狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
54 / 483

其の五十四 獣除けのお札

しおりを挟む
 
 広大な藩邸の敷地内は、右を向いても左を見ても、どこもかしこも武士だらけ。
 上屋敷が近づくほどに、やたらと目につくのが犬の手綱を握る衛士らの姿。数が多い。連れている犬はどれも眼光鋭く、半開きの口元からのぞく牙が白い。よく発達した筋肉、四肢逞しく、尾っぽがぴんと立ち、自信に充ち溢れている。
 いざ変事が起これば、たちまち解き放たれて一斉に獲物へと殺到するのだろう。
 訓練された犬は手強い。一頭二頭ならばともかく群れでこられたら、いかに藤士郎とてたちまち窮地に立たされることであろう。

 周囲の雰囲気にすっかり気おくれしている堂傑。平静を装っているものの、目は泳ぎ、指先が小刻みに震えている。どうやら元が鼬の妖ゆえに犬が苦手らしい。

「うぅ、本当に襲われませんかねえ。うっかりお尻をがぶりとやられたら、たちまち術が解けてしまいますよぉ」

 弱音を吐く堂傑。
 生駒ら猫又芸者たちの人化けに比べると、たしかにいくぶん見劣りする堂傑の術。
 とはいえそれも少し前までのこと。初見でこそ藤士郎に鼬頭を見破られたものの、寺で修行に勤しむうちに、そんな機会もぐんと減った。

「大丈夫だよ、もっと自分に自信を持って。それに私たちにはこれがあるだろう」

 小声で堂傑を励ましながら、藤士郎は己の懐にある品をぽんと叩く。
 それは巌然さまが持たせてくれたお札。
 犬神の絵が書かれたお札にて、かつて各地を巡っていた空海さまが、旅先で世話になった村が猪や猿などの被害に悩まされていると聞いて、書き与えたとされる獣除けのお札を模したもの。
 犬神は守護獣にてたいそう強い。
 だからこのお札を祀っておけば、獣らは恐れをなして村には近寄らないのだ。おかげで獣が畑に悪さをすることもなくなり、村人たちは大喜びしたんだとか。

 さすがに弘法大師さまほどのご利益はなかろうとも、そのへんの犬程度であれば……。
 というのが、巌然さまからの受け売り。ああ見えて妖退治で勇名を馳せる僧。法力はかなりのもの。
 おかげでいまのところ犬たちの鼻は誤魔化せている、問題はない。

「だから、堂傑さんは何があっても、けっしてそのお札を肌身から離してはいけないよ」

 藤士郎の言葉に、こくこくとうなづく堂傑。
 でもそこで藤士郎はふと思った。

「あれ? だったら銅鑼は大丈夫なのかしらん」と。

 巌然さまから貰ったお札は藤士郎と堂傑の分のみ。
 なにせあれもただの猫ではない。さりとて猫又とはちがうらしい。
 とはいえ銅鑼が犬にやられる姿はちっとも想像できない。
 ひょっとしたら銅鑼自身に、犬たちを寄せつけない理由があるのかも。
 いまさらながらに自分の家の居候について、よくわかっていないことを思い出し藤士郎は「はて?」と首をこてん。

  ◇

 幽海と銅鑼、弟子たちに扮した藤士郎らが通されたのは、御殿の中庭にある庵。
 香り高く緑も鮮やかなお茶と加賀藩の名菓の羽二重餅をふるまわれて、「しばらく、おくつろぎくだされ」と案内の者。
 なんと留守居役である大槻兼山が、なにかと忙しい身にもかかわらず、みずから応対してくれるという。
 それだけ怪異集めに躍起になっているという証左。是が非でも高名な幽海僧侶の助力を得たいと考えているようだ。
 しかしその場に藤士郎は立ち会わぬ。
 ここまでやってきたのは、しらたまと心助の行方を求めてのこと。
 だから銅鑼とともに、こっそり抜け出して彼らを探しに行く所存。
 さりとて、でっぷり猫はともかく弟子がひとり消えれば目立つ。はばかりを装うのにも限度があろう。
 そこで……。

「はいはい、わかってますって。でもあんまり長いことはもちませんから。できるだけ早く帰ってきてくださいよ、九坂のだんな」

 ぶつぶつ言いながら、折りたたんで大事にしまっていた紙を床に広げる堂傑。
 それは今度の潜入のためにと、特別にこしらえた大きな人形であった。
 堂傑が印を結び、ごにょごにょ呪文を唱えるなり、むくりと立ち上がった人形。いそいそ、藤士郎が脱いだ僧衣と御高祖頭巾を身に着ける。
 するとあら、不思議!
 あらわとなっている頭巾の目元は藤士郎のそれとなり、じっとしている分には連れてきた弟子のひとりにしか見えなくなった。
 式神を使った変わり身が完成。これにて誤魔化し、その間に藤士郎は勝手をさせてもらう。

 興味深げに一連のことを見ていた幽海さま。「ほうほう」たいそう感心されたご様子にて「あいにくとわしは少し視える程度ゆえに、せいぜい時間稼ぎぐらいしか出来ぬが、あとのことは任されよ」と言ってくれた。
 藤士郎は深々と一礼ののちに、もぐもぐお八つを頬張る銅鑼をともない庵をあとにする。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

処理中です...