精霊国の至純

ハナラビ

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太陽と月

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 明るいホールの中でも、僕はもう目が眩むことはなかった。杖をつくか、誰かに手を引いてもらわなければ歩くことすら恐ろしかった昔とは違う。
 今はアーニアの手を取り、僕の方からその手を引いて歩くこともできている。
 大きなホールをゆっくり見渡すこともできた。
 色とりどりのドレスや魔力、それを一度に視界に入れてもふらつく事もない。
 
 大きな広間の中では、僕たちのことを噂している人々もいた。僕たちは色も遠いし手袋もしているので、ただの付き添いだと分かるはずだが……僕の色がエディと似ているので、初めて僕を目撃する人たちは驚いていたし、眉を顰めて僕を見る令嬢達もいた。騎士学校で見かけた事のある生徒たちもいて、彼らはアーニアの事を睨んでいるように思う。
 つまり僕たちは負の視線を集めていた。
 
「……分かっていましたが、やっぱり少し緊張しますね」
 
「大丈夫ですわ。あれだけ練習したんですもの。位置取りはわたくしも協力いたしますわ」
 
「はい。よろしくお願いします、アーニア」
 
 王城の敷地内の一番大きなホールには既に多くの人間が集まっており、僕たちも中ほどまで進んだ。と、そこで女性たちのざわめきが広がる。壇上に設けられた王族とそのパートナー専用の貴賓席にエディとお兄様が現れた。皆の視線はそこへ釘付けになる。特に竜人であるお兄様はかなり目立っていた。隣に最高位の閑吟を連れている所為もあるだろう。
 更にその後ろからアンジェリカ様とクリス様、ウィリアム様とミーシャ様が登場したので、僕たちへの視線は薄れたと思う。会場内のざわめきも大きくなり、皆が口々に様々なことを噂している。
 ミーシャ様はリチャード様によく似ていて、とても可愛らしいお方だった。兄妹間の歳が離れている為、末の妹君であるミーシャ様はまだ幼くあどけない少女ではあるが、美しさは既に周りの大人たちにため息をつかせるほどだった。
 
 公夜会を取り仕切るアンジェリカ様と皇太子であるウィリアム様、更に今年が社交界デビューであるミーシャ様が短く挨拶をして壇上から下り、最初に踊ることになった。
 その後で僕たちも踊った。広い会場の中央とはいえ、人がたくさんいる中で踊るのは中々難しい事だった。たくさん練習をしたけれど、流石にここまで大人数で踊る想定までできたわけではない。接触をしないようアーニアが上手く誘導してくれるので、それに合わせつつ何とか踊りきる。
 
「……フィシェル様、本当にありがとうございました。これで我が家も恥をかかずに済みましたわ」
 
「アーニアにはお世話になっていますから。僕の方こそ、いつもありがとうございます」
 
 料理の並ぶテーブルのそばや、賑やかに歓談をする人たちを避けて、僕たちは比較的落ち着いた雰囲気の会場の隅の方へと向かった。こちら側は僕たちを噂するというよりは、それらに巻き込まれたくない人が多いようで、周りからは遠巻きにされている。
 遠くでルドラたちが意外にも人に囲まれているのが見えた。ルドラは背が高いからよく分かる。身体を動かすことはやはりなんでも得意なのか、大柄のルドラが綺麗にアレビナをリードして踊るのはそれは絵になっていた。
 僕たちがそんな話をしていたところに、二度目のダンスを終えたウィリアム様とミーシャ様が逃げるようにやって来られたので、再び僕たちは注目の的になってしまう。
 
「こんばんは、フィシェル殿、アーニア嬢」
 
「ウィリアム様、ミーシャ様……こんばんは……」
 
 僕たちの挨拶に合わせて女性たちも言葉を交わした。
 
「フィシェル殿は、夜会は初めてでしょう。その割に随分とダンスがお上手で、驚きました」
 
「本当ですか?練習した成果が出ていたなら、良かったです。でも僕にはまだまだ周りを見る余裕が無くて……この後の事もありますし、もうしばらくは安心できません」
 
 僕が苦笑すると、ウィリアム様は頷いて相槌を打った。
 
「ああ……聞いていますよ。この後はエドワードと踊るのでしょう。やれやれ、相手が決まっているというのは羨ましい限りです。俺はこれからどうしようかと……」
 
 ウィリアム様がうんざりした様子でちらりと後ろを窺うと、かなり離れた所から遠巻きに見ていたはずの令嬢たちが、こちらへにじり寄って来ているのが見えた。とはいえ彼女たちも流石に話をしている最中に割り込んだりはしないだろう。僕は会話をなんとか続けようと、ミーシャ様に微笑みかけた。
 
「ミーシャ様は、この後どうなさるのですか……?」
 
「そうですね……私はまだ幼く、リチャードお兄様の意向もありますから……今日は顔を見せるだけなんです。今後も公夜会よりも、限られた人を招待する私夜会をアンジェリカお姉様と開き、そちらを主体にする予定です」
 
 僕は感心して頷きつつミーシャ様を見た。幼く見えるのに、随分と落ち着いてしっかりしている……多分、僕なんかよりもずっと思慮深い方なのだろう。
 
「アーニア嬢はどうされますか?ああ……そうだ、もし良ければ俺ともう少し一緒にいませんか。先の戦いの武勇をぜひお聞かせ願いたい」
 
「わ、わたくしは……」
 
 アーニアはウィリアム様に少し緊張した様子で、それでもきっぱりと言い切る。
 
「これからフィシェル様のお召換えの手伝いをする予定です。……その後は壁の花にでもなっています。ウィリアム様には、わたくしなんかよりももっと話すべきお相手がいらっしゃると思いますわ」
 
 アーニアの言葉に、ウィリアム様は少し驚いた様子だった。
 
「……女性に誘いを断られたことなんて、初めてだ」
 
 そんなことをぽつんと漏らす兄に、ミーシャ様が呆れた声を出す。
 
「お兄様……確かにお兄様に言い寄ってくる令嬢は、真にお兄様の事を見て下さっているわけではないのかもしれませんが……だからといって女性が全てそういう方ばかりな訳ではありませんわ。アーニア様は難しいお立場の女性ですから、お兄様の評判が落ちぬよう気遣ってくださっているのですよ」
 
 これにはウィリアム様だけでなく僕たちも言葉を失った。ミーシャ様の幼気な見た目からは想像もつかない言葉が飛び出し、驚いて固まってしまう。
 
「ミーシャ様……ありがとうございます。ですがわたくしのことでしたら、どうかお気になさらず。大丈夫ですわ」
 
 アーニアの言葉にもミーシャ様は首を横に振る。
 
「いいえ。何も大丈夫ではありませんよ、アーニア・シーメルン侯爵令嬢。貴女も、お兄様を利用して夜会で他の令嬢達よりも上に立ってやる、くらいの気概がなくてどうします!優しさも美徳ですが、貴女がそんなことでは……女性騎士の地位向上なんて望めなくてよ」
 
「は、はい……確かに、そうですわ……申し訳ございません……」
 
「フィシェル様も……アンジェリカお姉様から、この後の予定のお話は聞きましたわ。生半可な態度では、かえって付け入る隙があると思わせるだけですよ。毅然としていてくださいね」
 
「はい……頑張ります。ありがとうございます、ミーシャ様」
 
 ミーシャ様は一通り言いたいことを言うと、ウィリアム様の手を弾いて一人で貴賓席へと向かってしまった。残された僕たちは呆然とミーシャ様を見送る。
 
「……ミーシャは中々すごいでしょう。年の割に賢い子ではあるのですが……ご気分を害されていたら申し訳ない」
 
「僕は大丈夫です。初めてお話させていただきましたが、将来がとても楽しみなお方ですね」
 
「正直、何処にも嫁にやりたくない程です。ミーシャも結婚よりもまず国の為に何かしたいとずっと言っておりまして……彼女が活躍できる国にしなければといつも思わされています。アーニア嬢の件でもそうですが……リグトラントはまだまだ役職に女性が少ないですからね」
 
 僕はちらりとアーニアの様子を見た。些か落ち込んでいる様子だったので、僕がアーニアの為に何ができるかを必死で考えた。が、よく考えてみなくとも、先程のウィリアム様の提案はとても良かったように思う。
 皇太子殿下と話すことは、アーニアにとって悪いことばかりではないはずだ。
 
「アーニア。僕の方はラロもいますし、大丈夫ですから……ウィリアム様とお話させていただいてはどうですか」
 
「フィシェル様……」
 
「俺からも今一度お願いしたい。もちろん、本音を包み隠さず言えば……あちらの令嬢たちから逃れたいという気持ちもあります。ですが、先の戦いでの活躍を聞きたいのも本当です。アーニア嬢のお話は、俺の今後の政策の為にも必要です」
 
 アーニアが改めてウィリアム様を見つめる。そこでふと気付いたのだが、女性の中でもかなり背の高いアーニアは、ウィリアム様とほとんど目線の高さが同じだった。
 
「わ……分かりました」
 
「ではまず、一曲お相手願えますか?」
 
 アーニアは差し出された手に驚いたようだったが、おずおずと自分の手を重ねた。
 
「で、でもフィシェル様が……お一人になってしまいますわ」
 
 心配そうに僕を振り返るアーニアだったが、僕の背後を見て強張った表情を和らげた。
 
「ルストス様……」
 
「大丈夫。フィシェルは僕が連れて行くよ」
 
 アーニアは頷き、ウィリアム様に手を引かれるまま……再びホールの中央へと行ってしまった。こちらを見守っていた令嬢達が恨めしげに二人を見送っている。
 
「ルストス……ありがとうございます。でも、何かやりたいことがあったんじゃないんですか?」
 
「ああ……うん……」
 
 ルストスはウィリアム様とアーニアを静かに見ていた。
 
「たぶん、もう……大丈夫。リグトラントの未来は決まった」
 
 そういうと、ルストスが更に会場の隅の方へ僕を連れて行く。
 
「ルストス……あの、それって」
 
「エドワード様と、ついでにアルヴァトも一度控室へ戻ったよ。フィシェルの事は中々いい感じに噂になっている。エドワード様とお揃いの正装を見せ付けたのも効いてるね」
 
 僕が詳しく尋ねようとしたところで、ルストスに話題を変えられてしまった。こうなると僕は素直に従うことにしている。
 
「それなら良かったです。でも、問題はこの後ですね」
 
「その前に、少しだけ……ああ、来た来た。フィシェル、あちらがアレイザード・フレディアル様だよ。フラジェッタ様を養子にしようとされた方」
 
 僕は驚いてルストスの視線の先を見た。フラーティア様やアレクスと同じ、燃えるような赤髪の中年男性が一人でこちらへ向かってくる。
 僕は目を合わせて軽く会釈をした。
 
「初めまして。私はアレイザード・フレディアルです。エドワードの祖父にあたります。貴殿が……フィシェル殿……ですね」
 
「初めまして、アレイザード様。ずっとお会いできればと思っていました」
 
「……私もです。一度、話をしてみたかった……」
 
 そう言い合ったものの、僕とアレイザード様は次に言うべき言葉を見付けられなかった。それをしばらく黙って見守っていたルストスだったが、痺れを切らしたように告げる。
 
「……フレディアル伯爵。フィシェルはフラーティア様と随分と仲良くしておられますよ。フラジェッタ様と同じようにフィシェルの事を呼んでおられますし、贈り物もし合っておいでです。ちゃんと事情も聞いています。因みに今は僕が周辺の音を制御しているので、お好きに話していただいて大丈夫ですよ」
 
「あなたは、ルストス・ラートルム殿……ありがとうございます。では……フラーティアは……フィシェル殿の事を何と呼んでいますか」
 
「フィン、と……呼んでいただいています。この間は僕が贈った鞄の御礼に、美味しいケーキをご馳走になりました」
 
 僕がそう言って微笑むと、アレイザード様は悲しげだったが笑みを返してくれた。
 
「フィシェル殿はフラジェッタに……本当によく似ていますね。もう二十年も前の事ですが、それでも……忘れることはない。フラジェッタ自身と再会することは叶いませんでしたが、フィシェル殿にお会い出来て、本当に良かった……いつか、その内……フラーティアとエドワードと、四人で食事でもしましょう」
 
「はい、それは是非とも……」
 
 僕がそう返事を仕掛けたところで、ルストスが舌打ちをした。珍しいこともあるものだとルストスの視線の先を見ると、赤い髪で目付きのキツい女性がこちらへ足早に近寄って来る。
 
「あなた!」
 
「おお……ミルティア。話は終わったのかい」
 
「あたしを置いてフラフラしないでっていつも言ってるでしょう!あら、そちらは……確か、エドワードの半身だったかしら」
 
「初めまして、僕は……」
 
 会釈をして名乗ろうとしたところで、なんと鼻で笑われてしまう。僕は驚いて顔を上げた。
 
「ふん、田舎育ちはともかくとして……あなた半竜なんですって?せっかく本物の至純が見付かったと思っていたのに……しかも、男だなんて。はっきり申し上げますけれど、オルトゥルムとのハーフだと知っていたらあたしは貴方のことは認めなかったわ。エドワードには、もっと相応しい人間がいるはずですもの。この際染まってしまったというのならば、責任はとりましょう。ですが、エドワードには必ずその血を継ぐ子を残してもらいます」
 
 二人で話し終わっている上に、陛下にも通している内容を蒸し返されて、僕は思わず眉を顰めた。なるほど、皆がフレディアル家の現状を嘆くのも良くわかる。ルストスもため息をつく。

「フィシェル様、そろそろお時間です。参りましょう」
 
 どんな時でも、僕のことを様付けしたり敬語を使ったりもしてこなかったルストスがそう言って恭しく僕に頭を下げるので、僕は驚きつつも頷いた。
 
「お待ちなさい、まだ話は……」
 
「お下がりください、ミルティア・フレディアル様。フィシェル様は本来ならばもっと尊い扱いを受けなければならない御方です。フィシェル様が居られなければ、リグトラントは知を失った竜に遠からず襲われていました。テアーザの被害は、ミルティア様も聞き及んでおられるはず」
 
「だったら、何だって言うの。実際に戦って竜を討ったのは、エドワードでしょう?」

「……重ねて申し上げますが、フィシェル様が危険を承知で始祖古竜と対峙してくださらなければ、テアーザの比ではない規模の襲撃が国中で起こっていました。フィシェル様は、一伯爵夫人が軽んじていい御方ではありません」
 
 正直言ってルストスの言葉には自分が驚かないようにする方が必死だった。だけどそんな僕を気にかける様子もなく、ミルティア様の瞳の中には怒りが揺らめいていた。
 
「お前があたしを軽んじる事は良いと言うの?ルストス・ラートルム。お前の兄はまだ、フレディアルよりも下の議席に座っているのよ」
 
「今はそのような話はしておりません、ミルティア様。僕は貴女を軽んじているわけではない。フィシェル様を尊んでいるだけです」

「同じこと……っ!」
 
「まあまあ、ミルティア。閑吟の言葉を聞いたろう。もうよそう。ほら、あちらへ行って美味しい料理を食べようじゃないか。ああ、アレクスたちも見ているよ。みんな驚いている。ね、ミルティア」
 
 アレイザード様に宥められ、ミルティア様は最後にもう一度僕を睨み付けて鼻を鳴らすと、踵を返して離れて行った。アレイザード様は申し訳なさそうに頭を下げ、その後を追う。
 俯くルストスから僕にしか聞こえない程度の舌打ちがまた耳に届けられる。
 
「……本当に好きじゃない、あのひと」
 
「ルストス……庇ってくれてありがとうございます。僕では流石にミルティア様を上手く言い包めることはできませんでしたから、助かりました」
 
「……うん。いいよ。僕はこういうの得意だから」
 
「ルストスが友人で、頼もしいです」
 
 ぼくの言葉にルストスは驚いて顔を上げ、こちらを見た。
 
「あ……ぼ、僕も……友達を助けられて、良かった」
 
 二人でそう言って微笑み合っていたが、ルストスがハッとして僕の手を引く。
 
「いけない、時間がなくなっちゃう。もう行かなきゃ」
 
 ルストスの言葉に頷き、僕たちは一度会場を後にした。扉から出るときに振り返ると……ウィリアム様と楽しそうに話すアーニアが見えた。
 あれがきっと、リグトラントの未来なんだ。


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