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其の四十二 黒幕
しおりを挟む九坂家の道場兼自宅へと近藤左馬之助が菓子折り持って訪ねてきたのは、襲撃があった夜から六日ばかりたってからのこと。
幽霊である母志乃や河童である三太たち、みつかると説明がややこしいので、奥に隠れているようにと申しつけ、自身で友人を出迎えた藤士郎。
「おや、津雲屋の羊羹じゃないか。それも栗入りとは、これまたずいぶんと奮発したねえ」
お詫びの品として貰った桐箱には、羊羹が五棹も入っていた。さすがは贔屓筋にいくつも大名家を抱える大店の菓子屋の逸品、見た目がご立派。味もさぞや素晴らしいのにちがいあるまい。
これには藤士郎もほくほく顔。
さっそく甘い物の匂いをかぎつけて姿をあらわす、でっぷり猫。「にゃあご、にゃあご」とまとわりついてくるもので「これ、やめないか。お客さまの前ではしたない。しっしっしっ」
◇
客間へと通された左馬之助は開口一番、「この度は本当にすまなかった。おれの浅慮ゆえに迷惑をかけてしまった。もっとはやく顔を出したかったのだが……」と手をついて詫びる。
そもそもの話、道場に賊が押し入ったのは、聞き込みのときに左馬之助が派手にばら撒いた餌のせい。ちょいちょい「あそこに珊瑚玉があるらしい」みたいなことも吹聴していたのだ。もちろん、藤士郎に手伝わせるため。友のせっかくの腕前、眠らせておくにはあまりにも惜しい。
伯天流の道場は寂しいところにある。家の前は鬱蒼とした雑木林だし、裏は青々とした竹林にて、隣近所は荒れ地やあばら家ばかり。
ゆえにいざとなっても周囲に迷惑がかからない。
だから左馬之助は当初、蒲生屋とこことの二か所に手下らを配置して、網を張るつもりであった。しかし予想外にも敵の喰いつきがよく、動きが速かった。
向こうも相当に焦っていたのであろうが、そのせいで話が前後してしまったのである。
「しかしよもや拙宅まで狙われるとはな。おれが蒲生屋の方で対峙した連中の中には、かなりの手練れも混じっていたし。うちが襲われたと聞いたときには、心の臓が止まるかとおもった」
同心宅へと押し入っての乱暴狼藉。
それすなわち奉行所に喧嘩を売ったことになる。ひいてはそのうしろにいる公儀に弓ひくようなもの。
天下の徳川将軍家を敵に回す。
いかに凶賊とて、まさかそんなだいそれた真似はすまいと、心のどこかに油断があったと左馬之助は反省しきり。
話を聞きながら藤士郎もうなづく。
「そうだよねえ。連中もずいぶんと無茶をしたもんだ。けど」
にやにやしながら懐より取り出したのは、一枚のよみうり。
書かれてあるのは、薙刀片手に敢然と賊に立ち向かい、見事に夫の留守を守った鬼子母神の獅子奮迅ぶり。
自分の妻のことが載っているよみうりを前にして、左馬之助が顔を真っ赤にして、いっそう縮こまる。
この様子だと、家に帰ってから紗枝さまにしっかり灸を据えられたようだ。
その時の光景を想像するだけで、藤士郎はこみあげてくる笑いをこらえるのがたいへん。
「ぷぷぷ、……っと、それで肝心の事件の方はどうなったの? 万事解決したの?」
とたんにぎゅっと唇を固く結んだ左馬之助。膝へと乗せていた手に力を込め「それが、ちとやっかいなことになっている」と悔しげに顔を歪ませる。
◇
定廻り同心宅へと押し入った者らは捕らえそこねたが、蒲生屋と九坂家を襲った連中をごっそりお縄にできた。
当然ながら厳しい詮議が行われる。
なかでも左馬之助と居合い勝負をした牢人者は協力的で、自身が知っているかぎりのことをぺらぺら話してくれたもので、事件の概要や背後関係などはあらかた判明した。
あの珊瑚玉はやはりご禁制の抜け荷の品。
一味は用心深く、隠れ家をあちこちに持っており、そのひとつが藍染川の上流にあった。
発端はひとりの不心得者。
もとが悪党どもの集まりゆえに、どうしたって手癖の悪い者が混じる。
抜け荷に協力して利を得ていたさる大名家の中間が、「こんだけお宝があるんだ。ちょっとぐらいちょろまかしたところで、ばれやすまい」と金品に手をつけてしまう。
事実、はじめのうちはちっともばれなかった。
そこで止めておけばよかったものを、すっかり味を占めてしまったもので「もうちょっと、あと少しだけ」とずるずる。
その中間というのが、古道具屋の福屋に珊瑚玉を持ち込んだ者。
藍染川を渡る宝船に乗っていたのは、この中間であったのだ。
犯行を重ねるほどに手口はより大胆になっていく。感覚が麻痺し気もすっかり大きくなって、それこそちょっとぐらい川にお宝を落としても、見向きもしないほどにまで。
だがついにことは発覚した。
焦ったのが一味の黒幕。
「おのれ、せっかくうまくいっていたものを。急ぎ流出した品を回収しろ。それからこのことに関わった者らの口を封じろ。一切を闇に葬れ」
非情な命令を下した男の名は、千曲屋文左衛門。
何かと黒い噂がつきまとう札差である。
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