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第54話 『6人のバレンタインデー』
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1986年(昭和61年)2月7日(金)~14日(金)
「もう! なんでこんなに難しいの!」
美咲は自宅のキッチンでブツブツと独り言を漏らしていた。真っ白なエプロンには、ココアパウダーが点々と付着している。もう6回目の失敗で、スーパーで買ってきた板チョコは、半分以上使っていた。
小学校の家庭科でクッキーの作り方は勉強していたが、美咲はあまり得意ではなかったのだ。
(失敗したくないのに……絶対美味しいの作りたいのに……)
そう思いながらも、手元は繊細な作業を丁寧に進めていく。
母親から借りた温度計で確認しながら、湯煎した板チョコをゆっくりと混ぜ合わせる。
悠真とはもう、そういう関係。それは分かってるし、すっごく嬉しいことだけど、たぶん、他の6人もそれなりに……。
だから明日は、なんかもっと特別なことをしなくちゃいけない気がする。
絶対、一番美味しいチョコ作ってみせるから!
凪咲は母親と一緒に佐世保の玉屋デパート内を歩いていた。
バレンタインの時期という事もあって菓子売り場には特設コーナーが設けられ、何種類かの輸入チョコレートも並んでいる。
「ねぇ、お母さん。これとこれとこれ」
凪咲は森永と明治の限定パッケージのチョコレートを次々と手に取る。
「全部買うの?」
「うん。だって美咲は手作りするって言ってたけど、絶対失敗すると思うの。私は確実に美味しいのをあげたいもん」
母親は少し呆れながらも、娘の作戦に付き合うことにした。
純美は母親と一緒にシーサイドモール内にあるココアハウス山下にいる。五峰町でも古くから続く洋菓子(材料)専門店だ。モールが開業するにあたって移転オープンしていた。
店内には既にバレンタイン用の材料が陳列されている。
「美咲ちゃんは手作り。凪咲ちゃんは市販って言ってたけど……」
昨日バレー部の練習で汗を流した後、3人でこの話をしたばかりだった。
「お母さん、やっぱり手作りにしようかな。でも、これも一応買っておいたほうが正解だよね」
純美は材料を選びながら、同じように陳列されている市販のバレンタイン用チョコレートを指差して言った。
「そうね。両方あれば安心だわ。帰ったら一緒に作りましょう」
純美は母親の言葉に安堵の表情を浮かべた。美咲と凪咲、それに礼子のことを考える。みんな悠真のことが好きなのは分かっている。でも、自分だって負けたくない。
そう思っていた。
礼子は自宅のキッチンで手際よく作業を進めていた。家庭科の成績が一番良かったことも自信になっている。母子家庭の礼子は小さい頃から母親を手伝って、料理全般が得意だったのだ。
購入した板チョコを溶かすための湯煎の準備は整っている。温度計で確認しながら、慎重にチョコレートを溶かしていく。この作業も含め、全てが段取り良く準備されているのだった。
「私は手作りで勝負。これなら負けない」
昨日、凪咲が市販のチョコレートを選ぶと聞いて、逆に礼子は確信を持った。美咲は手作りに挑戦するけれど不器用なことは知っている。純美は両方準備すると言っていた。
その分、自分の腕を信じよう。母親から教わった通りにやれば、きっと悠真も喜んでくれるはずだ。
そう思った。
「よーし、頑張ろう」
菜々子はスーパーのお菓子コーナーで、小さなチョコレートを何種類か選んでいた。
「お姉ちゃん、チョコレート……いっぱい買うんだね」
妹の麻衣がカゴを覗き込んできた。明治のアーモンドチョコに、ロッテのクランキー。他にもいくつかの小さなチョコレートが入っている。
「ばれんたいん?」
妹の声に菜々子はうなずく。
「へぇ、誰にあげるの?」
「……内緒♪」
菜々子は、手作りはあきらめていた。
不器用は自分でもわかっていたから、いつもの自分らしく好きなチョコレートを集めて渡そうと考えている。悠真とは誕生日が同じで、照れくさかったが2月1日にプレゼント交換をした。
菜々子にとって悠真はまだ手をつなぐだけの関係だが、それが菜々子にとっては心地よかった。小学校の同級生とは全く違う、大人っぽくてやさしい男の子。
それが菜々子にとっての悠真であった。
悠真なら、高級じゃなくても手作りじゃなくても、きっとそれでいいと分かってくれるはず。
そう思って菜々子はチョコレートの詰め合わせと自分で可愛く包装したセットを渡そうと考えたのだ。
「お姉ちゃん、袋も買うの?」
「そうだよ~」
妹の質問にうなずいて、菜々子は期待と不安を膨らませながら文具コーナーへ向かった。
恵美はスーパーのチョコレート売り場の前で立ち止まっていた。
「どれにしようかな……」
悠真と恵美は金曜日の下校くらいしか二人きりの時間がない。
バンドの練習と生徒会を両立している悠真とは、学校では日直くらいしか共同作業がないからだ。それでもいつも悠真は恵美に対して優しく接している。
それだけでも恵美にとっては十分嬉しかった。
週に一度の二人だけの時間だが、バレンタインの当日が金曜日で自分の日というのはラッキーだ。当日は下校まで待って、帰り道に渡そう。
そう考える恵美はロッテのガーナミルクチョコレートを選んだ。
■2月14日(金)バレンタインデー当日
朝の登校は南小の3人がいないので、木曜日が凪咲、金曜日が美咲、土曜日が純美にジャンケンで決まっていた。
待ち合わせの時間より30分も早く神社へやってきた美咲はそわそわして待っている。
前日に何度も失敗して、やっと完成させた手作りチョコが、バッグの中でカサカサと音を立てる。その音に美咲は頬を赤くした。
「早く来すぎちゃったかな……」
照れ隠しにつま先で小石を転がして弄んでいると、悠真が自転車を押しながらやってきた。
「おはよー♪ 美咲。早いな」
「べ、別に早くないよ! たまたまよ、たまたま!」
顔を背けながらバッグの中のチョコレートを取りだすが、包装紙のリボンが少し歪んでいることに今さら気づいて慌てる。
「これ! つ、作るの下手だから、味は保証しないからね!」
久しぶりの美咲のツンデレである。そのツンデレが愛情の裏返しだと分かっている悠真はニッコリと笑って返事をする。
「ありがとう。美咲が作ってくれたんだから、きっと美味しいよ」
さり気なく受け取る悠真に、美咲はますます顔を赤くした。
「も、もう! そんなこと言わないでよ!」
顔を真っ赤にして向こうを向く美咲に対して悠真が声をかける。
「美咲」
「え?」
振り向いた美咲を抱きしめて、悠真はキスをした。
「あ……」
驚いた美咲だったが、悠真のキスを受け入れ、目を見る。
「好きだよ、美咲」
「……私も悠真の事大好き♡」
通学路を歩きながら、美咲はときどき横目で悠真の様子をチラ見する。自転車に乗っているときはいつもより強く、ギュッと悠真を後ろから抱きしめた。
キスは何度もしたはずなのに、バレンタインデーだからなのか、それとも悠真に面と向かって好きだと言われたからなのか、真っ赤な顔はなかなか元に戻らなかった。
昼休み、凪咲は人混みを避けるように悠真を捜し出し、折りたたんだ小さな手紙を渡した。
『非常階段の屋上ドアの前に来て』
1年生の教室は3階にあり、屋上に行くには廊下の突き当たりにある非常階段を上らなければならない。
階段入り口は開閉自由なのだが、屋上に出るにはドアの鍵を職員室で借りないといけないので、踊り場まで上る人はいないのだ。
「悠真、あの……これ♡」
凪咲は顔を真っ赤にしながらカバンからそっと小さな包みを取り出した。白い包装紙に赤いリボンが映える。
「これ、私が選んだんだ。手作りじゃないけど、絶対おいしいからね」
控えめに差し出したチョコに、悠真は『ありがとう』とニッコリ微笑んで受け取る。
そのやさしい表情に、凪咲の心は少し高鳴った。
「……あ、あのね、これ、私……悠真のことが、その……好き……!」
凪咲の改まった告白に悠真は少し驚いたように目を見開き、すぐに優しくうなずいた。
「うん……知ってる♡ 嬉しいよ、オレも凪咲のこと好きだよ」
悠真はチョコレートを持ったまま凪咲の背に手を回し、抱きしめてキスをする。凪咲の顔がさらに真っ赤になった。
「みんな……みんな悠真の事好きなんだろうけど、私が、私が1番好きだからね!」
「うん」
悠真の返事とともに、凪咲は小走りで教室に戻っていった。
1時限目の休み時間から、菜々子は悠真の様子を観察していた。悠真の隣の席の菜々子には、廊下に出る悠真の姿が見えるはずだったが、悠真は教室に残ったままだった。
菜々子は少し離れた距離から悠真を見守っていたが、凪咲が悠真に小さな紙切れを渡して立ち去るのが見えた。その後すぐに悠真が非常階段へ向かっていったので、菜々子は少し遅れて後を追う。
屋上へ上がる非常階段へ、悠真と凪咲が入っていくのが菜々子には見えた。胸が締め付けられる思いだったが、このやり方なら人目を避けられる。
凪咲が立ち去って悠真が廊下に出て教室まで来た時、菜々子は急いでノートから一枚破り取り、『屋上』と走り書きして悠真に手渡すと、自分の方が先に非常階段を上っていった。
チョコレートの詰め合わせを握りしめながら、屋上のドア前で待つ。
悠真の足音が近づいてくる。
「あの……悠真」
階段を上ってきた悠真に、菜々子は小さな声で呼びかけた。窓からの光が菜々子の横顔を照らしている。
「ごめんね、こんな所まで」
「いいよ。ここなら誰もいないし」
悠真の言葉に、菜々子は少し顔を赤らめた。
「これ、バレンタインだから……」
誕生日のプレゼント交換とは違う、特別な思いを込めて菜々子は小さなプレゼントを差し出した。アーモンドチョコやクランキーを自分で詰め合わせた、可愛らしいラッピングの包み。
「ありがとう。菜々子の気持ちが嬉しいよ」
受け取った悠真の手が、そっと菜々子の手に触れる。誕生日が同じという特別な縁。でも今は、バレンタインの特別な時間。悠真が近づいてくる。
これは……これはもしかして……? 菜々子は目を閉じた。
二人の唇が、そっと重なる。
驚くほど自然な、菜々子のファーストキスだった。
「あのっ! 悠真……あの……私、悠真が、好き……」
「うん、オレも菜々子の事好きだよ」
そう言って悠真は菜々子の背中半分まで伸びた長いポニーテールに手を伸ばし、さわさわと触る。そして匂いを嗅いだ悠真は言う。
「オレ、この菜々子の香り好きだな」
悠真はそのまま指でくるくる菜々子の髪をからませながら続けた。
「は……恥ずかしい……」
直後に悠真は菜々子の耳にキスをした。
放課後、悠真を校舎の裏手に呼び出した純美は、小さな包みとコンビニで見つけた小さなチョコレートを手に持って、少しそわそわしている。
「えっと、これ、私の手作りと……売ってたチョコ、両方あるの」
「へえ~。ありがとう♪」
悠真が笑顔で純美に礼を言うと、純美は慌てて説明する。
「美味しいか分からないけど、両方あるといいかなって思って……」
「うん、純美が作って、選んだチョコならなんでも美味しいよ」
悠真が嬉しそうに受け取って微笑むと、純美は照れくさそうに笑顔を返し、少しだけ距離を縮めて手を握った。
「私、もっと近くで悠真のこと、いろんなこと手伝いたいから……これからもよろしくね」
悠真がそっと額にキスをすると、純美の顔が真っ赤になった。
礼子は悠真のバンドメンバーの祐介に手紙で頼み、少しだけ放課後の音楽室に行くのを待ってもらった。先に悠真が音楽室に入るので、そこでチョコレートを渡そうとしたのだ。
音楽室に一人で悠真がやってくるのを待っていた礼子は、緊張を隠しきれず、心臓がドキドキと高鳴るのを感じていた。手作りチョコの包みを握りしめて、窓際に立って待っていると、扉が開いて悠真が現れた。
「礼子? どうしたの、ここで待ってるなんて珍しいね」
「ちょっと渡したいものがあって……その、はい、これ。作ったの」
礼子は少しうつむきながらも、しっかりと悠真にチョコレートを手渡した。茶色の紙でシンプルに包んだチョコのラッピングに、控えめながらも彼女の真心がこもっている。
「おぉ、手作りなんだ。礼子、ありがとう♪」
悠真が嬉しそうに受け取ると、礼子は少しだけ自信を持って微笑んだ。
「他の子たちもきっとあげると思うけど……私、誰よりも頑張って作ったんだから。ちゃんと味わってよ」
「もちろんだよ。礼子の手作りだもん、大事に味わって食べるね」
その言葉に、礼子の胸が熱くなった。ずっと一途に想い続けてきた悠真に、こんな形で気持ちを表せることが何よりも嬉しいのだろう。
「礼子、……好きだよ」
「え? あ……うん。私も悠真のこと大好き」
悠真はそのまま礼子を抱きしめてキスをした。フレンチキスじゃない、濃厚なキスだ。そして悠真はブレザーの下に手を入れて、ブラウス越しにそのふくよかな胸をもむ。
「あ、だめ……ゆうま♡ 学校だよぅ……」
「うん、知ってる」
悠真はもう一度胸をもんだ後に手を離し、礼子を抱きしめた。
「また、明日ね」
「うん、また明日……」
明日は土曜日、礼子との下校の日である。
卓球部の練習も終わりに近づいていた。恵美は部室で着替えながら、バッグの中のガーナミルクチョコレートに触れる。特別なものじゃない、でもいつも二人で下校する時に買って食べる思い出の味だ。
バレンタインデーの金曜日、いつもと同じように部活終了後に玄関で待ち合わせる約束をしている。
悠真はバンドの練習を少し早めに切り上げると言っていた。
美咲や凪咲たち、他の子たちと比べると進展は遅いが、それでも毎週金曜日、二人で手をつないで帰る時間が恵美にとっては特別な宝物だった。
部活を終えて玄関に向かう恵美の胸は、少しだけ高鳴っていた。下駄箱の前で靴を履き替える悠真を見つけて、恵美は小走りに近づく。
「お待たせ」
「お疲れ。卓球部、今日は早かったね」
いつものように優しく微笑む悠真に、恵美も笑顔でうなずく。二人で校門を出て、いつもの帰り道。自然と手が重なり、指を絡める。恵美の小さな手を、悠真が少し強く握った。
「あの、悠真」
通り過ぎようとした商店の前で立ち止まり、恵美はバッグからチョコレートを取り出した。
「バレンタインだから……」
「ありがとう」
受け取った悠真が恵美を優しく抱きしめる。
「あ! ちょっと悠真……」
「ごめん! 嫌だったか?」
「そ、そうじゃないの……ただ、びっくりしちゃって……」
恵美は顔を赤らめながら、それでも悠真の胸の中で小さくうなずいた。
「いつものチョコレート」
恵美の言葉に、悠真は笑顔でうなずいた。そのまま手をつないで帰路につく二人の影が、夕暮れに長く伸びていく。
「今度の金曜日も、一緒に帰ろうね」
いつもの下校の約束を、恵美は少し照れながら口にした。
次回 第55話 (仮)『それぞれの想い』
「もう! なんでこんなに難しいの!」
美咲は自宅のキッチンでブツブツと独り言を漏らしていた。真っ白なエプロンには、ココアパウダーが点々と付着している。もう6回目の失敗で、スーパーで買ってきた板チョコは、半分以上使っていた。
小学校の家庭科でクッキーの作り方は勉強していたが、美咲はあまり得意ではなかったのだ。
(失敗したくないのに……絶対美味しいの作りたいのに……)
そう思いながらも、手元は繊細な作業を丁寧に進めていく。
母親から借りた温度計で確認しながら、湯煎した板チョコをゆっくりと混ぜ合わせる。
悠真とはもう、そういう関係。それは分かってるし、すっごく嬉しいことだけど、たぶん、他の6人もそれなりに……。
だから明日は、なんかもっと特別なことをしなくちゃいけない気がする。
絶対、一番美味しいチョコ作ってみせるから!
凪咲は母親と一緒に佐世保の玉屋デパート内を歩いていた。
バレンタインの時期という事もあって菓子売り場には特設コーナーが設けられ、何種類かの輸入チョコレートも並んでいる。
「ねぇ、お母さん。これとこれとこれ」
凪咲は森永と明治の限定パッケージのチョコレートを次々と手に取る。
「全部買うの?」
「うん。だって美咲は手作りするって言ってたけど、絶対失敗すると思うの。私は確実に美味しいのをあげたいもん」
母親は少し呆れながらも、娘の作戦に付き合うことにした。
純美は母親と一緒にシーサイドモール内にあるココアハウス山下にいる。五峰町でも古くから続く洋菓子(材料)専門店だ。モールが開業するにあたって移転オープンしていた。
店内には既にバレンタイン用の材料が陳列されている。
「美咲ちゃんは手作り。凪咲ちゃんは市販って言ってたけど……」
昨日バレー部の練習で汗を流した後、3人でこの話をしたばかりだった。
「お母さん、やっぱり手作りにしようかな。でも、これも一応買っておいたほうが正解だよね」
純美は材料を選びながら、同じように陳列されている市販のバレンタイン用チョコレートを指差して言った。
「そうね。両方あれば安心だわ。帰ったら一緒に作りましょう」
純美は母親の言葉に安堵の表情を浮かべた。美咲と凪咲、それに礼子のことを考える。みんな悠真のことが好きなのは分かっている。でも、自分だって負けたくない。
そう思っていた。
礼子は自宅のキッチンで手際よく作業を進めていた。家庭科の成績が一番良かったことも自信になっている。母子家庭の礼子は小さい頃から母親を手伝って、料理全般が得意だったのだ。
購入した板チョコを溶かすための湯煎の準備は整っている。温度計で確認しながら、慎重にチョコレートを溶かしていく。この作業も含め、全てが段取り良く準備されているのだった。
「私は手作りで勝負。これなら負けない」
昨日、凪咲が市販のチョコレートを選ぶと聞いて、逆に礼子は確信を持った。美咲は手作りに挑戦するけれど不器用なことは知っている。純美は両方準備すると言っていた。
その分、自分の腕を信じよう。母親から教わった通りにやれば、きっと悠真も喜んでくれるはずだ。
そう思った。
「よーし、頑張ろう」
菜々子はスーパーのお菓子コーナーで、小さなチョコレートを何種類か選んでいた。
「お姉ちゃん、チョコレート……いっぱい買うんだね」
妹の麻衣がカゴを覗き込んできた。明治のアーモンドチョコに、ロッテのクランキー。他にもいくつかの小さなチョコレートが入っている。
「ばれんたいん?」
妹の声に菜々子はうなずく。
「へぇ、誰にあげるの?」
「……内緒♪」
菜々子は、手作りはあきらめていた。
不器用は自分でもわかっていたから、いつもの自分らしく好きなチョコレートを集めて渡そうと考えている。悠真とは誕生日が同じで、照れくさかったが2月1日にプレゼント交換をした。
菜々子にとって悠真はまだ手をつなぐだけの関係だが、それが菜々子にとっては心地よかった。小学校の同級生とは全く違う、大人っぽくてやさしい男の子。
それが菜々子にとっての悠真であった。
悠真なら、高級じゃなくても手作りじゃなくても、きっとそれでいいと分かってくれるはず。
そう思って菜々子はチョコレートの詰め合わせと自分で可愛く包装したセットを渡そうと考えたのだ。
「お姉ちゃん、袋も買うの?」
「そうだよ~」
妹の質問にうなずいて、菜々子は期待と不安を膨らませながら文具コーナーへ向かった。
恵美はスーパーのチョコレート売り場の前で立ち止まっていた。
「どれにしようかな……」
悠真と恵美は金曜日の下校くらいしか二人きりの時間がない。
バンドの練習と生徒会を両立している悠真とは、学校では日直くらいしか共同作業がないからだ。それでもいつも悠真は恵美に対して優しく接している。
それだけでも恵美にとっては十分嬉しかった。
週に一度の二人だけの時間だが、バレンタインの当日が金曜日で自分の日というのはラッキーだ。当日は下校まで待って、帰り道に渡そう。
そう考える恵美はロッテのガーナミルクチョコレートを選んだ。
■2月14日(金)バレンタインデー当日
朝の登校は南小の3人がいないので、木曜日が凪咲、金曜日が美咲、土曜日が純美にジャンケンで決まっていた。
待ち合わせの時間より30分も早く神社へやってきた美咲はそわそわして待っている。
前日に何度も失敗して、やっと完成させた手作りチョコが、バッグの中でカサカサと音を立てる。その音に美咲は頬を赤くした。
「早く来すぎちゃったかな……」
照れ隠しにつま先で小石を転がして弄んでいると、悠真が自転車を押しながらやってきた。
「おはよー♪ 美咲。早いな」
「べ、別に早くないよ! たまたまよ、たまたま!」
顔を背けながらバッグの中のチョコレートを取りだすが、包装紙のリボンが少し歪んでいることに今さら気づいて慌てる。
「これ! つ、作るの下手だから、味は保証しないからね!」
久しぶりの美咲のツンデレである。そのツンデレが愛情の裏返しだと分かっている悠真はニッコリと笑って返事をする。
「ありがとう。美咲が作ってくれたんだから、きっと美味しいよ」
さり気なく受け取る悠真に、美咲はますます顔を赤くした。
「も、もう! そんなこと言わないでよ!」
顔を真っ赤にして向こうを向く美咲に対して悠真が声をかける。
「美咲」
「え?」
振り向いた美咲を抱きしめて、悠真はキスをした。
「あ……」
驚いた美咲だったが、悠真のキスを受け入れ、目を見る。
「好きだよ、美咲」
「……私も悠真の事大好き♡」
通学路を歩きながら、美咲はときどき横目で悠真の様子をチラ見する。自転車に乗っているときはいつもより強く、ギュッと悠真を後ろから抱きしめた。
キスは何度もしたはずなのに、バレンタインデーだからなのか、それとも悠真に面と向かって好きだと言われたからなのか、真っ赤な顔はなかなか元に戻らなかった。
昼休み、凪咲は人混みを避けるように悠真を捜し出し、折りたたんだ小さな手紙を渡した。
『非常階段の屋上ドアの前に来て』
1年生の教室は3階にあり、屋上に行くには廊下の突き当たりにある非常階段を上らなければならない。
階段入り口は開閉自由なのだが、屋上に出るにはドアの鍵を職員室で借りないといけないので、踊り場まで上る人はいないのだ。
「悠真、あの……これ♡」
凪咲は顔を真っ赤にしながらカバンからそっと小さな包みを取り出した。白い包装紙に赤いリボンが映える。
「これ、私が選んだんだ。手作りじゃないけど、絶対おいしいからね」
控えめに差し出したチョコに、悠真は『ありがとう』とニッコリ微笑んで受け取る。
そのやさしい表情に、凪咲の心は少し高鳴った。
「……あ、あのね、これ、私……悠真のことが、その……好き……!」
凪咲の改まった告白に悠真は少し驚いたように目を見開き、すぐに優しくうなずいた。
「うん……知ってる♡ 嬉しいよ、オレも凪咲のこと好きだよ」
悠真はチョコレートを持ったまま凪咲の背に手を回し、抱きしめてキスをする。凪咲の顔がさらに真っ赤になった。
「みんな……みんな悠真の事好きなんだろうけど、私が、私が1番好きだからね!」
「うん」
悠真の返事とともに、凪咲は小走りで教室に戻っていった。
1時限目の休み時間から、菜々子は悠真の様子を観察していた。悠真の隣の席の菜々子には、廊下に出る悠真の姿が見えるはずだったが、悠真は教室に残ったままだった。
菜々子は少し離れた距離から悠真を見守っていたが、凪咲が悠真に小さな紙切れを渡して立ち去るのが見えた。その後すぐに悠真が非常階段へ向かっていったので、菜々子は少し遅れて後を追う。
屋上へ上がる非常階段へ、悠真と凪咲が入っていくのが菜々子には見えた。胸が締め付けられる思いだったが、このやり方なら人目を避けられる。
凪咲が立ち去って悠真が廊下に出て教室まで来た時、菜々子は急いでノートから一枚破り取り、『屋上』と走り書きして悠真に手渡すと、自分の方が先に非常階段を上っていった。
チョコレートの詰め合わせを握りしめながら、屋上のドア前で待つ。
悠真の足音が近づいてくる。
「あの……悠真」
階段を上ってきた悠真に、菜々子は小さな声で呼びかけた。窓からの光が菜々子の横顔を照らしている。
「ごめんね、こんな所まで」
「いいよ。ここなら誰もいないし」
悠真の言葉に、菜々子は少し顔を赤らめた。
「これ、バレンタインだから……」
誕生日のプレゼント交換とは違う、特別な思いを込めて菜々子は小さなプレゼントを差し出した。アーモンドチョコやクランキーを自分で詰め合わせた、可愛らしいラッピングの包み。
「ありがとう。菜々子の気持ちが嬉しいよ」
受け取った悠真の手が、そっと菜々子の手に触れる。誕生日が同じという特別な縁。でも今は、バレンタインの特別な時間。悠真が近づいてくる。
これは……これはもしかして……? 菜々子は目を閉じた。
二人の唇が、そっと重なる。
驚くほど自然な、菜々子のファーストキスだった。
「あのっ! 悠真……あの……私、悠真が、好き……」
「うん、オレも菜々子の事好きだよ」
そう言って悠真は菜々子の背中半分まで伸びた長いポニーテールに手を伸ばし、さわさわと触る。そして匂いを嗅いだ悠真は言う。
「オレ、この菜々子の香り好きだな」
悠真はそのまま指でくるくる菜々子の髪をからませながら続けた。
「は……恥ずかしい……」
直後に悠真は菜々子の耳にキスをした。
放課後、悠真を校舎の裏手に呼び出した純美は、小さな包みとコンビニで見つけた小さなチョコレートを手に持って、少しそわそわしている。
「えっと、これ、私の手作りと……売ってたチョコ、両方あるの」
「へえ~。ありがとう♪」
悠真が笑顔で純美に礼を言うと、純美は慌てて説明する。
「美味しいか分からないけど、両方あるといいかなって思って……」
「うん、純美が作って、選んだチョコならなんでも美味しいよ」
悠真が嬉しそうに受け取って微笑むと、純美は照れくさそうに笑顔を返し、少しだけ距離を縮めて手を握った。
「私、もっと近くで悠真のこと、いろんなこと手伝いたいから……これからもよろしくね」
悠真がそっと額にキスをすると、純美の顔が真っ赤になった。
礼子は悠真のバンドメンバーの祐介に手紙で頼み、少しだけ放課後の音楽室に行くのを待ってもらった。先に悠真が音楽室に入るので、そこでチョコレートを渡そうとしたのだ。
音楽室に一人で悠真がやってくるのを待っていた礼子は、緊張を隠しきれず、心臓がドキドキと高鳴るのを感じていた。手作りチョコの包みを握りしめて、窓際に立って待っていると、扉が開いて悠真が現れた。
「礼子? どうしたの、ここで待ってるなんて珍しいね」
「ちょっと渡したいものがあって……その、はい、これ。作ったの」
礼子は少しうつむきながらも、しっかりと悠真にチョコレートを手渡した。茶色の紙でシンプルに包んだチョコのラッピングに、控えめながらも彼女の真心がこもっている。
「おぉ、手作りなんだ。礼子、ありがとう♪」
悠真が嬉しそうに受け取ると、礼子は少しだけ自信を持って微笑んだ。
「他の子たちもきっとあげると思うけど……私、誰よりも頑張って作ったんだから。ちゃんと味わってよ」
「もちろんだよ。礼子の手作りだもん、大事に味わって食べるね」
その言葉に、礼子の胸が熱くなった。ずっと一途に想い続けてきた悠真に、こんな形で気持ちを表せることが何よりも嬉しいのだろう。
「礼子、……好きだよ」
「え? あ……うん。私も悠真のこと大好き」
悠真はそのまま礼子を抱きしめてキスをした。フレンチキスじゃない、濃厚なキスだ。そして悠真はブレザーの下に手を入れて、ブラウス越しにそのふくよかな胸をもむ。
「あ、だめ……ゆうま♡ 学校だよぅ……」
「うん、知ってる」
悠真はもう一度胸をもんだ後に手を離し、礼子を抱きしめた。
「また、明日ね」
「うん、また明日……」
明日は土曜日、礼子との下校の日である。
卓球部の練習も終わりに近づいていた。恵美は部室で着替えながら、バッグの中のガーナミルクチョコレートに触れる。特別なものじゃない、でもいつも二人で下校する時に買って食べる思い出の味だ。
バレンタインデーの金曜日、いつもと同じように部活終了後に玄関で待ち合わせる約束をしている。
悠真はバンドの練習を少し早めに切り上げると言っていた。
美咲や凪咲たち、他の子たちと比べると進展は遅いが、それでも毎週金曜日、二人で手をつないで帰る時間が恵美にとっては特別な宝物だった。
部活を終えて玄関に向かう恵美の胸は、少しだけ高鳴っていた。下駄箱の前で靴を履き替える悠真を見つけて、恵美は小走りに近づく。
「お待たせ」
「お疲れ。卓球部、今日は早かったね」
いつものように優しく微笑む悠真に、恵美も笑顔でうなずく。二人で校門を出て、いつもの帰り道。自然と手が重なり、指を絡める。恵美の小さな手を、悠真が少し強く握った。
「あの、悠真」
通り過ぎようとした商店の前で立ち止まり、恵美はバッグからチョコレートを取り出した。
「バレンタインだから……」
「ありがとう」
受け取った悠真が恵美を優しく抱きしめる。
「あ! ちょっと悠真……」
「ごめん! 嫌だったか?」
「そ、そうじゃないの……ただ、びっくりしちゃって……」
恵美は顔を赤らめながら、それでも悠真の胸の中で小さくうなずいた。
「いつものチョコレート」
恵美の言葉に、悠真は笑顔でうなずいた。そのまま手をつないで帰路につく二人の影が、夕暮れに長く伸びていく。
「今度の金曜日も、一緒に帰ろうね」
いつもの下校の約束を、恵美は少し照れながら口にした。
次回 第55話 (仮)『それぞれの想い』
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