人生に脇役はいないと言うけれど。

月芝

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28 罪の轍

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 厳しくも優しい師匠に求められたとき、自分は静かに目を瞑った。
 初めこそは戸惑いつつも、じきに自身の中に喜んでいる気持ちがあることを知ると、そこからはすべてを彼に委ねた。
 剣の道ではどこまでも厳しく接してくる師の無骨な指先、それに触れられるたびにドクンと鼓動が高鳴り、微かな震えが起きてしまう。気恥しくてなんとか堪えようとするのに、そんな自分を揶揄うような愛撫がこっちの決意を途端に霧散させてしまう。そして最後に抵抗むなしく屈服させられ陥落させられるのだ。

 気怠い体を横たえ、己が内に満ちる幸福感に浸る時間が好きだった。
 だがそんな幸せな時はすぐに終わる。
 そして襲ってくる罪悪感に恐れ慄き、まるで夢に怯えた幼子のように体を丸めて、心の内の嵐が過ぎ去るのをじっと待つ。
 
 自分は大好きな人に愛されている。
 自分は大好きな人を裏切っている。
 自分は師匠を尊敬している、人間としても男としても。
 
 でもそれは愛なのか? と問われれば、わからないとしか答えようがない。
 孤児で生きることに精一杯だったから、愛なんて知ることもなくずっと生きてきたから。彼に拾われて初めて自分が人間であると自覚できたから。
 そんな師匠の隣にはあの方がいる。
 色白でほっそりとした細面のとても綺麗な女性。内助の功にて道場と夫を支える良妻。夫がどこぞより拾ってきた孤児にも親身になって接してくれる心優しき彼女。こんな自分を人間にしてくれた大恩人……、でも自分はそんな彼女を裏切っている。
 彼に身を委ねる度に、そのことが重くのしかかってくる。関係に溺れるほどにその事実に心が、体が芯から震えてしまう、だというのにヤメられない。
 きっと自分が消えてなくなればいいだけのこと。
 でも手に入れた幸せがあまりにも甘露で、捨てる勇気も持てやしない。

 ある日のことだ。
 出稽古の帰り道に奥さまとばったり会った。
 大通りから一本裏に入ったところにある建物の中から、男と連れだって出てくるところに遭遇する。そいつはウチの道場に出入りをしている商人であった。狼狽する奥さまと男の様子で、すぐに二人の関係が察せられた。
 自分は何も言わずに、ただ腰に差してあった剣を鞘よりゆっくりと引き抜くと、その切っ先を男の喉元へと突きつける。
 男は恐怖のあまりへたり込んで股間を濡らす。
 そんな奴に向かって「二度とウチに近づくな」とドスの効いた声を聞かせると、男はほうほうの呈にて逃げていった。
 このやり取りを黙って見ていた奥さまには「自分は何も見ていません。それでいいですね」とだけ告げ、剣を仕舞ってさっさと一人家路につく。
 道場に戻った自分は、すべての雑念を振り払うかのように、先ほど見た光景を忘れるために、ひたすら狂ったように剣を振るう。
 気が付いたらすでに陽はとっぷりと暮れていた。

 夕飯の準備が整ったと告げにきた奥さまは、いつもとなんら変わらない。どうやら彼女の心中でも、なにがしかの折り合いがついたのだろうと思い安心する。
 別に奥さまの不貞を師匠に告げるつもりもないし、責めるつもりもないし、そもそも自分にはそんな資格はない。むしろ彼女をそのような行動に走らせた原因は、自分にこそあるのかもしれないのだから。だから何事もなかったかのように振舞う。
 だというのにあの日以降、じっとこちらを見つめている奥さまの姿がたびたび見られるようになった。あるときなんぞは暗い廊下の奥に幽鬼のように佇んで、自分のことを見ていた。双眸が妖しい光を帯びていたよう気がして思わず身震いしてしまった。だがこの時に、臆せずに彼女に声をかけておけばと後々に深く後悔することになる。

 表面上は変らない日々が続く。
 だがそれは三ヶ月後に突然に終焉を迎えた。
 奥さまが納戸の梁に紐をかけて首をくくったのだ。

 遺書はなかった。
 だが自分にはその原因に心当たりがあった。
 彼女はずっと怯えていたのだ。自分がいつか夫にあの出来事を漏らしやしないのかと。きっと奥さまは自分と師匠との関係をも知っていたに違いあるまい。だからこそ余計に不安を募らせたのだ。
 ああ、自分はなんということを仕出かしてしまったのだろう。あのとき、何で自分は彼女を呼び止めなかったのか、どうしてひとこと声をかけなかったのか、どうしてたとえ信じてもらえなくても「決して話さない」と繰り返さなかったのか。
 葬儀の席には多くの方が顔を見せた。それだけ彼女が果たしていた役割が大きかったということだ。そして彼女という支柱を失った弊害はすぐに現れる。道場はゆっくりと斜陽を迎え、そして師匠も少しずつおかしくなっていった。
 自分に出来ることといったら、そんな師匠が求めるままに体を差し出すことだけ。
 自身の中にぽっかりとあいた穴を埋めるかのように、肉欲にのめり込む師匠。その瞳には昔日の強い輝きはすでにない。
 
 狂った獣が出来損ないの人形を抱く。
 汚い、醜い、なにが人間になれただ!
 恩人を死へと追いやり、大切な人たちの日常を狂わせ、のうのうと生き恥を晒す。
 ああ、自分は一体、何なのだ? 誰か教えてくれっ!



 ……ルディアちゃん渾身の第三作目「罪の轍」の第一稿が上がってきました。
 事前の編集会議では師匠と奥さまと青年との局所的三角関係となるはずでしたが、何故だか序盤で奥さまが退場なさっていました。どうやら途中から路線変更をしたようです。
 ここから先はホラーテイストの愛憎劇が次々と青年を襲います。人の業がまるで蜘蛛の糸のように絡みついては、どこまで逃げてもひたひたと追いかけて来る。主人公の青年がもがくほどに愛の底なし沼に嵌まっていく様が、なんとなしに現在のクラウセンさんを彷彿とさせますね。
 
 ああ、ちなみに登場人物のモデルとなっている師匠と奥さまは、実際にはとっても夫婦仲がよくて二男一女の子宝にも恵まれ、お子達はスクスクと育ち、道場は優秀な門下生を多数輩出して隆盛を誇り、順風満帆な人生を送っておられますので、あしからず。

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