狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
217 / 483

其の二百十七 忌み物

しおりを挟む
 
 はき溜めの壺……中には、不平不満、愚痴、恨みつらみ、悪意や害意どころか、殺意までもが入っている。もちろん本心からじゃない。一時の激情にかられてつい吐いた言葉だ。けれども、そんなものでも積もり積もれば……。
 一度、そんな妄想を浮かべたら、もうだめであった。
 不安になってしようがない。
 かといって、こんな壺のことなんぞ、誰にも相談できやしない。
 この壺を勧めてくれた古株の仲居は、とうに不帰の客となっていた。
 壊すのも、捨てるのも怖い。
 この瞬間、松之助にとって壺はただの空壺ではなくて、忌み物になった。

 いろいろ思い悩んだ末に松之助が選んだのは、固く封をして人知れぬ場所に隠すことであった。
 だが、そうと決めたら決めたで、松之助を悩ましたのが肝心の隠し場所である。
 自分の家の庭先なんぞは論外だ。かといって、近所だと埋めているところを誰に見咎められるかわからない。心情的にはできるだけ遠いところに隠したかったのだが、紅楼の店のこともあってあまり遠出は許されない。時間と距離の縛りがきつい。さりとて人に頼める話でもない。
 どこぞに都合のいい場所はないものか。
 暇な時に散歩がてら探し求めてはふらついたり、店の者らや客の話に耳をそばだてたり、そんなときに小耳にはさんだのが、伯天流の道場のことであった。
 話していたのは、紅楼の客で、どこぞの剣術道場の一団だ。

「ぼろぼろのお化け屋敷」
「あんな寂れたところ、誰も寄りつきやしない」
「おおかた狐狸の類でも弟子にとっておるのだろうよ」

 酔ってくだをまいては、こぞってそんなことを言っていた。
 松之助は「ここだ!」と内心で手を打った。

  ◇

 空壺が、はき溜めとなり、ついには忌み物になって、処分に困って、九坂邸兼伯天流の道場と目と鼻の先にある雑木林に埋めた。
 という話まではわかった。
 だが、それとはべつに藤士郎には気になることがある。

「なるほどねえ。壺にかんしては合点がいったよ。でも、松之助さんはどうしてそんな情けない姿になってるんだい?」

 江戸屈指の料理屋紅楼の跡取り息子である松之助が、幽霊となって夜な夜なあらわれている。
 自分が埋めた壺が気になってしようがないから。
 という理由はわからぬでもないが、そもそもの話として、どうして幽霊になってしまったのか?
 話がそのことになったとたんに、松之助は「う~ん」
 考え込んでしまった。
 どうやら、その辺のことになると記憶が曖昧で、頭の中に靄がかかったようになるらしい。

 足のない姿でふよふよ浮いている松之助を横目に、藤士郎と銅鑼は額を付き合わせてこそこそ話をする。

「ねえ、銅鑼。話を聞いたかぎりでは、よくある跡目争いのような気もするんだけど」
「たしかによくある筋だな、藤士郎。後妻が産んだ我が子可愛さに……ってやつか」
「でも、松之助さんは弟に跡継ぎの座を譲ってもいいと考えていたんだよねえ」
「そこはそれ、当人がその気でも、親父さんがおいそれとは許さんだろう」
「あー、話を聞いたかぎりでは厳しいお人みたいだしねえ」
「となれば怪しいのは後妻のお梅だが、だいそれたことだ。女ひとりでできることとも思えん」
「協力者がいる?」
「もしくは店に身中の虫がいるかだろう。だがそれ以前にちょいと妙だな……」

 ここでいったん口をつぐんだ銅鑼が眉間にしわを寄せては、何事かを考え込んでいる。
 邪魔をせぬよう、待つことしばし。
 ふたたび口を開いて銅鑼はこう言った。

「あの紅楼の息子だぞ。それが死んだにしては、ちっともそのことが世間に漏れていないのは、どうしたわけだ?」

 大店や名店に不幸があれば、大なり小なり噂になって、人の口の端にのぼるというもの。
 ましてや瓦版屋が喰いつきそうな種がある話なればなおのことであろう。
 藤士郎と銅鑼はそろって「はて?」と小首を傾げた。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...