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其の四 仇討ち熱
しおりを挟むおんぼろ道場に飛び込んできた窮鳥。
いや、この場合、行き倒れていた窮鳥というのが正しいのか。
蒲団に寝かされてる子ども。ときおり眉根を寄せては苦悶の表情となり、うんうん酷くうなされている。
額に浮かぶ珠の汗。それらをそっと濡らした手ぬぐいで拭ってやるのは母志乃。
「かわいそうに、よほど怖い目にあったのでしょうね」
不憫がっては甲斐甲斐しく世話を焼いている。
こういうとき、やはり頼りになるのは女手。盥(たらい)に水を汲んでくることぐらいしかできない藤士郎は、邪魔にならぬよう部屋の隅にてちょこなんと、ぼんやりその様子を眺めるばかり。
「斬られた濡れ仏の次は行き倒れの子どもか。どうにも今日はへんてこなことばかり起こるなぁ」
続く珍事を藤士郎が奇妙がっていると、背後の襖がそろりと動く。
器用に前足を使って入ってきたのは銅鑼。
でっぷり猫はへちゃむくれの鼻をすんすんさせながら。
「おや? 藤士郎。この小僧、ただの人間じゃねえぞ」
「へっ、人間じゃないって……。だったらいったい何だっていうのさ、銅鑼」
「こいつはたぶん付喪神だろうよ」
「付喪神だって! たしか百年ばかし大事にされた古道具が化けるっていう、あれのことかい」
「あぁ、そうだ。だがずいぶんと弱っちそうなところをみるに、まだ成ってから日が浅い若輩者だろう」
「ふーん、しかしそんな子が、またどうしてうちなんかの前で倒れていたんだろう」
首をかしげる藤士郎に「さあな」と銅鑼はそっけない。
「そいつは小僧が目を覚ましてからたずねるこった。それよりもおれは腹が減ったぞ。飯を所望する。だが志乃殿は小僧の世話で忙しい。だからおまえが支度をしろ」
腹が減ると機嫌が悪くなるのは人も猫も同じこと。
ゆえに「さぁさぁ」と膝上にからんでの矢の催促。
銅鑼に急かされた藤士郎は「わかった、わかったから。お願いだから爪を立てるのはやめておくれ」と身をよじる。
◇
母志乃の看病のかいもあってか、門前で倒れていた子どもは翌朝に目を覚ます。
だからとて、まずはひと安心とはならない。
なぜなら起き抜けのこと。子どもがいきなり両手をついて、畳に額をこすりつけて言うことにゃあ。
「兄者の仇を討ちたいので、どうか先生のお力添えを」
五代将軍綱吉公の御世に起きた赤穂浪士の事件はとみに有名。
これにより一躍脚光を浴び、巷で盛んになったのが仇討ち。
あっぱれ、武士の一分ここにあり。四十七士のあとに続けとばかりに、やたらと張り切る当事者、これを支援する者らにて、珍妙なる流行が起きた。
世間は老いも若きも罹患しては、熱に浮かされ踊り狂ったものである。
これを仇討ち熱という。
おかげで一時期、仇討ちを成就し帰参が叶って、故郷に錦を飾る者らが増えたというが、全体からすればほんのわずか。それほどまでに仇討ちとは困難なもの。
なにせ追われる側にだって知恵もあれば意地や覚悟もある。必死なのだから当たり前。よしんば首尾よく仇に巡り会えたとて、返り討ちにされることもある。人と人とのこと。兎や狐を一方的に狩るようにはいかぬのだ。
そして悲しいことに、人はとても移り気でもある。
急激に高まった熱は、冷めるのもまたはやかった。
成さぬ仇討ち。そんなものをいつまでも熱心に追いかけてはくれない。
結果として、じきに飽きた。
残念なことに江戸っ子は新しいもの好きにて凝り性でもあるけれども、飽きやすい性質でもあるのだ。
かくして仇討ち話は世間ではすっかり下火となり、お芝居や黄表紙の中でのみ盛りあがり続けることとなってひさしい。
いきなり頭をさげられた藤士郎はたいそう面喰らう。
痩せても枯れても道場を続けている以上は、いずれはこういった話が舞い込むこともあろうかと、かつてはちらりと考えたこともあった。だがよもや本当になるとはおもわなかった。
しかも話を持ち込んだ相手が、まだ十にも届かぬぐらいの幼子の姿をしている付喪神となれば、なおのこと。
仇討ち熱に浮かされた付喪神。
やっかいごとのにおいがぷんぷんする。
だから藤士郎はそれを理由にやんわり断わろうとするも、かえって「なんと! ひと目で拙者の正体を見抜くとは、なんというご慧眼。さすがです。ほとほと感服しました。やはり先生をおいて他にはありません。なにとぞ、なにとぞ」と感心され余計にすがられる始末。
「いや、あのね。正体を見抜いたのは私ではなくて、うちの猫なんだけど……」
正直に白状するもだめ。
子どもは「お頼み申す」の一点張りにて、平身低頭をくり返すばかり。
うーむ、見た目は子どもだが、そこは百年もの歳月をのらりくらりとやり過ごしてきた付喪神。ぞんがいの粘り腰にてしぶとい。
するとこの場面を目にした母志乃までもが「かわいそうじゃない。こんなに頼んでいるのだから手を貸してあげたら。それにわざわざあなたを頼ってきてくれたのに、これで断わったりしたら、九坂家の男がすたるというものですよ」なんぞと言い出した。
これで二対一。
そこにのそりと姿をみせた銅鑼が「朝っぱらからぎゃんぎゃんやかましい。うっとうしいから、とりあえず小僧の話ぐらいは聞いてやれ」と大あくび。
かくして孤立無援となった藤士郎、まずは事情を聞くはめとなる。
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