら?」
藤澤君に返答を待たれているような気がして私はそう口にしていた。
「きっと藤澤君に来てもらいたくて電話をよこしたんじゃない?」
言ってしまってから、今のは嫌味に聞こえただろうかと思ったけれど、仕方がない。時刻は午後八時だった。今から会社に戻ったとしてもそれほど遅い時間にはならないだろう。
「うん……ごめんね、奈々美さん。南沢さん、どうも危なっかしくて、まだまだ目が離せないんだ」
そう話す藤澤君の口調に彼女への愛情の片りんがないか探してしまっている自分がいた。『今までの彼女はお世話してあげてるって感じでさ』と話していた先ほどの藤澤君の言葉が頭に浮かんだ。
つまり藤澤君の今までの彼女は南沢さんみたいなタイプの子だったということなのかな……と考えてしまう。
「先、寝てていいから。そんなに遅くはならないと思うけど」
そう言って藤澤君はいそいそと出かけていった。
藤澤君を見送った後、一人残された彼の部屋で悶々としながらも私はベッドに入って眠ろうとした。
なかなか寝つけずにウトウトしていたら玄関のドアの鍵が開く音がした。時計を見ると時刻は午後十一時だった。リビングにそっと藤澤君が入ってくる気配がした。
「……奈々美さん? 寝ちゃった?」
私の枕元に顔を寄せた藤澤君が小声で言った。私は目を瞑って寝たふりをしていた。
「ごめんね」
そう言って藤澤君は私の額にそっとキスをすると静かに部屋を出て行った。風呂場からシャワーの音が聞こえ始めたので、シャワーを浴びに行ったのだろう。
『ごめんね』なんて意味ありげに言われると、後ろめたいことでもあるのかと逆に不安になってしまう。そんな悲観的な自分の性格にうんざりした。
私は何も考えず藤澤君の香りに包まれて眠ることにした。
大丈夫。不安なことは何もない。新入社員の女の子に嫉妬してどうする、馬鹿らしい。
明日になれば、また藤澤君を独り占めできる週末がくる。
ところが、南沢さんの藤澤君への呼び出しはその日だけのことでは終わらなかった。
「あー、落ち着く」
「そう?」
首筋にあたる彼の吐息がくすぐったくてクスクスと笑いながら私は尋ねた。
「俺って実は結構甘えたい系だったのかな?」
後ろから私を抱き締めたまま、藤澤君は独り言のように言った。
「今までの彼女って、年下の子が多くてさ」
過去に付き合った人について藤澤君から聞くのは初めてだった。
「別に自慢とかじゃないんだけど『藤澤先輩~』って感じでなついてきて、気づいたらなんか付き合っちゃってたみたいなのが多くて」
「ふうん、やっぱモテるんだ」
そりゃそうだよねと私は心の中でつぶやいた。胸の奥が少し痛んだ。
「だからこんなに自分からぐいぐいいったの、奈々美さんが初めてかも」
そんな風に言われると照れてしまう。素直に嬉しかった。
「だから今までの彼女はなんかお世話してあげてるって感じでさ。初めは奈々美さんのことも、この人なんか危なっかしいから、見ててあげなきゃなって感じの庇護欲?だったんだけど」
「難しい言葉、知ってるね」
時々言葉の使い方を間違えるお子様な藤澤君が、珍しく『庇護欲』なんていう言葉を使ったことが面白かった。
「でも付き合い始めてからは一緒にいると落ち着くっていうか、甘えたいっていうか……。なんかよくわかんないけど今までの彼女といるときとちょっと違うんだよね」
「ふうん、それって褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
ヤカンのお湯が沸騰したので私は藤澤君の腕から逃れて二人分のコーヒーを淹れた。ペアのオレンジとグリーンのマグカップは先週二人で行った雑貨屋で買ったものだ。ダイニングテーブルにマグカップを二つ並べたそのとき、藤澤君のスマートフォンが鳴った。
藤澤君は画面を見ると少し眉間に皺を寄せたが、そのまま画面をタッチして通話を始めた。
「なに、どうした?」
そう電話口で話しながら藤澤君は廊下に消えた。私は残されたリビングでひとり、コーヒーを飲んでいた。藤澤君の口調から、相手はなんとなく女性のような気がした。
数分後、通話を終えてリビングに戻ってきた藤澤君はなんだかソワソワしている様子だった。
「なにかあった?」
私が尋ねると藤澤君は言葉を濁した。
「いや……」
少しの沈黙の後、藤澤君が続けた。
「南沢さんがさ……、新人発表会の資料にかなり苦戦してるみたいで」
聞くと、来週頭にある新人研修発表会の資料がまだ完成していないらしい。
「今日他の先輩に見せたら、かなりきつく駄目出しされたらしくて、かなり落ち込んでた」
「そっか……」
藤澤君の話を聞きながら私は自分が入社した七年前のことを思い出していた。
仕事も分からず人間関係にも慣れず、精神的にも体力的にも入社一年目は本当に大変だった。
南沢さんも初めての社会人生活できっと大変な思いをしているんだろうと私は思った。
「どうしようかなあ……。あー、奈々美さんとのんびりしたいのに!」
藤澤君はダイニングテーブルに腰かけず立ったまま言った。少しの沈黙があった。
「……行ってきたら?」
藤澤君に返答を待たれているような気がして私はそう口にしていた。
「きっと藤澤君に来てもらいたくて電話をよこしたんじゃない?」
言ってしまってから、今のは嫌味に聞こえただろうかと思ったけれど、仕方がない。時刻は午後八時だった。今から会社に戻ったとしてもそれほど遅い時間にはならないだろう。
「うん……ごめんね、奈々美さん。南沢さん、どうも危なっかしくて、まだまだ目が離せないんだ」
そう話す藤澤君の口調に彼女への愛情の片りんがないか探してしまっている自分がいた。『今までの彼女はお世話してあげてるって感じでさ』と話していた先ほどの藤澤君の言葉が頭に浮かんだ。
つまり藤澤君の今までの彼女は南沢さんみたいなタイプの子だったということなのかな……と考えてしまう。
「先、寝てていいから。そんなに遅くはならないと思うけど」
そう言って藤澤君はいそいそと出かけていった。
藤澤君を見送った後、一人残された彼の部屋で悶々としながらも私はベッドに入って眠ろうとした。
なかなか寝つけずにウトウトしていたら玄関のドアの鍵が開く音がした。時計を見ると時刻は午後十一時だった。リビングにそっと藤澤君が入ってくる気配がした。
「……奈々美さん? 寝ちゃった?」
私の枕元に顔を寄せた藤澤君が小声で言った。私は目を瞑って寝たふりをしていた。
「ごめんね」
そう言って藤澤君は私の額にそっとキスをすると静かに部屋を出て行った。風呂場からシャワーの音が聞こえ始めたので、シャワーを浴びに行ったのだろう。
『ごめんね』なんて意味ありげに言われると、後ろめたいことでもあるのかと逆に不安になってしまう。そんな悲観的な自分の性格にうんざりした。
私は何も考えず藤澤君の香りに包まれて眠ることにした。
大丈夫。不安なことは何もない。新入社員の女の子に嫉妬してどうする、馬鹿らしい。
明日になれば、また藤澤君を独り占めできる週末がくる。
ところが、南沢さんの藤澤君への呼び出しはその日だけのことでは終わらなかった。
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