二十五の夜を越えて

深見萩緒

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12月23日【花火】

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 宇宙のクジラが作った道は、雪と銀河を混ぜ合わせてホイップクリームにしたような、不思議に明るく柔らかな道でした。
 ちょっと飛び跳ねたら、ウサギみたいに高く軽やかにジャンプします。ゆうちゃんもミトラも面白くって、スキップをしながらクジラのあとをついていきました。

 ちょっと昇ったら、夜空の濃紺の中から、たくさんの魚が現れました。ゆうちゃんの好きなエイもいますし、ミトラの好きなカジキマグロもいます。
 エイはまた、ゆうちゃんとミトラに、光の粉を振りかけてくれました。
『ありがとー! またねー!』
「ありがとう! さようなら!」
 ふたりがお礼とお別れを言うと、エイは胸びれをひらひらさせて泳ぎ去っていきました。

 もうちょっと昇ったら、真っ白に光るレールを横切りました。ずっと向こうの方にある踏切が、赤い警報灯を点滅させています。気動車が通るのでしょうか。顔の真っ黒な人や、おじおじいさんは、まだあの気動車に乗っているでしょうか。
『ねえ、ゆうちゃん。あれ、電車の明かりじゃない?』
 ミトラが、遠くを指差します。長く連なった光は、確かに気動車の窓の明かりに見えます。
「そうかもね。また乗りたい?」
『うん。また乗りたいな』
「退屈じゃなかった?」
『退屈だったけど、今度は違うかも知れないし』
「怖くなかった?」
『怖かったけど、今度は違うかも知れないし』
 それから、ゆうちゃんとミトラは、気動車らしき連星に向かって、大きく手を振りました。光は、少しずつ遠くなって、やがて見えなくなりました。


 また少し昇ったら、クジラの道のほか、光るものは何もなくなりました。
 ここはきっと、もう宇宙なのです。その証拠に、ゆうちゃんとミトラの体は、ふわふわ宙に浮かびます。
『わあ、ゆうちゃん。つかまえてて。ぼく、飛んでっちゃうよ』
 ミトラが慌ててゆうちゃんに手を伸ばしましたので、ゆうちゃんはミトラの体をしっかりつかまえました。
『ああ、びっくりした。これは何? どうして、勝手に浮いちゃうの?』
「無重力だからだよ」
『むじゅーりょく? 知らないなあ。ゆうちゃんは、どうして飛んでっちゃわないの? 重いから?』
「まあ、ミトラよりはね」

 しばらくふわふわして、ミトラもコツを掴んだのでしょう。ゆうちゃんの手を離れ、好き勝手に空中を泳ぎ始めます。
『あはは、楽しいね。海の中みたいだね』
 ミトラは引っくり返って逆さまに泳いだり、仰向けに泳いだり、バレリーナみたいにくるくる回ったりしました。それを見て、ゆうちゃんもやってみたくなったので、体操の選手みたいにくるりんと回って、ポーズを取ってみました。
『あはは、ゆうちゃん上手。ぼくも上手。むじゅうりょく、楽しいね』
 しばらく、ふたりは無重力を楽しみました。ミトラが、ゆうちゃんの側転をしきりに褒めましたので、ゆうちゃんは側転ばっかりやって、目が回ってしまいました。

 クジラは、まだまだ高く昇っていきます。先へ進めば進むほど、光の道は濃くはっきりとしてきますし、かすかに聴こえていた綺麗な歌は、段々大きく聴こえるようになってきます。
 ゆうちゃんは音楽に詳しくありませんが、この歌はなんとなく聞いたことがあります。クリスマスの時期には、至る所で流れている、賛美歌というものです。
 もしかしたら、空に飛んでいった風船の楽隊たちが演奏していて、鉛ガラスの天使たちが歌っているのかも知れません。


 やがて、光の遥か下の方に、華やかな明かりが見えました。あれは、遊園地です。大きな観覧車に、ジェットコースター。いつか空から見た遊園地です。ここまで、戻ってきたのです。
 遊園地にも行きたかったな。ゆうちゃんの中に少しの後悔が生まれましたが、まあ良いや。と飲み込みました。楽しいことは、全部楽しんでしまうのではなく、ちょっと残しておくくらいがいちばん楽しいのです。たぶん。

 遊園地の光と歓声を遠くから眺めていますと、やっぱり手が届かないくらい遠くの空を、水笛の群れが飛んでいました。
 それを見付けて、ミトラは大興奮。目を凝らして、いつかの水笛を、一生懸命探します。
「あの、真ん中の辺りを飛んでいるのが、そうじゃない?」
 それらしきものを見付けたゆうちゃんが、ミトラに教えてあげました。
 暗い夜の中で、たくさんの水笛たちを見分けるのは一苦労です。ですが折り良く、遊園地から大きな大きな花火が上がって、夜空がぱあっと照らされたので、ミトラも見付けることが出来ました。あの小さな、レモン色の水笛です。
 さよならをした時より、少し逞しくなったようです。群れの仲間たちと一緒に、力強く飛んでいます。

 嬉しくて嬉しくて、ミトラはご機嫌に、即興で作った「かわいい水笛のうた」を歌いました。

 かわいいみずぶえ、とんでいけ。
 ぼくよりはやく、とんでいけ。
 うみのはてまで、とんでいけ。
 そらのはてまで、とんでいけ。

 とても覚えやすい歌だったので、ゆうちゃんも一緒に歌いました。

 かわいいみずぶえ、とんでいけ。
 ふゆのさきまで、とんでいけ。
 よるのさきまで、とんでいけ。
 かわいいみずぶえ、とんでいけ……

 ゆうちゃんとミトラが歌っている間じゅう、花火が空を彩りました。大太鼓を100台並べても敵わないほど大きな音が、ゆうちゃんの体を、びりびり震わせます。
 打ち上げ花火をこんなに近くで見たのは、初めてです。なんてったって、花火と同じ高さを、ゆうちゃんは飛んでいるのですから。それはもう、大迫力!
『特等席だね、ゆうちゃん』
「うん、特等席だね」

 口笛のような、高く細い音。お腹に響く、低く重たい音。
 ひゅー、どーん。ばらばらばら……。
 ひゅー、どーん。じゅわっ、ぱらぱらぱら……。
 なんだかとても、懐かしい音です。泣きたくなるくらい懐かしい音です。今、この時という瞬間が、刻一刻と終わりに向かっていることを告げる音です。
 この一瞬の、花火の彩りをまぶたに焼き付けたくて、ゆうちゃんはぎゅっと目を閉じました。

 すると、花火の音だけでなく、ずっと聞こえていた讃美歌や、ミトラの歌う歌がいっぺんに、ゆうちゃんの耳に届きました。それだけではありません。今までにゆうちゃんが聞いたことのある、ありとあらゆる歌が、音の渦のように鳴り乱れるのです。
 ひどく雑多なのに、不思議と、不協和音だとは思いませんでした。沢山の人々が、全てのものたちが、それぞれの悲しみや喜びを歌っているのです。

 じっと目を閉じて聞き入っていると、ゆうちゃんは、自分の体が音の海に同化していくような心地がしました。コップに投ぜられた塩の結晶が、じわりじわりと渦を描きながら、輪郭を溶かしていくように。
 この世の全ての歌の中に、ゆうちゃんは溶け込んでいきました。


 今夜の夢は、ここでおしまい。
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