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第一章
煙は遠く風に乗り
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神山の麓にある町、サイリウム。
住民のほとんどが神殿関係者の家族であり、敬虔な信者が暮らしている町として知られている。一方、貿易で栄える港町から帝都への中間地点にあり、旅人や商人が集まってくる。商店や宿屋が多く営まれており、小さいが活気のある町という顔もあった。
アナスタシアが入山した後、基本は自由時間となっており、各々好きなように過ごすことが許されている。ステファンにとっては、計画を煮詰める重要な時間であった。
目の前へ差し出されたフォークに、小さなケーキの切れ端が載っているのを、ステファンは困惑の表情で見つめた。
「食べてみてくれ。ステファンの感想が聞きたい」
そこまで言われ、チラつかせられたら断るわけにいかない。仕方なくステファンが口を開けると、ふわふわしたケーキを放り込まれる。舌の上に甘さが広がるが、しつこく残るものではなく、爽やかに消えていった。
「甘過ぎなくて、これなら食べられます。美味しいです」
「塩を使ったデザートは初めてだ。北部でも流行りそうだな」
そう言って考え深げにリュシアンは頷く。女性が多く集まるカフェのテラス席に男二人。周囲へ溶け込むために軽装の普段着だが、ボロを着ていてもリュシアンは目立つので、フードをかぶり、目元まで隠している。
そのため、ステファンは女性達の好奇の視線を一身に受けている。リュシアンから町のカフェに行こうと誘われたが、まさかこんなに注目されることになるとは思わなかった。
「塩はこの辺りの特産品ですからね。味が濃くて美味しいと評判です。ただ、あまり市場には出回らないと聞きますね」
「そうか。試しに少し買って帰ろう。料理に使えば、味が広がるな」
大公様がそう仰るなら頷くしかない。店の外に目をやると、カフェの前にリュシアンの部下が旅人の格好をして、立っているのが見える。あの強面の大男達が、ピンク色に彩られたこの店でお茶をしている姿が想像できない。外にいてくれてそれだけは助かったと思う。
「あの、そろそろ私はよろしいですか? 拠点に戻り、今後の人員配置について確認をしたいのですが……」
「そう急ぐな。皇女が戻ってくるにはまだ時間がかかる。それにお前のことだから、すでに殆どの仕事は終えているのだろう? 少しゆっくりする時間も必要だ」
机に手を置き、立ち上がろうとしたステファンだったが、その手の上にリュシアンが手を重ねてきたので、ビクッと身を震わせる。血が通っていないのかと思うくらい冷たい。驚いたおかげで、浮かせた腰をまた下ろすことになった。
「困らせたいわけではないんだ。ただ、君ともう少し、話がしたくてね」
「……理解できません。私は一介の騎士です。身分も低いですし、大公殿下に興味を持っていただくようなものではございません」
椅子に座り直すとリュシアンの手が離れたので、ステファンは鼻から息を吐き、冷静さを取り戻そうとした。
「うーん、それだな。どうも距離がある。リュシアンと呼んでくれ」
「はい?」
「あの時助けてもらったことが、俺にとって重要だったと言えば、分かってもらえるか?」
分からない。何一つ、分からない。
気軽に呼び捨てできるような相手ではない。この男と話すと全然冷静になれない。こんなに心が乱されるなら、あの時助けずに、見過ごしてしまえばよかった。
そんなステファンの心の内を見透かしたように、リュシアンは目を細めてクスリと笑う。
「まるで、歌っているみたいだった」
「はい?」
「あの夜、薄暗い路地で君が剣を抜き、私を助けてくれた時のことだ」
急に何を言い出すのか。全く読めない男に再び乱され、ステファンはあの夜のことを思い出す。どう考えても歌に該当しそうな場面はなかった。
「うた……ですか?」
「揶揄っているわけではない。ステファンの戦う様が歌を歌っているように見えたんだ」
「そんな風に……言われたのは初めてです……」
「北部には雪の歌という言葉がある。静かな雪原を歩き、雪を踏み鳴らす音が、人が歌うように聞こえるからだ。あの時、俺はステファンの走る音が、歌のように聞こえた。雪はなく、ただの地面を走っているだけ。だが、軽快でいて哀しくも美しくもあり……そうだな、風の歌とでも呼ぼうか……」
トクトクと心臓の音が鳴る。すばしっこいとか、勢いがあると評価されてきたが、まるで剣の腕だけでなく身のこなしから全てを褒められているようだ。嬉しくて照れくさい気持ちになる。胸が温かくなっていくのを感じた。
「風の歌ですか。そのように素敵な呼び方をしていただき光栄です。その……私のことはいいので、大公殿下のことを教えていただけませんか?」
「リュシアンと呼んでくれ。何が聞きたい?」
「たっ……リュシアン様の、家族のこととか……です」
どうも褒められると落ち着かなくて、ステファンは必死に他の話題を探した。考えると、リュシアンについて知らないことばかりだったので、家族について聞いてみることにする。
「前大公ご夫妻は静養地にいらしていて、今大公城にお住まいなのは……」
「俺と姉のエリザベス、エリザベスの息子、マクシミルだ。エリーは一度結婚したが、夫婦喧嘩で元夫を殴って離縁させて出戻りだ。喧嘩の原因は元夫の浮気だ」
いきなり個人的な内容まで踏み込んで紹介されて、ステファンは面食らってしまう。波風を立てないよう言葉を選ぶのに忙しい。
「それは……その男が悪いですね」
「ああ、当然の報いだ。殴られた衝撃で、家の窓を突き破って外へ飛び出たらしい。見てくれだけは良い男だった。エリーが気に入っての結婚だったが失敗した。元夫はこんな恐い女とは暮らせないと逃げ出した」
「恐い女……ですか」
「エリーは俺より背が高いし体格もいい」
「えぇ!?」
「息子のマクシミルは五歳だが、ソードマスターだ。俺の子供の時に似ている」
さすが男も女もみんな体格が良くて逞しいと言われる北部人だ。しかも、甥っ子のマクシミルが、すでにソードマスターだと聞いて空いた口が塞がらない。荒事の苦手なアナスタシアが上手くやっていくには、どう考えても厳しそうな環境だ。
「なかなかすごい方がご家族なのですね。ぜひ、会ってみたいところです」
「それはよかった。ステファンなら、みんなに気に入られるだろう」
「ええ、ぜひ」
ステファンは皇女が結婚したとしても同行者になれず、実際は駆け落ちする姫を助けて、極刑になる予定だ。そんな未来は来ないだろうと頭の中で笑った。
「ここまで来たからには、町の市場や特産品の製造方法を見学したい。色々行きたいところがあるんだ。ステファンに案内を頼みたい」
高貴な人間を案内するのは、責任者の仕事だ。皇女の駆け落ち計画を詰めたいなどと言い訳するわけにもいかず、ステファンは分かりましたと言って頷いた。
こうして一週間、あれこれと理由をつけて連れ回され、あっという間に過ぎてしまった。その間、リュシアンに何度も首都へ戻るよう説得したが、のらりくらりと交わされ、ついに皇女下山の知らせが来てしまった。
入山の時と同じく、麓の登山口に部下を集めて整列させる。リュシアンは少し離れたところに立っていた。
白い霧の中から神官に付き添われ、アナスタシアの姿が見えると、張り詰めていた空気が和らぐ。これで大きな仕事を終えたからだ。
ステファン、一人を除いて……。
下界に降り立ったアナスタシアは、リュシアンの方に頭を下げた後、すぐにステファンの側に駆け寄った。
「ステファン、どういうこと? どうしてまだあのお方がいるの?」
「……申し訳ございません。何度も帰るように説得しましたが、聞き入れてもらえませんでした。あの男は無視して、計画通りに実行するしかありません」
「大丈夫なの? 私が逃げると怪しんで監視しているのでしょう?」
「何か、ありましたか?」
他に聞かれないように小声で話し合っていると、背後から声が聞こえてきて、ステファンとアナスタシアはビクッと背中を揺らした。いつの間にか、離れたところにいたリュシアンがすぐ後ろにいたのだ。
「い、いえ! なんでもありませんわ。祈りの儀は問題なく終わりしました。何もかも順調でございます」
「それなら結構です」
アナスタシアは慌てて言葉を繕い、なんとか誤魔化そうとする。リュシアンはまた感情のない顔で微笑んだ。
「皇女殿下、首都へ帰る用意はできております。お着替えが終わりましたら出発しましょう」
「え、ええ。そうね。よろしく頼むわ」
催事用の服を着ているアナスタシアに準備を促すと、この場を離れられるからか、彼女は安堵した顔で侍女と共に邸へ入って行った。アナスタシアの後ろ姿をつい眺めていると、ポンと肩を叩かれる。
「我々は先に行かせてもらう」
「え?」
「儀式の終わりと、皇女が元気な様子も確認できたからな。後は戻るだけだろう」
「そうですね」
願ってもないことだった。これで計画通りにことが進められる。つい、安堵した気持ちが顔に出て、ステファンは口元を綻ばせてしまう。それを見たリュシアンは、面白いものでも見るかのように、プッと小さく噴き出した。
「演技が下手なところが問題なんだ。まぁ、そういうところが可愛いと思うのが、弱みというやつか」
「はい!?」
口元に手を当て、笑いを堪えるようにリュシアンは、ステファンに背を向けた。何を言われたのか理解できないステファンは、リュシアンを止めようと手を伸ばす。
「あの、いったいどういう……」
「後で会おう。健闘を祈る」
そう言って軽く手を上げ、颯爽と歩いて行くリュシアンの背中を見て、ステファンは悟った。
リュシアンは知っている。
アナスタシアが逃げようとしていることを知っているのだ。
彼ほどの男が、自分の結婚相手を調べていないはずがない。こちらも必死に隠していたが、どこからかアルフレッドとの関係が漏れた可能性がある。
だからあえて、婚約の話を進めた。アナスタシアが逃げれば、帝国にその失態の責任を負わせることができる。魔獣討伐の賠償と合わせて、かなりの額と目的の領地まで手に入れることができるだろう。
「なんて……男なんだ……」
ここまで付いてきたのは、アナスタシアの決心に揺らぎがないか、実際に自分の目で見て確認しに来たと考えられる。
それならそれで構わない。
リュシアンが利を得ようと得まいと、もう関係のない話だ。ステファンにとって後はない。ただ、前に進むだけ。
空は快晴。
狼煙を上げて出発の合図をする。
ここからは慎重にことを運ぶ必要がある。ステファンは人々の集まる場所から離れ、一人静かに動き出した。
住民のほとんどが神殿関係者の家族であり、敬虔な信者が暮らしている町として知られている。一方、貿易で栄える港町から帝都への中間地点にあり、旅人や商人が集まってくる。商店や宿屋が多く営まれており、小さいが活気のある町という顔もあった。
アナスタシアが入山した後、基本は自由時間となっており、各々好きなように過ごすことが許されている。ステファンにとっては、計画を煮詰める重要な時間であった。
目の前へ差し出されたフォークに、小さなケーキの切れ端が載っているのを、ステファンは困惑の表情で見つめた。
「食べてみてくれ。ステファンの感想が聞きたい」
そこまで言われ、チラつかせられたら断るわけにいかない。仕方なくステファンが口を開けると、ふわふわしたケーキを放り込まれる。舌の上に甘さが広がるが、しつこく残るものではなく、爽やかに消えていった。
「甘過ぎなくて、これなら食べられます。美味しいです」
「塩を使ったデザートは初めてだ。北部でも流行りそうだな」
そう言って考え深げにリュシアンは頷く。女性が多く集まるカフェのテラス席に男二人。周囲へ溶け込むために軽装の普段着だが、ボロを着ていてもリュシアンは目立つので、フードをかぶり、目元まで隠している。
そのため、ステファンは女性達の好奇の視線を一身に受けている。リュシアンから町のカフェに行こうと誘われたが、まさかこんなに注目されることになるとは思わなかった。
「塩はこの辺りの特産品ですからね。味が濃くて美味しいと評判です。ただ、あまり市場には出回らないと聞きますね」
「そうか。試しに少し買って帰ろう。料理に使えば、味が広がるな」
大公様がそう仰るなら頷くしかない。店の外に目をやると、カフェの前にリュシアンの部下が旅人の格好をして、立っているのが見える。あの強面の大男達が、ピンク色に彩られたこの店でお茶をしている姿が想像できない。外にいてくれてそれだけは助かったと思う。
「あの、そろそろ私はよろしいですか? 拠点に戻り、今後の人員配置について確認をしたいのですが……」
「そう急ぐな。皇女が戻ってくるにはまだ時間がかかる。それにお前のことだから、すでに殆どの仕事は終えているのだろう? 少しゆっくりする時間も必要だ」
机に手を置き、立ち上がろうとしたステファンだったが、その手の上にリュシアンが手を重ねてきたので、ビクッと身を震わせる。血が通っていないのかと思うくらい冷たい。驚いたおかげで、浮かせた腰をまた下ろすことになった。
「困らせたいわけではないんだ。ただ、君ともう少し、話がしたくてね」
「……理解できません。私は一介の騎士です。身分も低いですし、大公殿下に興味を持っていただくようなものではございません」
椅子に座り直すとリュシアンの手が離れたので、ステファンは鼻から息を吐き、冷静さを取り戻そうとした。
「うーん、それだな。どうも距離がある。リュシアンと呼んでくれ」
「はい?」
「あの時助けてもらったことが、俺にとって重要だったと言えば、分かってもらえるか?」
分からない。何一つ、分からない。
気軽に呼び捨てできるような相手ではない。この男と話すと全然冷静になれない。こんなに心が乱されるなら、あの時助けずに、見過ごしてしまえばよかった。
そんなステファンの心の内を見透かしたように、リュシアンは目を細めてクスリと笑う。
「まるで、歌っているみたいだった」
「はい?」
「あの夜、薄暗い路地で君が剣を抜き、私を助けてくれた時のことだ」
急に何を言い出すのか。全く読めない男に再び乱され、ステファンはあの夜のことを思い出す。どう考えても歌に該当しそうな場面はなかった。
「うた……ですか?」
「揶揄っているわけではない。ステファンの戦う様が歌を歌っているように見えたんだ」
「そんな風に……言われたのは初めてです……」
「北部には雪の歌という言葉がある。静かな雪原を歩き、雪を踏み鳴らす音が、人が歌うように聞こえるからだ。あの時、俺はステファンの走る音が、歌のように聞こえた。雪はなく、ただの地面を走っているだけ。だが、軽快でいて哀しくも美しくもあり……そうだな、風の歌とでも呼ぼうか……」
トクトクと心臓の音が鳴る。すばしっこいとか、勢いがあると評価されてきたが、まるで剣の腕だけでなく身のこなしから全てを褒められているようだ。嬉しくて照れくさい気持ちになる。胸が温かくなっていくのを感じた。
「風の歌ですか。そのように素敵な呼び方をしていただき光栄です。その……私のことはいいので、大公殿下のことを教えていただけませんか?」
「リュシアンと呼んでくれ。何が聞きたい?」
「たっ……リュシアン様の、家族のこととか……です」
どうも褒められると落ち着かなくて、ステファンは必死に他の話題を探した。考えると、リュシアンについて知らないことばかりだったので、家族について聞いてみることにする。
「前大公ご夫妻は静養地にいらしていて、今大公城にお住まいなのは……」
「俺と姉のエリザベス、エリザベスの息子、マクシミルだ。エリーは一度結婚したが、夫婦喧嘩で元夫を殴って離縁させて出戻りだ。喧嘩の原因は元夫の浮気だ」
いきなり個人的な内容まで踏み込んで紹介されて、ステファンは面食らってしまう。波風を立てないよう言葉を選ぶのに忙しい。
「それは……その男が悪いですね」
「ああ、当然の報いだ。殴られた衝撃で、家の窓を突き破って外へ飛び出たらしい。見てくれだけは良い男だった。エリーが気に入っての結婚だったが失敗した。元夫はこんな恐い女とは暮らせないと逃げ出した」
「恐い女……ですか」
「エリーは俺より背が高いし体格もいい」
「えぇ!?」
「息子のマクシミルは五歳だが、ソードマスターだ。俺の子供の時に似ている」
さすが男も女もみんな体格が良くて逞しいと言われる北部人だ。しかも、甥っ子のマクシミルが、すでにソードマスターだと聞いて空いた口が塞がらない。荒事の苦手なアナスタシアが上手くやっていくには、どう考えても厳しそうな環境だ。
「なかなかすごい方がご家族なのですね。ぜひ、会ってみたいところです」
「それはよかった。ステファンなら、みんなに気に入られるだろう」
「ええ、ぜひ」
ステファンは皇女が結婚したとしても同行者になれず、実際は駆け落ちする姫を助けて、極刑になる予定だ。そんな未来は来ないだろうと頭の中で笑った。
「ここまで来たからには、町の市場や特産品の製造方法を見学したい。色々行きたいところがあるんだ。ステファンに案内を頼みたい」
高貴な人間を案内するのは、責任者の仕事だ。皇女の駆け落ち計画を詰めたいなどと言い訳するわけにもいかず、ステファンは分かりましたと言って頷いた。
こうして一週間、あれこれと理由をつけて連れ回され、あっという間に過ぎてしまった。その間、リュシアンに何度も首都へ戻るよう説得したが、のらりくらりと交わされ、ついに皇女下山の知らせが来てしまった。
入山の時と同じく、麓の登山口に部下を集めて整列させる。リュシアンは少し離れたところに立っていた。
白い霧の中から神官に付き添われ、アナスタシアの姿が見えると、張り詰めていた空気が和らぐ。これで大きな仕事を終えたからだ。
ステファン、一人を除いて……。
下界に降り立ったアナスタシアは、リュシアンの方に頭を下げた後、すぐにステファンの側に駆け寄った。
「ステファン、どういうこと? どうしてまだあのお方がいるの?」
「……申し訳ございません。何度も帰るように説得しましたが、聞き入れてもらえませんでした。あの男は無視して、計画通りに実行するしかありません」
「大丈夫なの? 私が逃げると怪しんで監視しているのでしょう?」
「何か、ありましたか?」
他に聞かれないように小声で話し合っていると、背後から声が聞こえてきて、ステファンとアナスタシアはビクッと背中を揺らした。いつの間にか、離れたところにいたリュシアンがすぐ後ろにいたのだ。
「い、いえ! なんでもありませんわ。祈りの儀は問題なく終わりしました。何もかも順調でございます」
「それなら結構です」
アナスタシアは慌てて言葉を繕い、なんとか誤魔化そうとする。リュシアンはまた感情のない顔で微笑んだ。
「皇女殿下、首都へ帰る用意はできております。お着替えが終わりましたら出発しましょう」
「え、ええ。そうね。よろしく頼むわ」
催事用の服を着ているアナスタシアに準備を促すと、この場を離れられるからか、彼女は安堵した顔で侍女と共に邸へ入って行った。アナスタシアの後ろ姿をつい眺めていると、ポンと肩を叩かれる。
「我々は先に行かせてもらう」
「え?」
「儀式の終わりと、皇女が元気な様子も確認できたからな。後は戻るだけだろう」
「そうですね」
願ってもないことだった。これで計画通りにことが進められる。つい、安堵した気持ちが顔に出て、ステファンは口元を綻ばせてしまう。それを見たリュシアンは、面白いものでも見るかのように、プッと小さく噴き出した。
「演技が下手なところが問題なんだ。まぁ、そういうところが可愛いと思うのが、弱みというやつか」
「はい!?」
口元に手を当て、笑いを堪えるようにリュシアンは、ステファンに背を向けた。何を言われたのか理解できないステファンは、リュシアンを止めようと手を伸ばす。
「あの、いったいどういう……」
「後で会おう。健闘を祈る」
そう言って軽く手を上げ、颯爽と歩いて行くリュシアンの背中を見て、ステファンは悟った。
リュシアンは知っている。
アナスタシアが逃げようとしていることを知っているのだ。
彼ほどの男が、自分の結婚相手を調べていないはずがない。こちらも必死に隠していたが、どこからかアルフレッドとの関係が漏れた可能性がある。
だからあえて、婚約の話を進めた。アナスタシアが逃げれば、帝国にその失態の責任を負わせることができる。魔獣討伐の賠償と合わせて、かなりの額と目的の領地まで手に入れることができるだろう。
「なんて……男なんだ……」
ここまで付いてきたのは、アナスタシアの決心に揺らぎがないか、実際に自分の目で見て確認しに来たと考えられる。
それならそれで構わない。
リュシアンが利を得ようと得まいと、もう関係のない話だ。ステファンにとって後はない。ただ、前に進むだけ。
空は快晴。
狼煙を上げて出発の合図をする。
ここからは慎重にことを運ぶ必要がある。ステファンは人々の集まる場所から離れ、一人静かに動き出した。
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