二十五の夜を越えて

深見萩緒

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12月9日【2両目】

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 何だか、さっきの車両よりもいくらか薄暗いようでした。車内を照らす蛍光灯が、古くなって薄汚れているためかも知れません。乗客も、1両目より少ないようです。
 ほら、ふたりがけのシートがひとつ空いています。ゆうちゃんはそこに腰掛けました。日除けのカーテンが降りているから、窓の外は見えません。

 気動車は速度を落とす気配を見せず、闇の中をガタゴトごうごうと進んでいきます。どこまで行くのでしょう。車内のどこを探しても、案内板も、路線図らしきものも、何もありません。
 いつかどこかに到着するまで、少し眠っていようかな。そう思って、ゆうちゃんは目を閉じました。けれどすぐに、誰かに肩を叩かれて、起こされてしまいました。

 おじさんとおじいさんの中間くらいの人が、通路から、ゆうちゃんの顔を覗き込んでいます。
「お嬢さん。眠ったら、降り損なうよ」
 ゆうちゃんは、少し睡魔に負けたようなぽやっとした目で、おじおじいさんを見つめ返します。
「もうすぐ、駅なんですか」
「駅なんかないよ。でも、眠ってしまったら、降り時を見失ってしまうんだよ」
「降り時って、いつですか」
「お嬢さんが降りたいと思った時だよ。あんまり長く乗ってると、降りたいと思えなくなるんだよ」
「それは、悪いことなんですか」
「良いことも悪いこともないよ。ただ、降りられなくなるんだよ」

 ゆうちゃんは、もしかしたらこのおじおじいさんは、ゆうちゃんが気動車に乗るずっとずうっと前から、ここに居るんじゃないかしらと思いました。そして、おじおじいさんの話が聞きたいと思ったので、「お隣、座りませんか」と言いました。
 おじおじいさんは頷きましたが、ゆうちゃんの隣には座らず、ゆうちゃんの前の席を180度回して、ゆうちゃんと向かい合って座りました。
『椅子が回った! 椅子が回った! 遊園地みたい!』
 と、ミトラはぴょんぴょん跳ねて喜びました。おじおじいさんは、そんなミトラを見て、顔中を笑い皺でいっぱいにしました。
 おじおじいさんは、12月に相応しい厚着をしています。綿のズボンにダウンジャケット。マフラーにニット帽。だけど、裸足でした。
 そういえば、ゆうちゃんも裸足なので、おじおじいさんとおそろいです。もしかしたらおじおじいさんも、海に靴を放り投げたのかも知れません。


「私たちは、どこへ向かっているんですか?」
 ゆうちゃんが尋ねると、おじおじいさんはわざとらしく神妙に、「それは極めて難しい質問だね」と言いました。
「我々は、個としては常に変動しているが、全としては、おおむね不動である。あえて言うならば、果てしなくどこまでも、未来へ向かって動いているのだよ」
 小学校の学校の先生みたいに、無意味に難しく、大袈裟にかしこまった言い回しでした。ゆうちゃんは首を傾げます。おじおじいさんは、最初から、理解されようと思って喋っていないようでした。おじおじいさんは、ゆうちゃんが理解していないことを、よく理解しているようでした。

「じゃあ、ここにいる人たちはみんな、未来へ向かっているんですか?」
「ああ、違う、違う」
 おじおじいさんは、首が痛くなりそうなほど激しく、頭を横に振りました。
「走っているのは世界の方だ。この気動車は、永遠に、ここに留まっている」
 ゆうちゃんは思わず、窓の方を見ました。カーテンに遮られて、外は見えません。
 でも、もし外に何か風景が見えたとして、それが前方から後方へと矢のように飛び去っていくとして、果たして動いているのは気動車なのか世界の方なのか、確かに、分からないのです。

 ゆうちゃんは改めて、気動車の車内を見回しました。永遠に留まったままの車内で、おのおの本を読んだり、編み物をしたり、窓の外を見たりしている人々を見ました。それから、自分の手と、ゆうちゃんのお膝に座っているミトラとを交互に見ました。
 おじおじいさんの言ったことが、分かるようで分かりません。ゆうちゃんは今、動いているのでしょうか。それとも、静止しているのでしょうか。さっぱり分かりません。動いている方が良いのでしょうか。それとも、止まっていた方が良いのでしょうか。それも、分かりません。
『ゆうちゃん、次の駅で降りようね。だってここ、つまんないもん』
 だけどミトラにとっては、動いている方がだんぜん面白いみたいです。
 ミトラが駄々をこねるように言いましたので、ゆうちゃんは頷いて、ついつい眠ってしまわないように、背筋をぴんと伸ばして座りました。


 今夜の夢は、ここでおしまい。
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