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「喜べマデリーヌ。さる高名な方がお前に結婚を申し込んでくださったぞ」
「・・・結婚?私に?」
父の書斎に呼び出され、なんの用かと思い足を運んだ先でマデリーヌを待っていたのは突然の結婚話だった。
「そんな、突然そんなことを言われても困るわお父様。それに、会ったこともない方とだなんて……困ります」
急な結婚話を持ち出され不安と困惑でオロオロするマデリーヌをよそに、彼女の父親のグリエット男爵は首を傾げながら「なぜそんなことを気にするんだ?」と口にした。
「貴族の結婚というのは家同士の繋がりをより強固なものにするためのいわば契約なんだよ。お母さんだってそうしてここに嫁いできたんだ。それに、我がグリエット家は現王国よりも長い歴史を持つ家系ではあるがお前の嫁入りのための持参金も用意できない程困窮しているんだ。それを先方は金銭など些細なことと言って持参金なしの条件で結婚すると仰っているんだ。こんな素晴らしい縁談を無下にするなんて持っての他だ」
「そんな・・・」
自分の意思など関係なく会ったことすらない男と結婚しなければならないなんて。
考えただけでこの先待ち受けるあまりに理不尽な運命にマデリーヌは目の前が真っ暗になる程の絶望を覚えた。
その日の夜。
マデリーヌは若い貴族たちが集まる舞踏会に出席していた。
広間には楽士たちが奏でる優雅な管弦楽が流れ、シャンデリアの輝きで照らされ室内は太陽の照りつける真昼のように明るい。
みなそれぞれ楽しげに語らい、歓談し笑いさざめく声がそこかしらから聞こえてくる。
広間の中央では華麗なステップで踊る男女たちが溢れ、ダンスの合間に思わせぶりな視線を交わし合う。
お互い気に入れば今夜一夜限りの恋人となり、一晩の逢瀬を愉しむのだろう。
だが、紳士淑女が集う社交の場にいるというのに当のマデリーヌは一人陰気に壁の花となっていた。
原因は今朝の縁談話で気持ちが落ち込んでいるのもあるが、そもそもマデリーヌは華やかな社交の場に出るのが大の苦手なのだ。
長い歴史を持つ名家の出ではあるが、困窮のあまり貴族とはほど遠い質素な暮らしをしているマデリーヌにとってこの舞踏会は苦痛でしかない。
早く帰りたい……とため息を吐き、ふと周りの令嬢たちが纏う豪華で煌びやかなドレスをチラリと眺めた。
自分の着ているくすんだオールドローズのドレスとは違い、シャンデリアの光を反射してキラキラ輝く鮮やかな色彩の渦はますますマデリーヌを落ち込ませる。
彼女たちと同じように貴族御用達の有名店であつらえたドレスを着たくても、家計は火の車で高価な新品のドレスを買う余裕などなく、古着を買ってようやく舞踏会に出席しているほどだ。
周りの令嬢たちはみな宝石と豪華なドレスで着飾り、美貌を武器に優雅に貴族然と振る舞っているというのに、自分はどうだ。
彼女たちを眺めていると自分がここにいるのが場違いに思えて憂鬱な気持ちになり、いつも早く帰りたいと思いながら時間を潰しているのだった。
「あら、またいつものくすみドレスのご令嬢がいらしてるわ」
クスクスと悪意に満ちた忍び笑いが聞こえ、マデリーヌが顔を上げると令嬢たちの一団がこちらを眺めながら口元を扇で隠し、口々に話しているのに気がついた。
「まあ本当。いつもああして椅子に座って陰気な顔をしているのよね。せっかくの舞踏会なのだから一緒に楽しめばいいのに」
「あんな着古したようなドレスを着ていたら誰だって陰気な顔をしてしまうわ。わたくしなら考えただけでも卒倒してしまいそうですもの」
「でもよく見るとなかなか可愛らしい方じゃないかしら。質素な出で立ちでなければ殿方がお声をかけてくれそうなものよ」
「仕方のないことですわ。ご実家の事情でドレスを買うのもままならないとお聞きしますし、お可哀想な身の上なのでしょう」
口々にあら、それはお可哀想と心にもないことを言いながら令嬢たちは立ち去って言った。
彼女たちの横柄で人を見下した態度にすっかり傷つけられたマデリーヌは椅子から立ち上がると、喉元まで出かかった嗚咽を堪え広間から飛び出した。
すれ違う人々に怪訝な顔をされたが、気になどしていられなかった。
一刻も早くここから離れたい。屈辱と羞恥で胸が張り裂けてしまいそうだ。
脇目も振らず長い回廊を抜け正面玄関を出て並木道を走り、噴水のある庭園にたどり着いた。
辺りに人気はなく、心地よい夜風が頬を撫でる。
大理石の縁台に腰掛け、しばらく静寂に包まれた夕闇を眺めていると堰を切ったように止めどなく涙があふれ出し、その場にうずくまってしまう。
心を蝕む絶望に、どうしようもない無力さに押しつぶされて消えてしまいそうで、どうにかなりそうだった。
「・・・結婚?私に?」
父の書斎に呼び出され、なんの用かと思い足を運んだ先でマデリーヌを待っていたのは突然の結婚話だった。
「そんな、突然そんなことを言われても困るわお父様。それに、会ったこともない方とだなんて……困ります」
急な結婚話を持ち出され不安と困惑でオロオロするマデリーヌをよそに、彼女の父親のグリエット男爵は首を傾げながら「なぜそんなことを気にするんだ?」と口にした。
「貴族の結婚というのは家同士の繋がりをより強固なものにするためのいわば契約なんだよ。お母さんだってそうしてここに嫁いできたんだ。それに、我がグリエット家は現王国よりも長い歴史を持つ家系ではあるがお前の嫁入りのための持参金も用意できない程困窮しているんだ。それを先方は金銭など些細なことと言って持参金なしの条件で結婚すると仰っているんだ。こんな素晴らしい縁談を無下にするなんて持っての他だ」
「そんな・・・」
自分の意思など関係なく会ったことすらない男と結婚しなければならないなんて。
考えただけでこの先待ち受けるあまりに理不尽な運命にマデリーヌは目の前が真っ暗になる程の絶望を覚えた。
その日の夜。
マデリーヌは若い貴族たちが集まる舞踏会に出席していた。
広間には楽士たちが奏でる優雅な管弦楽が流れ、シャンデリアの輝きで照らされ室内は太陽の照りつける真昼のように明るい。
みなそれぞれ楽しげに語らい、歓談し笑いさざめく声がそこかしらから聞こえてくる。
広間の中央では華麗なステップで踊る男女たちが溢れ、ダンスの合間に思わせぶりな視線を交わし合う。
お互い気に入れば今夜一夜限りの恋人となり、一晩の逢瀬を愉しむのだろう。
だが、紳士淑女が集う社交の場にいるというのに当のマデリーヌは一人陰気に壁の花となっていた。
原因は今朝の縁談話で気持ちが落ち込んでいるのもあるが、そもそもマデリーヌは華やかな社交の場に出るのが大の苦手なのだ。
長い歴史を持つ名家の出ではあるが、困窮のあまり貴族とはほど遠い質素な暮らしをしているマデリーヌにとってこの舞踏会は苦痛でしかない。
早く帰りたい……とため息を吐き、ふと周りの令嬢たちが纏う豪華で煌びやかなドレスをチラリと眺めた。
自分の着ているくすんだオールドローズのドレスとは違い、シャンデリアの光を反射してキラキラ輝く鮮やかな色彩の渦はますますマデリーヌを落ち込ませる。
彼女たちと同じように貴族御用達の有名店であつらえたドレスを着たくても、家計は火の車で高価な新品のドレスを買う余裕などなく、古着を買ってようやく舞踏会に出席しているほどだ。
周りの令嬢たちはみな宝石と豪華なドレスで着飾り、美貌を武器に優雅に貴族然と振る舞っているというのに、自分はどうだ。
彼女たちを眺めていると自分がここにいるのが場違いに思えて憂鬱な気持ちになり、いつも早く帰りたいと思いながら時間を潰しているのだった。
「あら、またいつものくすみドレスのご令嬢がいらしてるわ」
クスクスと悪意に満ちた忍び笑いが聞こえ、マデリーヌが顔を上げると令嬢たちの一団がこちらを眺めながら口元を扇で隠し、口々に話しているのに気がついた。
「まあ本当。いつもああして椅子に座って陰気な顔をしているのよね。せっかくの舞踏会なのだから一緒に楽しめばいいのに」
「あんな着古したようなドレスを着ていたら誰だって陰気な顔をしてしまうわ。わたくしなら考えただけでも卒倒してしまいそうですもの」
「でもよく見るとなかなか可愛らしい方じゃないかしら。質素な出で立ちでなければ殿方がお声をかけてくれそうなものよ」
「仕方のないことですわ。ご実家の事情でドレスを買うのもままならないとお聞きしますし、お可哀想な身の上なのでしょう」
口々にあら、それはお可哀想と心にもないことを言いながら令嬢たちは立ち去って言った。
彼女たちの横柄で人を見下した態度にすっかり傷つけられたマデリーヌは椅子から立ち上がると、喉元まで出かかった嗚咽を堪え広間から飛び出した。
すれ違う人々に怪訝な顔をされたが、気になどしていられなかった。
一刻も早くここから離れたい。屈辱と羞恥で胸が張り裂けてしまいそうだ。
脇目も振らず長い回廊を抜け正面玄関を出て並木道を走り、噴水のある庭園にたどり着いた。
辺りに人気はなく、心地よい夜風が頬を撫でる。
大理石の縁台に腰掛け、しばらく静寂に包まれた夕闇を眺めていると堰を切ったように止めどなく涙があふれ出し、その場にうずくまってしまう。
心を蝕む絶望に、どうしようもない無力さに押しつぶされて消えてしまいそうで、どうにかなりそうだった。
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