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嘱目するスフェーン
第3話 魔眼と視覚
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後片付けはやっておくから早く寝ろ、というひすいさんのお達しがあったので、その日は、身支度を済ませた後、眠ってしまった。
翌朝、茶の間に、ひすいさんは現れなかった。寝室に戻った形跡もない。あの死体と夜通し向き合っていたのだろう。自分用の朝食と、ひすいさん用のサンドウィッチを作った。オレの分を食べてから、蝿帳をかぶせ、離れへと持っていった。
かつて撞球場として作られた建物は、芹澤ひすいの手によって、診察室と手術室を兼ね備えた作業場になっていた。
「もう朝ですけれど、進展はありましたか」
診察ベッドには昨日の死体が寝かせてあった。オレはドア近くの丸椅子に座った。ひすいさんはモニタから顔を上げた。
「大まかにだが、一応は。サンドウィッチはありがとう。食べながら解説するよ」
患者に病状を説明する医者のようになった。違う点は、デスクには飲食物が置いてあり、診察ベッドにはグロテスクな死体が載っていることだ。
「まず、今回の死体の特徴についてだ。通常と異なる点は何だと思う?」
診察ではなく、対面授業だ。
「眼球と脳が無いことでしょうか。死因もそれが原因では」
「正解だ。今回は頭部外傷かな。頭頂骨から楕円形にくりぬき、脳そのものを引き抜いたのが大きい。その後、眼球、視神経、それに合わせ瑰玉も取り出した。まあ、作業するのに暴れられると困るから、結構前には死んでいたと思うよ」
「それでは瑰玉と、咏回路だけ取り出せばよかったのではないでしょうか。単に殺意を持って殺すだけでしたら、手の込んだ殺し方をする必要はありません。瑰玉、つまり、その人の扱える奏術を奪い、新たに人間もどきに搭載するのに、わざわざ脳と眼球を奪う必要があるのですか」
ひすいさんはサンドイッチを飲み込むように食べている。おなかが空いていたのだろう。
「ユーイチ、これだよ」
そういうと、ひすいは、右目の眼帯を外した。
ブリリアントカットの義眼が露わになる。その輝きに注意が集まる。朝の光を集め、七色に反射している。光そのものをのぞきこむ感覚だ。
不意に、額を叩かれた。
「見すぎだ。コレは魔眼持ちだったのだよ」
「ひすいさんのそれは義眼ですよね。生まれながらにして魔眼などあるのですか」
質問して、ふと思い返す。昨晩、バーで出会った青年は義眼ではなかった。奏術を行使した様子もないが、あの店にいた全ての人間に注目が集まっていた。
「まあ、あることにはある。私のコレのように、周囲の注意を集めるもの、自身の存在を見えなくさせてしまうもの、相手に幻覚を見せたり、解析ができたりするものもあるな。未来予測もあるけれど、精度はピンキリだ。予測の魔眼だと、ほとんどが治療を希望している」
「眼球単体で魔眼ではないのですか」
「違うね。眼という光の情報を処理するだけでは、プリズムと変わりはしないよ。見えた情報に対して、どのように処理をするかが重要なのさ。例えば、私の魔眼、これは通常の視覚はない。つまり、何も見えてはいない、ということに近い。でも、亜鈴であれ、人間もどきであれ、動きが停止するだろう。脳の特定箇所を魔眼と接続させて、「人の形をしている」と脳で認識したものに対して、注意を向けさせる奏術が発生されるのさ」
どういうことだろうか。
「まあ、私の魔眼は今は関係ない。この死体は、魔眼を持っていて、それを奪われた可能性が高いってことだ」
「魔眼については、わかりました。魔眼が珍しいというなら、きっと目立っていたのではないですか」
腕を組み、ひすいさんは椅子に掛け直した。
「そうだねえ。結局は聞き込みに出るしかないね。土生津が言っていた、最初にこれが持ち込まれた丸の内の屯所に向かうかね」
これから外出になるようだ。ひすいさんは、再度、死体、遺体と言い換えたほうがいいか、に防腐の奏術を掛けていた。もともとかかっていたものに対して二重にかけている。
「着替えてきます。皿は台所の流しに入れておいてください」
「はいよ」
手を振るひすいさんを背に、オレは元撞球場を出た。
車寄せのために作られた、小さな盛り土には、アヤメとヤグルマギクが咲いていた。
風に吹かれて、花を揺らすさまは、躰を揺らしながら歌っているように見える。
「去年の秋に蒔いたものだが、ちょうど見ごろのようだな」
ふりかえると、大きめのトランクケースを提げたひすいさんが立っていた。
「随分、身支度に時間がかかりましたね」
「これから出かけるのだろう。着たい服を選ぶのだから時間がかかるのは当然だろう」
そういって先を歩き始めた。ツイードのジャケットに膝下丈のスカート。営業ではなく、切った張ったが常の仕事だ。ジャケットの内ポケットに杖が仕込んであり、ミリタリーブーツを履いているだけマシなのかもしれない。
「戦闘は全部、オレが担当するってことですか」
「もちろんだとも。頑張ってくれたまえよ」
意気揚々と歩くひすいさんの斜め右後ろに位置しながら、彼女に続いた。
いくつか角を曲がり、大通りに出る。ここから、昨日の遺体が届けられた場所まで徒歩になる。東京の地下には鉄道が今現在でも走り続けているという噂は耳にしたことがあるが、噂は噂だ。川沿いの屋敷でもないので、ひたすら歩き続けた。
大きな橋が近づくにつれて、人の流れが増してきた。橋が見えるところまで行くと、何やら騒ぎが起きているらしい。無視して進もうとしたが、人の壁は厚い。隣の橋を使おうかと迷っていると、興奮気味の野次馬に声を掛けられた。
「橋のところにぶら下がっている三人、見せしめの、やつらを見たか。やっべえぞ。瑰玉も咏回路も食いちぎられた跡があるんだ。暴食王が帰ってきたって本当なんだな」
翌朝、茶の間に、ひすいさんは現れなかった。寝室に戻った形跡もない。あの死体と夜通し向き合っていたのだろう。自分用の朝食と、ひすいさん用のサンドウィッチを作った。オレの分を食べてから、蝿帳をかぶせ、離れへと持っていった。
かつて撞球場として作られた建物は、芹澤ひすいの手によって、診察室と手術室を兼ね備えた作業場になっていた。
「もう朝ですけれど、進展はありましたか」
診察ベッドには昨日の死体が寝かせてあった。オレはドア近くの丸椅子に座った。ひすいさんはモニタから顔を上げた。
「大まかにだが、一応は。サンドウィッチはありがとう。食べながら解説するよ」
患者に病状を説明する医者のようになった。違う点は、デスクには飲食物が置いてあり、診察ベッドにはグロテスクな死体が載っていることだ。
「まず、今回の死体の特徴についてだ。通常と異なる点は何だと思う?」
診察ではなく、対面授業だ。
「眼球と脳が無いことでしょうか。死因もそれが原因では」
「正解だ。今回は頭部外傷かな。頭頂骨から楕円形にくりぬき、脳そのものを引き抜いたのが大きい。その後、眼球、視神経、それに合わせ瑰玉も取り出した。まあ、作業するのに暴れられると困るから、結構前には死んでいたと思うよ」
「それでは瑰玉と、咏回路だけ取り出せばよかったのではないでしょうか。単に殺意を持って殺すだけでしたら、手の込んだ殺し方をする必要はありません。瑰玉、つまり、その人の扱える奏術を奪い、新たに人間もどきに搭載するのに、わざわざ脳と眼球を奪う必要があるのですか」
ひすいさんはサンドイッチを飲み込むように食べている。おなかが空いていたのだろう。
「ユーイチ、これだよ」
そういうと、ひすいは、右目の眼帯を外した。
ブリリアントカットの義眼が露わになる。その輝きに注意が集まる。朝の光を集め、七色に反射している。光そのものをのぞきこむ感覚だ。
不意に、額を叩かれた。
「見すぎだ。コレは魔眼持ちだったのだよ」
「ひすいさんのそれは義眼ですよね。生まれながらにして魔眼などあるのですか」
質問して、ふと思い返す。昨晩、バーで出会った青年は義眼ではなかった。奏術を行使した様子もないが、あの店にいた全ての人間に注目が集まっていた。
「まあ、あることにはある。私のコレのように、周囲の注意を集めるもの、自身の存在を見えなくさせてしまうもの、相手に幻覚を見せたり、解析ができたりするものもあるな。未来予測もあるけれど、精度はピンキリだ。予測の魔眼だと、ほとんどが治療を希望している」
「眼球単体で魔眼ではないのですか」
「違うね。眼という光の情報を処理するだけでは、プリズムと変わりはしないよ。見えた情報に対して、どのように処理をするかが重要なのさ。例えば、私の魔眼、これは通常の視覚はない。つまり、何も見えてはいない、ということに近い。でも、亜鈴であれ、人間もどきであれ、動きが停止するだろう。脳の特定箇所を魔眼と接続させて、「人の形をしている」と脳で認識したものに対して、注意を向けさせる奏術が発生されるのさ」
どういうことだろうか。
「まあ、私の魔眼は今は関係ない。この死体は、魔眼を持っていて、それを奪われた可能性が高いってことだ」
「魔眼については、わかりました。魔眼が珍しいというなら、きっと目立っていたのではないですか」
腕を組み、ひすいさんは椅子に掛け直した。
「そうだねえ。結局は聞き込みに出るしかないね。土生津が言っていた、最初にこれが持ち込まれた丸の内の屯所に向かうかね」
これから外出になるようだ。ひすいさんは、再度、死体、遺体と言い換えたほうがいいか、に防腐の奏術を掛けていた。もともとかかっていたものに対して二重にかけている。
「着替えてきます。皿は台所の流しに入れておいてください」
「はいよ」
手を振るひすいさんを背に、オレは元撞球場を出た。
車寄せのために作られた、小さな盛り土には、アヤメとヤグルマギクが咲いていた。
風に吹かれて、花を揺らすさまは、躰を揺らしながら歌っているように見える。
「去年の秋に蒔いたものだが、ちょうど見ごろのようだな」
ふりかえると、大きめのトランクケースを提げたひすいさんが立っていた。
「随分、身支度に時間がかかりましたね」
「これから出かけるのだろう。着たい服を選ぶのだから時間がかかるのは当然だろう」
そういって先を歩き始めた。ツイードのジャケットに膝下丈のスカート。営業ではなく、切った張ったが常の仕事だ。ジャケットの内ポケットに杖が仕込んであり、ミリタリーブーツを履いているだけマシなのかもしれない。
「戦闘は全部、オレが担当するってことですか」
「もちろんだとも。頑張ってくれたまえよ」
意気揚々と歩くひすいさんの斜め右後ろに位置しながら、彼女に続いた。
いくつか角を曲がり、大通りに出る。ここから、昨日の遺体が届けられた場所まで徒歩になる。東京の地下には鉄道が今現在でも走り続けているという噂は耳にしたことがあるが、噂は噂だ。川沿いの屋敷でもないので、ひたすら歩き続けた。
大きな橋が近づくにつれて、人の流れが増してきた。橋が見えるところまで行くと、何やら騒ぎが起きているらしい。無視して進もうとしたが、人の壁は厚い。隣の橋を使おうかと迷っていると、興奮気味の野次馬に声を掛けられた。
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