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其の二百五 番付
しおりを挟む女貧乏神である貴祢太夫は、すべてを氷つかせんばかりの冷たい微笑を浮かべている。
津田屋重次郎という人物に扮している、饕餮(とうてつ)もまた嘘臭い笑みを崩さない。
そして四凶の一角を名乗る男の登場に、魚心がたちまち子どもの目になった。さすがは妖怪骨牌の絵師である。興味津々といった様子であった。
藤士郎は、ひとりこの異常な状況に顔を引きつらせている。だが、いまは魚心のそんな場の空気を読めない、神経の図太さがうらやましい。
「どうして妖怪骨牌なんぞを売り出したのかえ?」
貴祢太夫は尋ねた。
これを巡って方々で騒動が起きており、ついには人死も出た。死んだのは、ここ吉原の遊女である。
自分の庭先を荒らされておもしろくない。
と、貴祢太夫は版元を調べる理由にあげていたが、それだけではないのであろう。
おそらく、死んだ遊女は彼女と顔見知りなのにちがいない。でなければ、吉原を代表する太夫が、いち遊女のためにそこまで動くわけがない。
「ふむ。売り出した理由か……、そうだな」
少し考え込む仕草をしてから、饕餮は答えた。
「理由はいくつかある。ひとつは我(われ)が日本(ひのもと)の妖どもに興味があったこと。ひとつはそこの、魚心という人間を面白いとおもったこと。そして、いまひとつは――」
四凶……それは遥か古の時代に大陸の中原にて、おおいに名を馳せた大妖らのこと。
その一角に数えられる饕餮という妖は、知識、財、この世のあらゆるものをひたすら貪り食らう、貪欲を象徴する魔物である。
かつて、同じ四凶である窮奇(きゅうき)の銅鑼は、饕餮について藤士郎にこう語っている。
『気まぐれに水面に小石を放り込んでは波紋を起こし、その経過をじっと眺めているようなやつだ。下手に興味を惹いたら、死ぬまでおもちゃにされかねんぞ』
まるで興味本位で蟻を踏み潰したり、虫の羽をむしりとる子どものよう。
それは、魚心こと佐々木織部(ささきおりべ)にちょっと似ている。
だからこそ、やっかいなのに目をつけられたのか。
饕餮が妖怪骨牌を作るのに述べた理由は三つ。
その最後は「ゆくゆくは日本の妖怪番付を作ろうとおもってな。そのための下調べ」というものであった。
番付……いわゆる優劣や順位を競う格付である。
江戸っ子は、これが大好きだ。こぞって夢中になっている。
もっとも世間に知られたものは、力士たちの相撲番付であろう。
するとこれをおもしろがって、次々と作られたのが見立て番付というものである。
料理、名所、温泉、お菓子、美人、文化人、仇討ち、倹約おかず、うなぎ屋、そば屋、いらないもの。
果ては、良妻や悪妻の番付まで登場し、世間の女衆からたいそう顰蹙(ひんしゅく)を買ったなんて話もある。
「しかし……、やはり人間は面白い」と饕餮は言った。
彼が面白がっていたのは、今回の妖怪骨牌を巡る騒動である。
あの品自体は、正真正銘、ただの骨牌である。怪しげな術や呪いの類は一切含まれていない。
饕餮が立案し制作を主導こそはしたが、すべて人の手によって作られた。
絵師や職人など凝り性の者らが、こぞって技巧を競った結果、とてもいい品に仕上がった。
これを試しに売り出してみると、じわじわと評判が広がって、いまでは珍重な品として、裏で高額で取引されている。ついには妖怪骨牌を巡って押し込みや、殺しまで発生した。
「くくく」饕餮がくぐもった笑い声を発する。「昔から人間は頓珍漢(とんちんかん)な行動をとる。命以上に価値のあるものなどないはずなのに、なぜだか、他を優先してはあっさり手放す。まことに不可解なり」
色や金、欲に溺れては、身の破滅を招く。
もしくは欲するあまり他者を欺き、殺めさえもする。
目がくらみ、守るべきものの優先順位を誤る。
一方で、やたらと他者と自分を比べたがる。他者と他者を比べたがる。何かと何かを比べたがる。
番付が隆盛なのが、その証左であろう。
それらを踏まえた上で、饕餮は妖怪番付を作ると言った。
これに貴祢太夫はぴくりと片眉を動かし、藤士郎は自分でも知らないうちに眉間に皺を寄せていた。
なぜなら、妖怪番付が多分に危険を孕んでいたからである。
諸事情によって、そっち方面とかかわることが多い狐侍は、だからこそ知っている。
勝手に順位付けなんぞをしたら、された側がどんな反応をするのかということを。必ず悶着が起きる。ついには大きな争いを引き起こしかねない。
日本中で妖怪同士の揉め事が起きて、ついには妖怪戦国時代に突入なんてことも……。
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