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教会

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 銀貨2枚を握り締め、冷たい雨の降る中をひたすら走りアリシアは町へ出た。宿屋や食堂以外は店仕舞いが済んで足早に家路に着く人の流れが出来ていた。アリシアはその流れに逆らわず、目的の建物に向った。

「おや、アレックスじゃないか」

 偽名を使って知り合った店のおかみさんに声を掛けられたが、それに対応できるだけの余裕はこの時のアリシアには無かった。真っ直ぐ前だけを見て小走りに進む。目的地は教会。神父様はアリシアの男装を早々に見抜き、声を掛けて来た唯一の人だ。その正体も知っていて、こっそり屋敷を抜け出していることを父に内緒にしてくれている。彼ならば事情を話せば匿ってくれるのではと期待してここまで来たのだが。

「アリシアお嬢様はここには来ていませんよ。あの方は屋敷の敷地からはお出になりません。なぜこのような所でアリシア様を探して居るのです? 屋敷に行けば会えるでしょうに」
「そうか、屋敷の敷地からは出ないなら……わかりました、忙しい時間に協力感謝いたします。神の祝福がありますように」
「あなたにロキ神の祝福を」

 神父様は一度胸の前で両手をクロスさせてから相手の頭の上に手の平を掲げて、天から何かを下ろすような動きで祝福を与えた。ふと視線を感じ目を遣ると、アレックスと目が合った。今、目の前の兵士にアリシアは来ていないと言ったばかりだと言うのに、何故かそこに彼女が居る事に屋敷で何かあったのではと尋常ではない何かを感じ取った。

「神父様、では失礼致します」

 兵士が馬に跨り領主の屋敷に向うのを確認し、もう一度先ほどアレックスの姿で町に溶け込んでいたアリシアを探す。雨は大分小降りにはなったが、空気の冷たさは10月下旬のそれだった。パッと見た感じずぶ濡れだった彼女を放っては置けず、神父様は帰宅する人の流れに入り彼女の姿を探した。
すると路地に入ったところで蹲り震えるアリシアを発見し、駆け寄る。

「アリ……アレックス、こんな所でどうしたのです? 寒いでしょう、教会へいらっしゃい。あなたの話を聞きましょう」
「し……神父様……わた……僕……」
「シッ、今は何も話さなくて良いですから、私に付いていらっしゃい」

 神父様はアリシアの肩に触れてその熱さに驚く。良く見れば体から湯気が出ているし、顔色は真っ白で血の気が無い。歯の根が合わずガチガチと奥歯が鳴っていた。

「すみません、あなたの体に触れる事をお許し下さい」

 アリシアを背負い、急いで教会の裏口から中へ入った神父様は、すぐに使える自分の部屋にアリシアを連れて行き、ベッドに座らせた。夏なので暖炉に火など入っているわけも無く、とにかくこの濡れた服をどうにかしようとジャケットを脱がせ、高熱で気を失ってしまったアリシアを支えてシャツのボタンに手を掛ける。

「今は緊急事態です。着ている物を全て脱がせますよ」

 震える手でボタンを一つ一つ外し、濡れたシャツを脱がせると、上等な布で胸がぐるぐる巻きにされていた。それも丁寧に外し、そっぽを向いて乾いたタオルで体を拭く。サイズは大きすぎるが自分の寝巻きを頭から被せて着せ、横にならせた。ブーツを脱がせ、今度は寝巻きの裾から手を入れてズボンと下着を一気に脱がせる。最後に全体を拭き布団を掛けた。予備の毛布2枚をさらに重ね、濡れてずっしり重い服を持って考える。

「……上だけでも体は十分隠れていますし、下は無理に穿かせずとも良いでしょう。この服は洗って干さなくてはなりませんね」

 何か温まる物を作ろうとキッチンへ行き、小さな鍋に水を入れて野菜スープを作り始めた。煮込んでいる間に脱がせた服を洗い、自室の物干しロープに干した。
 神父様自ら炊事洗濯をこなしているのには訳がある。かつて孤児院の子供達の成人後の行き先は男子は教会、女子は修道院しかなかったのだが、今の領主であるアルバートが孤児達の救済策として屋敷内で教育を施し就職先を斡旋し始めた事で、修道士となるよりも皆領主の下で教育を受けて良い条件の所で働く事を選択してしまい、教会へ入る者がどんどん減ってしまったのだ。結果、今、修道士は信心深いニ人と、ここには居ないが神学校へ通う数名のみ。元々居た者達も領主に頼み込み、還俗して教育を受け直し商家などで働いている。教会は今このような環境故に、年老いた神父様は早々に引退し、まだ23歳のジーン・チェスター神父がこの町の教会に赴任して来たのは約1年前の事だった。

「アレックス、大丈夫ですか? 今スープを作っていますが、食べられそうですか?」
「あ……神父様……ここは……? 私、いつ家を出て来たのでしょうか……」
「どうやら混乱している様ですね。ここは私の部屋です。すみません、雨に濡れた服は全て脱がせました。体を拭くために触りましたが、許して下さいね」

 アリシアはボーっとする頭でその言葉の意味を理解しようと布団を捲り体を見た。白いブカブカの男性用パジャマの上だけを身につけ、胸の先端が薄ら透けて見えていた。事態を理解し、バッと顎の下まで布団を被った。パジャマ以外下着も着けていない。室内を見れば小さなパンティがロープに掛けられていた。

「神父様に下着まで洗わせてしまったのですね。お恥かしいです、申し訳ございませんでした。外は雨が降っているのですか?」
「ええ、また雨脚が強まって来たようです。今夜はそのまま私のベッドを使って下さい。熱がかなり高いのです。寒くは無いですか?」

 アリシアの頬やおでこを触ると先ほどより熱くなっていた。

「体が辛いかもしれませんが、スープを少し飲んで下さい。今薬と一緒に持ってきます」

 急いで少量のスープをカップに入れて、解熱薬を用意した神父様は火の始末をして自室へと戻った。

「アリシア様、少し体を起こせますか? 私が背中を支えますから、これを飲んで下さい」

 小さなテーブルをベッド脇に移動させ、薬とスープを置く。
 無言で一点を見つめるアリシアの隣に腰掛け、背中に腕を回し体を起こすと、唇が微かに動き何かブツブツ呟いている事に気付く。

「おと……さま……し……でしまっ……」
「ん? 何ですか?」
「神父様! お父様が……何者かに殺されてしまいました……!」

 アリシアはあの時の恐怖を思い出し、神父様に抱きつきその広い胸に向って声を上げた。

「黒いマントの男達が、屋敷にやって来て、お父様を刺し殺したの! 雨音が煩くて声は聞き取れなかったけど、何か口論していたわ。私、お父様を置いて逃げてきてしまった! 使用人達の事もどうなったのか分からない! 自分だけ逃げて来るだなんて、私、なんて事をしたのかしら? 戻って皆を助けなくちゃ……」

 ベッドから起き出そうとするアリシアを引き止める。どんどん熱が上がって行く彼女はすぐにヘニャリと脱力し、神父様の胸に力無く寄りかかった。

「黒いマントの男とは、先ほどあなたを探しに来た男ですか? あれと同じ格好の者達があなたを探しているという事ですね。領主様は襲われ、次代の領主となるアリシア様を探している……この領地を、あなたごと手に入れようとしているのでしょうか。あなたは正しい行動を取りましたよ。相手の手の中に入ってしまったら最後、無理やり結婚させられて領地もあなたも、その非道な男の物になってしまいます。逃げて正解だったのですよ。自分を責めてはいけません」

 自分の腕の中で泣きじゃくる少女を抱きしめ、解熱薬が入った小瓶を手に取り中の液体を口に含んだ。そして有無を言わさずアリシアの顎を掴み上を向かせ、口移しで薬を流し込む。

「ん……」

 コクリと飲み込んだのを確認し、唇を離した。

「これを飲めば明日には熱が下がっていますよ。眠くなりますから、無理せず眠って下さい」
「チェスター神父様、私と唇が……」

 アリシアを支えてベッドに寝かせた神父様は、灯りを消して部屋を出て行った。

「あれは医療行為であり、やましい気持ちからではなく、彼女を休ませるためにやったのだ。彼女も分かってくれるだろう」
「チェスター神父、どうしました? 顔が赤いようですが?」

 就寝前の祈りを終え、礼拝堂から自室に戻ろうとしていた修道士達に声を掛けられ、神父様は動揺する。

「二人とも、まだ起きていたのですか。もう就寝時間は過ぎていますよ」
「もう休みます。ところで、話し声が聞こえましたがどなたかいらっしゃるのですか?」

 彼らはアリシアの男装したアレックスを知っている。だがその正体が領主の娘である事は知らない。

「ええ、アレックスが熱を出してここへ来たのですよ。今、私の部屋で休ませています。世話は私がしますから、あなた方は休んで下さい」
「空き部屋を整えましょうか? 何か手伝える事があれば何でも言って下さい」
「いいえ、こちらは心配いりません。あなた方は明日も朝早くから仕事があるのですから、もうお休みなさい」
「はい、では手が必要になったら呼んで下さい」

 修道士達は胸の前で手を交差させ軽く頭を下げた後、自室に入って行った。
 チェスター神父は礼拝堂で神に祈り、アリシアの行く末を案じた。そして深夜、アリシアの悲鳴で祈りは中断する。声に驚き部屋から出ていた修道士二人には自室に戻り休むよう指示を出し、自分の部屋へ行った神父様はその光景に驚愕する。濡れた様に輝くアリシアの美しい黒髪は、たった数時間で老婆の様に真っ白になってしまっていた。彼女は膝を抱くように座り、ガタガタと震えている。

「どうしました?」
「お父様が……」
「夢を見たのですか?」


 彼女の震える体を落ち着かせるように神父様はアリシアの隣りに座り肩を抱いた。薬を飲み熟睡したお陰で熱はかなり下がっていた。しかし寝巻きはグッショリと汗で濡れていて、背中が冷えてしまっていた。新しい寝巻きを出し、毛布で体を隠しながら着替えさせる。

「もう、その夢は見ません、大丈夫ですよ」

 アリシアを寝かせ頭を撫でながら暗示をかけるように何度も同じ言葉を繰り返す。スゥっと眠りに落ちるのを確認し、神父様は立ち上がろうとしたが、アリシアがローブを掴んで離さなかった。仕方なくヘッドボードに背を預けて靴を脱ぐ。アリシアの髪は白くなっても美しくサラサラで、黒髪だった頃よりも神秘的さを増していた。

「屋敷での出来事を夢で追体験してしまったのですね。可哀想に髪が白くなってしまうほど辛い思いを……いったいどんな場面を見てしまったのでしょう」

 神父様はアリシアの頭を撫でながら、いつしか眠ってしまっていた。
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