44 / 483
其の四十四 藍染川の主
しおりを挟む九坂家の台所にて。
近藤左馬之助より貰った羊羹を、さっそくいただくことにしたのだが……。
「なんだそのせこい切り方は。もっと厚く切れ、厚く。あと栗のところは譲れんぞ」
藤士郎が羊羹を切り分けているのだが、隣で銅鑼があれこれやかましい。
これには母志乃も「あらあら」と呆れつつ、お茶を淹れてくれている。
河童の三太、宗吉、お通らは桐箱入りの高価な菓子に興味深々といった様子。もちろん彼らの分もちゃんと切り分けてあげる。
こうしてみなに品がいき渡ったところで「それじゃあ、いただこうか」と藤士郎。
でもそのときのことであった。
どぉおぉぉぉぉぉん!!!
玄関の方からもの凄い音がして、建屋全体がぐらぐらぐら。
轟っと突風が唸り、粉塵が舞う。天井からもぱらぱらと粉が降ってきて、とたんに室内が埃っぽくなる。
「えっ、なに? 地震かい」
「ひゃあ」「わっ」「きゃっ」
「にゃーっ、せっかくの羊羹が埃まみれにーっ!」
驚いた藤士郎、けほけほ咳き込む。
とっさに互いに抱きつき団子となったのは河童たち。
銅鑼は悲鳴をあげ、幽霊の身の上である母志乃のみが、何ごともなかったかのようにふよふよ宙に浮かんでいる。
揺れが収まったところで、藤士郎は玄関先へ向かうも、待っていた光景にあんぐり、立ち尽くすことになった。
「うそでしょう……、うちの門があいてるよ」
九坂家の自宅兼道場の門は、門構えこそはそれなりに立派。でもよくよく見れば全体がちょっと傾いている。おかげで建付けが悪い。門扉はびくともしないもので、正門は長らく自主閉門状態であった。そのせいで脇の潜り戸すらも開けるのに四苦八苦するのがつね。この前の襲撃でも、賊たちの引き込み役の者がたいそう苦戦していたほど。
だというのにである。
その大扉が開け放たれているではないか!
おかげで外から涼しい風がびゅうびゅう吹き込んで、どうにも風通しのいいこと。
信じられないことに、それをやったのはひとりの女人。
たまげた藤士郎はぽかんと顎が下がりっぱなし。
浅黄色の縞模様をした男物の着物に、藍の羽織を肩にかけた格好の偉丈夫。
背の高い藤士郎よりも、さらに頭ひとつ分ぐらい大きな女伊達。
脇にはここまで担いできたとおぼしき、大きな葛籠が置かれてある。
「よぉ、挨拶に寄らせてもらったぜ。あたいは得子、藍染川を仕切っている河童の頭だ。こちらでうちの若いもんが世話になっているそうで」
まさかの四体目の河童が登場、しかも親玉っ!
◇
堅苦しいのは性に合わないというので、客を中庭の方に案内する。
いちいち草履を脱がなくていいのが気に入ったらしく、得子は勧められままに日当たりのいい縁側にどっかと腰を降ろす。
座ってもやはり大きい。間近に接すると体の厚みがよくわかる。腕足肩胸、すべてがとにかく大きい。
頭みずからが挨拶にきたというので、三太らもおずおず顔を見せる。
「ったく、なかなか帰ってこないから心配したじゃないか。お通に様子を見に行かせたら、こっちはこっちで簡単な文を一度寄越したきりだし」
「すみません得子の姉さん、もう少しでぬか漬けの極意が掴めそうなもんで、つい夢中になってしまって」
「……まだ帰れません。ここで帰っちまったら、三太に差をつけられちまう」
「わたしは三太さんが気のすむまで付き合おうかと」
かみ合っているのかいないのか。よくわからない三太、宗吉、お通たち。
これには「おまえたちは、あいかわらずだねえ」と得子も苦笑い。
それを横目にいったん奥へと引っ込んだ藤士郎は困り顔。
なにせ急な来訪である。なんの備えもないもので、藍染川の主をもてなすのに、どうすればいいのやら。
とりあえず手持ちの中で一番高価な品である、戴き物の津雲屋の羊羹を出すことにしたものの……。
いざ切って皿に盛ってみると、どうにも貧弱に映る。
大柄な得子と比べて小さすぎるせいだ。
「これだとなんだかちまちましているねえ」
腕組みにて「うーん」と悩む藤士郎。すると母志乃が「だったらいっそのこと、丸ごとお出ししてみたら? あの方ならばきっとぺろりよ」と言う。
だからその助言に従ってみたところ、これにすっかり気を良くした得子。
にこにこ顔で素手で掴んでは、豪快に丸かじり。ぱくりぱくりと、羊羹の棹をほんの三口ほどでぺろりと平らげる。
見事な食べっぷり。藤士郎はとても足りぬと判断し、急ぎ追加でもう二棹、お盆にのせて差し出した。
左馬之助から貰ったのは全部で五棹。
ひとつはすでに切り分けて、埃まみれとなってしまったので、残るは一棹のみ。
これには銅鑼が「にゃーっ、おれの羊羹がーっ」と悲鳴をあげ、残りをくわえて逃げようとしたもので、させじと取り押さえて納戸に放り込んでおく。
さいわい三棹で満足した得子。
口直しに添えたきゅうりの漬物をつまみつつ。
「いや、美味かった。おっと、そうだ、忘れるところだった。こいつは土産だ。とっておいてくれ」
言うなり無造作にひっくり返されたのは、大きな葛籠。
なかからごろごろ出てきたのは、煌びやかな品々。
見覚えのある珊瑚玉から、ぎやまんの花入れ、皿、べっ甲の櫛に金銀細工、象牙の彫り物、大粒の真珠、蒔絵の施された漆塗りの箱、いろとりどりの宝石や水晶などの他に、小判の切り餅なんぞも混じってる。
津雲屋の羊羹三棹が宝物に化けた!
宝の山を前にして、藤士郎は顔をひくつかせる。
1
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】
里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性”
女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。
雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が……
手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が……
いま……私の目の前ににいる。
奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる