置き去りの恋

善奈美

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紫綺&忍編

07 逃げ込んで来た猫(紫綺視点)

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 最近の日課は春名家に行き遼さんから色々な事を学び、貴羅の店で夕食をとる事だ。まあ、お金はかかるけど、落ち着いたら料理も覚えようかと考えている。
 
「どんな感じなの?」
 
 貴羅はそう問い掛けながら、出来立ての料理を俺の前に置いてくれた。
 
「楽しいかな。覚える事は多いけど、やりたいと思っていた事だ」
 
 基本的な操作は分かっていても、専門的な事となるとさっぱりだ。それでも、覚える事は苦痛じゃない。振りをせずに、自分ペースで動けるのがいい。
 
「楽しい事をやるのが一番だよ。身になるかは別としてね」
 
 やっぱり、言葉に棘が含まれてる。でも、これが貴羅のスタイルだ。短い時間でそれくらいは読み取れた。
 
「やっぱり、専門の学校に行くつもり?」
「そうするつもりだ。それくらいなら、何とか融通が利くから」
 
 やりたくなかった秋保の会社の仕事も、肩身がせまい思いをした役職も。今思えば良かったのだろう。少なくとも、この年齢の奴から比べたら、破格の給料を貰っていた。勿論、各種保険やらもきちんと付いていた。
 
 工藤さんの話で、俺は秋保の中で一族扱いではなく、あくまで社員という位置付けであったらしい。だから、俺が出していた辞表を無効に出来なかったようだ。勿論、退職金から諸々、工藤さんはもぎ取ってきてくれた。だから、当面の生活と、必要なことを行うくらいの金はある。工藤さんの勧めで職安の方にも行っている。相続に関することも、放棄の方向で調整中だと言ってくれた。
 
 そんなことを話しているときに、扉があり得ない音を立てた。勿論、営業時間内だ。店内には客の姿もある。当然、そんな音をたてれば、驚くのは当たり前だ。
 
「また? 今度は誰? ウチの扉はそんなに丈夫に出来てないんだけど」
 
 貴羅がウンザリしたように呟いた。でも、音の正体を確かめるために視線を向けた瞬間、俺達は凍りついた。そこに居たのは、有り得ない姿の忍君。貴羅が慌てたように厨房から出てきた。
 
「何やってるの?!」
「今まで、上手くいってたのに……」
 
 ボタンの飛んだシャツの前を握り締めて、上げた顔にあるのは殴られたような跡。
 
「紫綺、そこから忍を連れて二階に上がってくれる? 今日の分の料金は要らないから」
 
 俺は頷いて、二人に近付いた。
 
「今日は暁が居るから、忍の姿を見たら、必要な物は用意してくれる」
 
 何があったのか? いくら、そういう事に疎い俺でも分かった。何とか忍君を立たせて、二階に上がった。
 
「ちょっ! 如何したの?!」
 
 流石の暁も驚きを隠せないようだ。
 
「……バレたんだ………」
「如何いう事?」
「今まで、アカとキョウを隠れ蓑に使ってた。それがバレて……」
 
 襲われた、そう消え入りそうな声で言った。隠れ蓑って何なんだ?
 
「とりあえず、シャワー浴びて来なよ。服は貸すし、下着も新しいのがあるから。サイズは今だけだし我慢して」
 
 忍君は小さいく頷いた。
 
「傷口はきちんと水で洗い流しなよ」
 
 暁の言葉に素直に頷いてる。俺はそれを見送って、暁が戻ってくるのを待った。
 
「あれは、レイプか?」
「それくらいは分かるんだ? でも、感じから未遂だね。何とか逃れて、店に逃げ込んだってとこ」
 
 暁は小さく息を吐き出して、自分の部屋に入っていった。戻ってきた手には、必要な衣服が一式。それを脱衣所に置いてきてから、薬箱を持ってきた。
 
「兄さんと飛弾野さんが予防線を張ってくれていた筈なんだけど」
 
 さっきの呟きから、その予防線とやらは上手く機能していないんじゃないだろうか? 暁とキョウ君を隠れ蓑にしていたと言っていた。
 
「二人の力が及んでないんじゃないか?」
「そうだと思う。俺が忍の恋人だと嘘をついていた時期があって、その後はキョウにベッタリだったから」
 
 俺が調べた時、暁は不良達では相手が出来ないほど喧嘩が強い事を知った。その暁の恋人と偽る事で身を守っていたとしたら。その暁にユキ君という恋人が出来た。だから、暁の友人でユキ君の幼馴染みであるキョウ君に付き纏っていた。キョウ君に何かあれば暁が黙っていないだろうし、貴羅が関わっていたなら、尚更、手は出せない。
 
「おかしいと思ってたんだ。忍は確かに俺に依存している部分はあったけど、あの事件の後からしつこく付き纏ってくるようになったから」
 
 あの事件? 二人で話していると、忍君が風呂を終えて出てきた。頭がまだ、かなり湿っている。食卓テーブルの椅子に座らせて、暁は手当を始め、俺は何も出来なかったので濡れたままの髪を拭く。
 
 手当が終わる頃、貴羅が二階に上がってきた。
 
「店は?」
「早仕舞いだよ。このままにしておく事も出来ないしね」
「如何するの?」
「尚広を呼び出した」
 
 貴羅は忍君の前に膝をつき、両手を取って顔を覗き込んだ。
 
「相手は彼奴等か?」
 
 忍君は少し体を固くさせ頷いた。貴羅の問い掛けと、インターホンが鳴るのは同時だった。暁は小走りで玄関に向かい、一緒に来たのは初めて見る人物。だが、貴羅とは別の意味での怖さを感じた。
 
「歯止めが効いてない」
 
 貴羅がその人物を見上げ、眉間に皺を寄せながら言った。
 
「此処に来る前に何人かに話を訊いてきた。お前達の恨みで襲ったんじゃないみたいだぞ」
「如何いうことだ?」
「忍そのものを手に入れたいらしい」
 
 は?
 
「俺達が何を言っても無駄だ。意味合いが変わってる」
「偽物でも、相手を作るしかないのか?」
「そういうことだ。勿論、信頼出来る人物にだ」
「それだけじゃない。其れなりに強くないと意味がない」
 
 そして、何故か三人が俺に視線を向ける。如何してだ?
 
「此奴は?」
「俺の弟」
「は? 何時増えたんだ」
「最近。他に二人いるみたいだけどね」
 
 貴羅は何時も口調が軽い。でも、底が知れなくて、薄ら寒いものがある。
 
「紫綺、護身術は?」
 
 貴羅がそんな事を訊いてきた。一応、一通り習っている。
 
「其れなりに」
「そう……」
 
 貴羅はそう言うと忍君を立たせて暁に渡した。嫌な予感がする。一瞬で変わった気配。鳥肌が立ち、無意識に身構えた。其れは完全に癖だ。会社経営なんてものをしている一族に生まれたが故に、身に付けなくてはいけなかったからだ。
 
 貴羅があっという間に間合いを詰めて来た。目の前には右手の拳。寸でのところで躱し、その右手の手首を無意識に掴んだ。相手の力を利用して捻り上げ、その腕を相手の背に回し押し付けた。あ……、また無意識にやった……。やらないようにしていたのに。貴羅が本気で向かってくるのがいけない……。
 
「すまない」
 
 パッと手を離した。貴羅は面白そうに目を細めた。
 
「へぇ、凄いな。力、全く使ってないでしょう? しかも、無意識に体が動いてる感じだし」
「綺麗な顔してやるな。貴羅の弟。其れに、俺達みたいな我流じゃない」
 
 いや、確かに弟だけど名前はある。護身術はその道の人に習ったけど。
 
「春名の家に出入りしてるし、紫綺、恋人役ね。お世話にもなってるんだし」
 
 はい?
 
「見た目も良いし、さっきの感じだと、撃退も出来るんじゃないか? 貴羅の弟だって流せば効果絶大」
 
 この方は誰ですか? 話が段々大きくなってる上、また、俺自身は置いてけぼりっぽいんだが。
 
「この人、飛弾野 尚広さん。兄さんの悪友でこの辺りの初代総長」
 
 俺が置いてけぼり感満載なのを読み取ったのか、暁がそう言った。なんか、凄い事言ってなかったか? 初代総長って、悪の親玉だよな。其れが、貴羅の悪友って。俺が調べた時に出てきた仲間か。名前までは調べなかったしな。
 
 とりあえず忍君を休ませて、自宅には暁が連絡を入れた。父親には正直に事の顛末を話したようだ。
 
「一体、何があったのか恋人役をさせる気なら、正確に教えてくれ」
 
 何も知らないまま、宛行われるのは真っ平だ。そんなのは、秋保だけで十分だ。
 
「如何したもんかね」
 
 貴羅がそう言うと息を吐き出した。一体、何があったのか。暁が言っていたあの事件とは? 俺は忍君の身に何が起こったのか。真にその重大さを分かっていなかった。
 
 
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