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01出会い
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夜、後宮がすっかり寝静まった時間。ベテラン侍女のルーナルーナは、あてがわれた寮室の窓辺で読書をしていた。浅黒い肌に漆黒の長い髪、黒いベロアのメイド服。もはや暗闇と同化していると言っても過言では無い。
ここシャンデル王国において、その容姿は極めて異端である。不吉とも言われている黒を生まれながらに纏ったルーナルーナが、ようやく平穏に暮らせるようになったのもここ数年のことだ。ひょんなことから王妃ミルキーナの目に留まってから上級侍女に抜擢され、その後もさまざまな嫌がらせに屈することなく、死に物狂いで働いた成果である。そのかいあってか一人部屋を与えられるまでになり、今では寝る前の一時ではあるが自由時間も持てるようになっていた。
今日も夜食はクッキーだ。彼女が大好物のキプルの実を乾燥させて混ぜ込んだもの。野性味のある苦味と甘酸っぱさが口の中に広がっていくが、今夜は数枚味わうだけで手が止まってしまった。仄かに降り注ぐ月明かりの下、黄ばんだページを忙しなくめくっている。何しろこれは、宰相レイナスから借りた貴重な魔法書なのだ。王城の図書館に立ち入ることができないルーナルーナにとって、しがない侍女にまで気を配るレイナスは神のような存在だった。
(なるほど。こうやったら髪色を変えることはできるのね! 瞳の色を変える方法もあるのかしら?)
と、その時、物音がした。はっとして本から顔を上げたルーナルーナは、窓から外を覗き見る。
ルーナルーナから約五メートル離れたところ。黒いマントを羽織った男が一人、空中に浮いていた。常人業ではない。ルーナルーナは必死に目を凝らした。
銀色の髪と金の瞳。王族顔負けの上品な面構えはどこか中性的だが、均整の取れた体つきは武人のそれである。陽の光が尊ばれているシャンデル王国において、光を纏ったその男はこれ以上無いというぐらいの貴公子に見えた。
(二十五年間生きてきて、こんなイケメン見たの初めてだわ。王城で男女問わず上物を見慣れている私が見惚れてしまうなんて……!)
しかしだ。見知らぬ男と見つめ合っている場合ではない。ここは後宮。女の園。王と王妃の良い駒にされている宰相でさえ、先触れを出して許可が出ない限り入ってこれないような男子禁制の場所である。しかもこんな夜更け。怪しいことこの上ない。ルーナルーナは、カラカラに乾いた喉からどうにか声を絞り出した。
「あの、どちら様ですか?」
「お前こそ誰だ?」
まさかの問い返しにきょとんとするのも束の間。
――ゴーンゴーン
王城の敷地内にある高い塔の鐘が、二十一の刻を知らせる。ルーナルーナがその音に気を取られた隙に、男は寮室の窓から部屋の中へと一気に入り込んできた。
「ここで何をしている!?」
「え?」
男は流れるような動作でルーナルーナの両腕の自由を奪い、細い首筋に鋭利なナイフを押し当てた。薄っすらと血が滲む。ルーナルーナは、ただ自室で寛いでいただけだと説明しようとしたが、恐ろしさと驚愕のあまり言葉が出ない。
ここで、事態はさらに急展開を迎える。
ルーナルーナが自室だと思っていた場所は、黒いベールが剥がれ落ちるかのように揺らめいて、次第に景色が変わっていった。小花柄の壁紙は木板が剥き出しの壁になり、足元はフローリングから少しクッション性のある不思議な材質の床になる。質素な白い扉は黒塗りになり、部屋の中の調度類も全て見覚えの無いものになってしまった。
(何これ。ここはどこ? 魔法なの?!)
慌てたルーナルーナは瞳だけをあちらこちらに動かして大切な物を探す。
「無い!」
「せっかく忍び込んだのに残念だったな。ここには機密情報など置いていない」
「違うの! レイナス様にお借りした本が無いの!」
泣きそうなルーナルーナの語尾が震える。この男、いつもならば女相手でも構わず、すぐに首を掻き切って始末するところだ。しかしこの日は、たまたま魔が差した。
「綺麗だ」
素直に零れ落ちた賛辞だった。脱力した男の手からナイフが離れて、床に真っ直ぐ突き刺さる。いつの間にか男の両手は、ルーナルーナの頬をしっかりと覆っていた。
「俺はサニー。お前、俺のものにならないか?」
「私は……」
ルーナルーナの瞼がゆっくりと落ちる。
次の瞬間、彼女の身体は闇に解けるように消え失せた。
「え?」
残されたのは、ポカンと口を半開きにした男。つい先程まで目の前にいて、触れていたにも関わらず、一人の人間が影も形も無くなってしまったのだ。
「……夢?」
「夢じゃないよ」
サニーの呟きに返答したのは、部屋の片隅で気配を消していた人物だ。
「アレス、見たか?」
アレスは目を細めた。
アレス・サーデライト。サニーの幼馴染であり、仕事仲間でもある。黒に近いブラウンの髪と瞳、浅黒い肌。どれもサニーが欲して止まないものなのだが、アレス本人はそれを驕ることもなければ、傘に着ることもない。大変爽やかな気の利く好青年だ。サニーと同じく今年十八歳になるが、既に婚約者もいる。
「もちろん。美しいご婦人に乱暴しそうになったかと思ったら、突然口説き始めたところも」
サニーはそっぽを向いたが、その白い肌には明らかに朱が差していた。
「名前ぐらい知りたかったな」
「縁があれば、また会えますよ」
サニーは未だ、ルーナルーナが消えた空中を不思議そうに見つめたままだ。しびれを切らしたアレスは、黒い扉を軽く小突いて音を立てる。
「行きましょう、サニウェル・ダンクネス殿下。そろそろ定期報告の時間です。それに、彼ならこの手の術についても知っているかもしれませんよ」
「そうだな。急ごう」
二人は連れ立って部屋から出ていった。
ここはダンクネス王国。人々の目覚めは一般的に夕方と呼ばれる時間帯だ。暗がりの中でしか生きられない彼らは、夜明けと共に眠りにつく。その生活はシャンデル王国と真逆のものだった。
この地には、二つの世界が重なって成立している。昼活発になる世界シャニーにはシャンデル王国が、夜活発になる世界ダクーにはダンクネス王国が。この両方の存在を知る者は、まだほんの一握りだ。
ここシャンデル王国において、その容姿は極めて異端である。不吉とも言われている黒を生まれながらに纏ったルーナルーナが、ようやく平穏に暮らせるようになったのもここ数年のことだ。ひょんなことから王妃ミルキーナの目に留まってから上級侍女に抜擢され、その後もさまざまな嫌がらせに屈することなく、死に物狂いで働いた成果である。そのかいあってか一人部屋を与えられるまでになり、今では寝る前の一時ではあるが自由時間も持てるようになっていた。
今日も夜食はクッキーだ。彼女が大好物のキプルの実を乾燥させて混ぜ込んだもの。野性味のある苦味と甘酸っぱさが口の中に広がっていくが、今夜は数枚味わうだけで手が止まってしまった。仄かに降り注ぐ月明かりの下、黄ばんだページを忙しなくめくっている。何しろこれは、宰相レイナスから借りた貴重な魔法書なのだ。王城の図書館に立ち入ることができないルーナルーナにとって、しがない侍女にまで気を配るレイナスは神のような存在だった。
(なるほど。こうやったら髪色を変えることはできるのね! 瞳の色を変える方法もあるのかしら?)
と、その時、物音がした。はっとして本から顔を上げたルーナルーナは、窓から外を覗き見る。
ルーナルーナから約五メートル離れたところ。黒いマントを羽織った男が一人、空中に浮いていた。常人業ではない。ルーナルーナは必死に目を凝らした。
銀色の髪と金の瞳。王族顔負けの上品な面構えはどこか中性的だが、均整の取れた体つきは武人のそれである。陽の光が尊ばれているシャンデル王国において、光を纏ったその男はこれ以上無いというぐらいの貴公子に見えた。
(二十五年間生きてきて、こんなイケメン見たの初めてだわ。王城で男女問わず上物を見慣れている私が見惚れてしまうなんて……!)
しかしだ。見知らぬ男と見つめ合っている場合ではない。ここは後宮。女の園。王と王妃の良い駒にされている宰相でさえ、先触れを出して許可が出ない限り入ってこれないような男子禁制の場所である。しかもこんな夜更け。怪しいことこの上ない。ルーナルーナは、カラカラに乾いた喉からどうにか声を絞り出した。
「あの、どちら様ですか?」
「お前こそ誰だ?」
まさかの問い返しにきょとんとするのも束の間。
――ゴーンゴーン
王城の敷地内にある高い塔の鐘が、二十一の刻を知らせる。ルーナルーナがその音に気を取られた隙に、男は寮室の窓から部屋の中へと一気に入り込んできた。
「ここで何をしている!?」
「え?」
男は流れるような動作でルーナルーナの両腕の自由を奪い、細い首筋に鋭利なナイフを押し当てた。薄っすらと血が滲む。ルーナルーナは、ただ自室で寛いでいただけだと説明しようとしたが、恐ろしさと驚愕のあまり言葉が出ない。
ここで、事態はさらに急展開を迎える。
ルーナルーナが自室だと思っていた場所は、黒いベールが剥がれ落ちるかのように揺らめいて、次第に景色が変わっていった。小花柄の壁紙は木板が剥き出しの壁になり、足元はフローリングから少しクッション性のある不思議な材質の床になる。質素な白い扉は黒塗りになり、部屋の中の調度類も全て見覚えの無いものになってしまった。
(何これ。ここはどこ? 魔法なの?!)
慌てたルーナルーナは瞳だけをあちらこちらに動かして大切な物を探す。
「無い!」
「せっかく忍び込んだのに残念だったな。ここには機密情報など置いていない」
「違うの! レイナス様にお借りした本が無いの!」
泣きそうなルーナルーナの語尾が震える。この男、いつもならば女相手でも構わず、すぐに首を掻き切って始末するところだ。しかしこの日は、たまたま魔が差した。
「綺麗だ」
素直に零れ落ちた賛辞だった。脱力した男の手からナイフが離れて、床に真っ直ぐ突き刺さる。いつの間にか男の両手は、ルーナルーナの頬をしっかりと覆っていた。
「俺はサニー。お前、俺のものにならないか?」
「私は……」
ルーナルーナの瞼がゆっくりと落ちる。
次の瞬間、彼女の身体は闇に解けるように消え失せた。
「え?」
残されたのは、ポカンと口を半開きにした男。つい先程まで目の前にいて、触れていたにも関わらず、一人の人間が影も形も無くなってしまったのだ。
「……夢?」
「夢じゃないよ」
サニーの呟きに返答したのは、部屋の片隅で気配を消していた人物だ。
「アレス、見たか?」
アレスは目を細めた。
アレス・サーデライト。サニーの幼馴染であり、仕事仲間でもある。黒に近いブラウンの髪と瞳、浅黒い肌。どれもサニーが欲して止まないものなのだが、アレス本人はそれを驕ることもなければ、傘に着ることもない。大変爽やかな気の利く好青年だ。サニーと同じく今年十八歳になるが、既に婚約者もいる。
「もちろん。美しいご婦人に乱暴しそうになったかと思ったら、突然口説き始めたところも」
サニーはそっぽを向いたが、その白い肌には明らかに朱が差していた。
「名前ぐらい知りたかったな」
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サニーは未だ、ルーナルーナが消えた空中を不思議そうに見つめたままだ。しびれを切らしたアレスは、黒い扉を軽く小突いて音を立てる。
「行きましょう、サニウェル・ダンクネス殿下。そろそろ定期報告の時間です。それに、彼ならこの手の術についても知っているかもしれませんよ」
「そうだな。急ごう」
二人は連れ立って部屋から出ていった。
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