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第一部

①旅立ち

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 龍の涙
 かつてこの世界には龍がいて、今生きる人々は、龍と混じり合って誕生したと言われている。

 大陸には、古くからの言い伝えがあった。
 この世で一番美しい人が、その生涯で一度だけ流す特別な涙。
 それは龍の涙と呼ばれ、その涙を手にした者は、大きな願いを叶えて、奇跡を起こすことができると言われていた。

 
 龍の涙を手にした男は、大陸の覇者となった。
 全てを支配する力を手に入れた男。
 しかし、友を殺し、愛する人を失った男に待ち受けていたのは、孤独という虚しさが、全てを覆い尽くす人生だった。
 


 ◇
 

 腰をやってしまった。
 父親がそう呟いた時、家族はみんな騒然とした。
 一家の存亡の危機だ。
 どうするんだいと母が叫び、弟や妹達がワァッと声を上げて泣いた。
 視線が自分に集まったのを感じたレアンは、項垂れるようにして頷くしかなかった。
 貧しい農家の子供は大事な働き手であるが、何かあれば食い扶持を減らすために使われることになる。
 いつか来るだろうと感じていた未来が来てしまい、手を握って耐えるしかなかった。

 レアンの一家は、小さな村に住む貧しい農家だ。
 貧乏子沢山とはよく言ったものだが、貧しいからといって計画性などなく、両親の他に五男四女の大所帯だった。
 レアンは一番年上で十五歳、下の兄弟達とは年が離れていて、一番下の子はまだ乳飲み子だった。
 一家はクモンという甘い実をつける植物を栽培していて、それを収穫して町に売りに行って生計を立てていた。
 クモンは砂糖のように、料理に甘さを加えるために使うもので、砂糖より安価に手に入るので、庶民の調味料として親しまれている。
 たくさん実をつけるが、根が強いので収穫には手間がかかり、仕分けて市に出すのにもまた手間がかかった。
 しかも今年はとんでもない豊作で、そのままにしておけば、来年に影響が出てしまう。
 動けるのは父とレアンとすぐ下の弟だけ。
 母はお腹が大きいので、誰か人を雇いたいがお金がないと言って嘆いている真っ只中のことだった。
 運が悪いことに、農耕具が次々と壊れて、それを新調する必要もあった。
 腰をやってしまった父は、しばらく使いものにならないだろう。
 なんとか収穫するにも人手が足りず、町への運搬にもお金が必要だった。

 父と母は、本当にすまないねと言ってレアンに頭を下げた。
 この話題が出たのは、昨日今日の話ではない。
 村の人や親戚からも、そうした方がいいと言われていたが、両親がそれだけはいやだと首を振っていた。
 だが、ついにその時が来てしまったということだ。
 貧しい農家の子として生まれた宿命、自分の容姿がお金になり、家族のためになるのなら、仕方がないことだとレアンは思うことにした。
 ここまで育ててくれた両親には感謝をしているし、忙しい両親に代わって、弟や妹の面倒を見てきたので、お腹を空かせる思いはさせたくない。
 レアンは両親に向かって笑顔を作り、分かったと頷いた。

 レアンは幼い頃から顔立ちが大叔母に似ていると言われてきた。
 大叔母は当時この辺りを治めていた領主様の妾になった人で、大変綺麗だったらしい。
 レアンの黒髪に茶色目は一般的で、よくある特徴ではあったが、地味ながら際立つものがあると言われた。
 女であったら大金持ちに嫁ぐこともできたのにと残念がられたが、成長するにつれて人々の話題となり、近くの村からも人が見にくるようになった。
 力仕事をしても少しも肉が付かず、日に焼けることのない肌に、女達だけでなく、男達からも熱い視線が注がれるようになったが、レアンにはある問題があった。

 まだ赤子の頃、熱病にかかったレアンは三日三晩泣き続けた。
 三日後に熱は下がって命は助かったが、それきり泣くことがなく、両親は喉にいいという薬を飲ませてくれたが、ほとんど声を出すことができなくなった。
 喋ることができないレアンは、村人から不気味だ、不吉だと言われて、疎まれることが多かった。
 このまま村に置くよりは、人買いに売った方がいい、親戚からそういう声が出た時、レアンは自分の運命を恨んだ。
 見た目はいいし、早いうちに売れば金になる、そうすれば人も雇えて、道具も新しくできる。
 そんな声が周りから聞こえてきて、両親はうんと言わなかったが、レアンはこのままではいられないことを悟った。
 子供は働き手であり、親の所有物、家の財産。
 そういった考えは広く知れ渡っていたし、一般的であったので、誰もがどうして早くそうしないのかと聞いてくるくらいだった。

 大きな町、都と呼ばれる場所から、人買いが頻繁に村を回っていて、働き手となる子供を買い取っていた。
 人買いが探しているのは、見た目が良く、金持ちに買い求められる子と、汚れ仕事など過酷な仕事の働き手だ。
 見た目がいい女の子は一番高く売れるらしいが、金持ちの中には、特殊な趣味を持つ者も多く、男でも器量が良ければ売れるとされていた。
 国で人身売買は違法とされていたが、地方での人集めは昔からされてきたので、風習として黙認されていた。

 レアンは自分がいくらで売られたかは知らない。
 ただ、親戚に言われるままに両親が頷いて、ちょうど村を回っていた人買いがすぐに家に来て、連れて行かれることになった。
 まだ辺りは薄暗く、弟や妹達は寝ている頃だった。
 頭を下げる両親の手を握って、レアンは家を出た。
 

「ほら、ここだ。さっさと乗れ。あー、名前は何だったか……」

「レア……レクだったか? 喋れないなんて、不便なやつだ。なんでもいい、とにかく急げ。こっちは疲れているんだ」

 人買いは二人組で、顎の突き出た男と腹の大きな男だった。
 声が出ない分、値を下げれたと言って笑いながら、レアンを幌馬車の荷台に乗せた。
 幌がかかった薄暗い荷台の中には、何人か人の姿があった。
 まだ明け方ということもあり、横になって寝ている者がほとんどだったが、年齢も同じくらいの男女に見えた。
 どこから来たのは分からないが、みんな同じように人買いに買われて、都に連れて行かれるのだろう。
 レアンはその一人に加わることになり、静かに空いていた端に腰を下ろした。
 他の者はもう慣れているのか、新入りであるレアンのことなど誰も見て来なかった。
 こうやって何度も馬車が止まり、新しい人間が一人一人と乗り込んでいく。
 そんな光景にいちいち反応してなどいられないのだろう。
 この先に待ち受ける自分達の運命は、過酷で厳しいものになる。
 それを嘆くことに精一杯で、他人のことなど頭に入れる余裕などない。
 誰もがそんな様子で俯いているのが見えた。

 馬車が走り出してしばらくしたら、隣にいた女の子がレアンのことを覗き込んできた。

「あなた、綺麗な顔しているけど、男の子よね?」

 突然話しかけられてレアンは驚いたが、聞かれた通りに頷いた。
 女の子は自分の名前をリタと名乗って、ペラペラと話しかけてきた。

「あなたが男の子でよかった。女の子じゃ私が一番可愛いもの。ライバルが増えると困るのよ。いい家に買われたいでしょう。でも、あなたは残念ね、男の子なら、すごい子がいるから。あの子には誰も勝てないわ」

 そう言って女の子が顎を動かした先には、うずくまって座っている人の姿があった。
 わずかに差し込んだ朝焼けの光に照らされた横顔。
 その男の子を見たレアンは、衝撃を受けて息を吸い込んだ。

 白銀にも見える金色の髪に、真っ白で人形のように整った顔をした子が座っていた。
 小さくて形のいい鼻、頬は果実のように色付いて、唇は赤く濡れていた。
 熟練の職人が人生をかけて精巧に作り上げた人形のようだ。
 そして、その顔で一番鮮やかに花を咲かせているのは、大きく開いた瞳だ。
 一瞬黒く見えたが、光が当たると深い青色をしていた。
 何も映すことのない気高い色はため息が出るほど美しくて、思わず吸い込まれるように見つめてしまった。

「あの子の近くの村に住んでいたから知っているわ。シエルって名前で、父親の分からない娼婦の子よ。同じ人間とは思えないわ。でもあの子って……」

 シエル、という名前を聞いたレアンは、体が痺れてしまい、それ以上リタの話が頭に入ってこなかった。

 知っている

 そう感じたら、心臓がドクドクと鳴り出して、体中の血が沸騰したように感じた。

 あの子を知っている
 
 今初めて見たのに
 どうして?

 シエル
 
 振り返った彼は、まるで神々の使いのように、尊い光を放ちながら、二人の名前を呼んだ……
 彼こそが、傾国の美男。
 その美しさは二人の友情と、大国を破滅に導いた。

 聞いたことのない、よく分からない話が頭の中に流れ込んできて、レアンは頭を抱えた。
 様子がおかしくなったレアンを見て、女の子は首を傾げた後、レアンから離れて他の子に話しかけに行ってしまった。
 レアンは頭を抱えたまま、ポタポタと大量の汗を流していた。
 よく分からない言葉、記憶、それが自分の記憶と混じり合って、頭が壊れてしまいそうだった。
 はぁはぁと荒い息をして、自分の肩を抱いた時、ブルっと震えて、レアンは全てを思い出した。

 これはおそらく前世の記憶。
 そんなことを考えたことすらなかったので、正しいことなのかも分からないが、昔見たというのが一番自分の中で当てはまった。
 遠い昔だ。
 農民の子、レアンとしての記憶ではない。
 それよりもっと前、前世と考えるのが自然に思える。
 そこがどんな世界で、自分が何であったかの細かい記憶はないが、一つだけ鮮明に思い出したものがあった。
 それは、よく読んでいた小説だ。
 二人の男が主人公で、切磋琢磨しながら成長して、お互いが国の王となる話だ。
 この話には主人公達の他にもう一人、重要な人物がいる。
 それが、主人公二人を翻弄して国を戦乱に追い込み、破滅へと導くと同時に、奇跡を生み出す存在である傾国の美男と呼ばれた男。
 この小説にヒロインらしいヒロインは登場しなかったために、彼がヒロインといってもよかった。
 二人の主人公に付かず離れず、絶世の美貌で二人を虜にしてしまうこの世で最も美しい人。

 それがシエル。

 未来を悲観して自暴自棄になり、バカな話、夢物語を妄想している。
 そう思いながら、頭を抱えたレアンは自分のこめかみを何度も指で撫でた。
 妄想だと思うのに、記憶をたぐり寄せている自分に気がついた。
 
 シエルの母親は、シエルを育てるために娼婦をしていた。
 父親は分からないが、どこかの貴族の落とし子で、母親は赤ん坊のシエルを抱えて町や村を渡り歩き、最後にふらりと小さな村に現れて、年老いた村長の家に匿われた。
 しかし母親が死ぬと、シエルを持て余した村長は、人買いに連絡をしてシエルを売ることにした。
 高値で売られたシエルは、人買いの馬車に乗せられて、主人公達と出会う都へ向かうことになる……
 次々と思い出す小説の記憶は、先ほどの女の子が語っていたものと酷似していた。

 嘘だ
 そう口にすることができないので、レアンの口からは小さな息が漏れた。
 こんな偶然があるだろうかと手が震えてしまった。
 ゆっくり手を頭から離して、再びあの少年の方を見ると、シエルと呼ばれた少年は、光に向かって眠っているように目を閉じていた。
 美しい……
 とても同じ人間には見えない。
 まるで、小説の世界から飛び出してきた、傾国の美男のまだ子供の頃……
 
 そうだ、そうとしか思えない。
 目の前に憧れていた小説の世界が広がっていることに感動して、わずかに腰を浮かせてしまったレアンだが、自分のマメだらけの手が視界に入って、ハッとしてしまった。

 自分はいったい何なのか。
 そう考えたら、一気に現実に引き戻された。
 たとえここが記憶にある小説の世界で、そこに生まれ変わったのだとしても、自分はただの名もなき農民の子だ。
 そして、ただ、後の傾国の美男と同じ馬車に乗り合わせただけの男。
 物語が始まるのは彼らで、自分は過去の回想に出てくる背景の一部でしかない。
 そう思ったら力が抜けて、床にペッタリと座り込んだ。
 どうして思い出してしまったんだろうと、力なく手を握り込んだ。
 自分が何でもない存在なら、何も知らずに、不安を抱えながら馬車に揺られていたかった。

 それとも
 思い出したことで、自分には別の未来があるのだろうか。

 そんなものはない。
 やはりこれは、全て自分が作り出した願望だと、首を振ったレアンは、膝を抱えて頭をうずめた。
 ガタガタと揺れる馬車がどこへ向かうのか、そんなことをもう考えたくなかった。


 

 (続)
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