サイファ ~少年と舞い降りた天使~

冴條玲

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第二章 白馬の王子様

第42話 悪役令嬢は町人Sと結婚していた

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「もう、夏休みも終わるね……」

 一日の終わりに、二人きりで静かに過ごす夜が、僕は大好きなんだけど。
 ようやく涼しくなってきた夜に、デゼルが寂しそうにつぶやいて、僕の肩に頬をすり寄せてきたんだ。
 どうしよう、すごく甘い。
 優しくデゼルの頭をなでてあげたら、デゼルがもっと寂しくなったみたいに瞳を翳らせた。
 デゼル、夏休みが終わったら、僕が家に帰ると思ってるのかな。

「寂しい?」
「うん……」

 わ、デゼルの白い頬を伝い落ちる涙がすごく綺麗。
 泣くデゼルがあんまり綺麗で、僕はデゼルの頬にそっと手をかけて、見詰めてた。
 嬉しいな、すごく可愛い。
 デゼル、僕が家に帰ってしまうの、そんなに寂しいんだ。

「もっと、ずっと、傍にいて欲しい?」
「? うん」

 僕が微笑んでそう聞いたら、デゼルが不思議そうにうなずいた。
 もう少し、デゼルの綺麗な涙を見ていたいけど――

「あのね、デゼル。明日には、神殿に僕のお部屋を頂けることになったから」
「え……?」
「闇主として公家に承認されたということは、僕とデゼルはもう、結婚してるってことなんだよ」

 デゼルがぽかんとして僕を見た。
 ふふ、知らなかったんだね。
 そうかと思えば、デゼル、びっくりしたみたいで、両手で口許を覆って目をまるくした。

「明日からは、僕と一緒に眠りたい日は、僕の部屋においで」

 透明感のある白い頬を桜色に染めたり、あわてた様子でわたわたしたり、デゼルってすごく、感情表現が素直で可愛い。

「えぇ、えぇ、毎日、行ったら、駄目よね……?」

 あは。
 毎日でも来たいんだ。
 これなら、デゼルが僕の言うこと聞いてくれなかったら、おしおきに今夜は一緒に寝てあげないって言ったらいいよね。
 そうしたら、デゼル、きっと何でも聞いてくれそう。

「おいで?」

 驚いた顔をした後、デゼルがぱあっと顔を明るくしたのが、あんまり可愛くて。
 ああもう、どうにかしたい。
 だから、僕はきゅっとデゼルを抱き締めて、言ったんだ。

「デゼル、すごく可愛い」

 デゼルの頬が見る間に桜色から、真紅に染まった。

「挙式は相応の歳になってからだって」

 嬉しいのか、照れてるのか、じたばたしながら僕の胸を小さな握りこぶしでぽむぽむ叩いたデゼルが、ふっと静かになって僕を見た。

「あ、でも。そしたら、サイファ様のお母さんが寂しい……?」
「うん、寂しいとは思うけど」

 この前、夕飯を届けてあげに行ったら、母さん、とっても困ってたんだ。

「母さん、挙式するまでは、あんまり、僕に帰ってきて欲しくないみたいだから」 
「?」
「その、十歳で闇主になるような子供の育て方をしたって、近所でうわさにされてしまって。ちょうどいいから、もっと、いい部屋を借りてあげたけど――僕が帰ったら、同じことになるから」

 子供のうちに契るのとかって、いけないことだったみたいで。
 だけど、三年後には公国が滅んでしまうのに、おとなになるまでなんて待っていられない。
 デゼルの闇主になったことを後悔はしないけど、母さん、とんでもない子供の育て方をしてるって、近所の人達から後ろ指をさされてしまって。

「サイファ様、ごめんなさい……」
「ガゼル様にデゼルをとられたくなくて、僕が決めたんだ。デゼルが謝ることなんて、何にも、ないんだよ? それに、デゼルが僕を闇主に選んでくれたおかげで、母さんはやっと、病気になれるようになったんだ」
「? 病気になれる??」
「これ以上、僕を休学させないために、母さん、病気になっても無理して働きに出てたから」
「……」
「だから、時々は、住んでる場所から遠い公園とかで、母さんに会おうと思ってる。外出許可くらいは、取ってもいいよね」

 デゼルが心配そうに、こくんと、うなずいてくれた。

「ガゼル様がね、マリベル様に母さんの債務整理を指示して下さって、本当に助かったんだ」

 噂のことも、マリベル様に相談してみたら、僕みたいな庶民が闇主になるのは初めてのことだから、政治的な思惑が絡んでいる可能性があるって言われて。
 僕を蹴落として公家のご機嫌を取るなり、僕の代わりに闇主になるなり、そういう思惑を持った貴族がいるんじゃないかって。
 僕には、そんなことのために、何も悪くない母さんをよってたかって悪く言うなんて、そこまでの悪意はとても信じられなかったけど。
 この程度のことはおとなの世界では日常茶飯事だし、人の心がどれほど邪悪になれるか、帝国で見てきただろうって言われたんだ。
 暴力を武器にする者は刃物を持って、徒党を組んで女子供に襲いかかってくる。
 奸計を武器にする者は言葉の刃物でもって、徒党を組んで女子供に切りつけてくる。
 その違いだけなんだって。
 暴力と奸計のどちらを武器にする者も、暴力での反撃を恐れて、おとなの男の人を狙うのはなるべく避けるんだって。
 俗世のドロついた思惑から闇巫女様を守るのも闇主の務め。
 この程度のことで動じないように、デゼルには言わないようにって。
 マリベル様のお言葉を聞いて、帝国でジャイロに後れを取った分まで、公国では僕がデゼルを守りたいと思った。
 闇神殿だけは、外界で人の悪意にさらされて、傷ついて、疲れて帰ってくるデゼルを癒してくれる、やすらぎの聖域であるように。
 ほんとはね、マリベル様がガゼル様に相談してくれるみたいで、それなら母さんは大丈夫って、動じずにいられるんだけど。
 今はまだ、それでいいんだ。
 おとなになるまでには、ガゼル様に頼らなくても、動じない僕になってみせるから。
 遥かな野心を胸に、僕を安心させてくれたガゼル様の口調やまなざしを思い出しながら、デゼルに言ってみた。

「――少し寂しい思いをさせるけど、母さんはラクになれたと思う」

 そうしたら、デゼルがほっとした様子になって、笑ってくれたんだ。
 よかった、デゼルを守ること、安心させてあげること、この二つだけは、今の僕にもできることで。


 三年後のこと、デゼルはまだ、公国が滅ぶかもしれないことを、ガゼル様に伝えていない。
 いつ、伝えるつもりなのかな。
 それとも、伝えないつもりなのかな。
 僕は、ガゼル様にだけは伝えた方がいいと思うんだけど。

 もう少し、落ち着いたら、デゼルに言ってみようかな。



 僕はまだ、子供で。
 いくつかの大切なことをデゼルに教えないことを、デゼルのためだって言うマリベル様の教えをうのみにしてしまったけど。
 翌週には、知ることになったんだ。
 デゼルにも、僕のために教えなかったことがあったことを。
 それを知った時、僕は――
 それは僕のためにならないと思った。
 だって、僕は大切なことは知りたかった。

 デゼルは?

 僕がデゼルのために教えなかったこと、デゼルは知らなくてよかった?
 僕の隠し事は、僕のためにはなったんだ。

 それってまるで――

 僕が、僕のために教えなかっただけみたいだ。
 相手のためになる隠し事なんて、本当はひとつもないのかもしれない。
 隠し事をする時に誰かのためなんて、最低の自己満足なのかもしれない。
 だけど、僕は後悔できなかった。
 ごめんね、デゼル。
 死ぬよりつらい目に遭わせても、僕はデゼルに、生きて傍にいてほしかった。
 笑って傍にいてほしかったんだ。
 僕って、とっても冷酷なのかもしれない。
 全然、優しくないよね。

 僕が冷酷でも、僕はひとつも困らないんだけど、ね。
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