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其の二百六十五 風鳴りと火花
しおりを挟む鶴の一声にて、あっさり藤士郎は番所から解放された。
持つべきものは同心の友である。
藤士郎と近藤左馬之助らは、近くの居酒屋に場所を移す。
「やれやれ、助かったよ」
蜆汁(しじみじる)のぶっかけ飯を空きっ腹にかっこみながら、藤士郎が礼を述べる。
下手人として疑われていたもので、番所では白湯の一杯もでやしない。昼餉はお園さんのところで食べていたが、腹が膨れて途中で眠くなったら困るからと軽めに済ませていたのが仇となった。
がつがつする狐侍を眺めながら茶をすすっている左馬之助は、ちょっと呆れ顔。
そんな左馬之助、藤士郎が落ちつくのを待ってから、ちらりと周囲をはばかり声をひそめて言った。
「……じつは、おまえが巻き込まれたのと同じ事件が他でも起きている」
いきなり首から血を吹き出しては、若い娘が燃え上がるという事件は、これで二件目とのこと。
一件目は七日前の両国橋にて。
犠牲となったのは医師の小畠源庵の娘、お文である。
白昼の橋の上、衆人環視の中での凄惨な出来事であったという。
そして二件目は今日だ。
死んだ娘の身元はすでに判明している。小間物問屋菊村屋の娘、お菊である。
ともに十七という歳で、習い事の帰りに災禍に見舞われた。
まったく同じ手口からして、同じ下手人の仕業とみてまず間違いないであろう。
「それで藤士郎、現場にて一部始終を見ていて、何か気がついたことはないか?」
前回のときは、まるで要領を得ず。不可解な事件にてわからぬことだらけ。
だが今回はちがう。すぐそばに藤士郎がいた。見た目こそは垂れ柳のようで頼りなさげな若者だが、腐っても道場主にて伯天流免許皆伝の腕前である。幾度もの荒事を経験してきており、なかなかに豪胆だ。
左馬之助より問われて、藤士郎は口をへの字に結び「うーん」と考え込む。
そうして思い出したのが……。
「そういえばあの時……、直前にへんな音を聞いた気がする。ひゅんひゅん風が鳴ってたんだよねえ。でも風なんてちっとも吹いてなかったんだけど」
「風もないのに音がしていた?」
「うん。ひょっとしたら、あれが凶器だったのかも」
娘の首を切ったのは飛び道具の可能性が高い。
付近に犯行に使われた得物が見当たらなかったのは、一件目のときには川に、二件目のときには堀に落ちて沈んだから。そう考えれば刃物を持つ者がそばに居なかったことの説明もつく。
だがしかし……。
「突然、火の粉が舞ったとおもったら、あっという間に燃え移っちゃったんだよ。ぼうぼうと」
「それなんだよ、藤士郎。お文のときは骸が大川に落ちて流れてしまって、検めたときには何もわからなかった。だがお菊は落ちたのが堀だったこともあって、わりとすぐに引きあげられた。だというのに、やはり油の臭いひとつ残っちゃいねえ」
勢いよく燃えたというし、てっきり油か、火薬でも振りかけて火をつけたと疑っていた左馬之助であったが、娘たちの骸にはそれらしい痕跡がなかったという。
「ところでその火の粉なんだけど、どこかで見たことがあるような、ないような」
と、はっきりしない藤士郎。
刀同士がぶつかったときに散る火花のような、苛烈さはない。
さりとて、しとしと散る線香花火ほど、大人しくもない。
鍛冶師が鉄を打つときの火花のような、意志を持っているかのような力強さもなく、焚き火にてぱちぱちはぜる火花ほど鮮明でもない。
ひと口に火花といっても、いろいろだ。
あれこれ思いつくままに指折数えてみるも、どれもしっくりこず。
藤士郎は眉間にしわを寄せたまま黙り込む。
結局、どうしてもわからずじまいにて、この日はそれまでとなった。
そのうち思い出したら報せると約束して、藤士郎と左馬之助はわかれたのだけれども……。
これより七日後のことである。
またもや犠牲者が出た。
手口は先の二件とまったく同じ。
舟宿伊根屋の娘、お真砂が死んだ。
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