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其の二百八十二 化け物屋敷
しおりを挟む河童に叱責された三人組は逃げ惑ううちに、気がつけば広々とした板間に飛び込んでいた。
どうやら屋敷に併設されている道場のようである。
だが飛び込んだところで、三人組は「「「ぎゃーっ!」」」
すぐに這う這うの体で逃げ出した。
道場では芸者の姐さんたちが、ちんとんしゃんと踊りの稽古をしていた。
けれども、首から上がみんな猫であったからである。
彼女たちは猫又の辰巳芸者にて、閑古鳥が鳴いている伯天流の道場を間借りしては、ときおり踊りの稽古をしていた。
じつはここだけの話、江戸の芸者の半分ぐらいは猫又である。あと色っぽいと評判の三味線や小唄の師匠らもだいたい猫又である。
なお京の芸妓の大半は狐で、大坂の方は狸が多かったりもする。
華やかなりし花柳界のこれが真実……。
猫と猫じゃらしならぬ、男衆と猫又芸者たち。
世の男どもは猫又たちに手玉にとられて、いいようにあしらわれているのであった。
◇
とんだ化け物屋敷に迷い込んでしまった!
恐慌状態に陥っている三人組、ひぃひぃべそをかきながら男たちが逃げ込んだのは、とある一室であった。
衣紋掛け、文机、箪笥、鏡台、床の間には華が活けられている。
ほんのりいい匂いがしており、派手さはないが上品な空間。明らかに女人が使っているであろう場所であった。
どうやら流行り病で亡くなったという、この家の御母堂の部屋らしい。
落ちつきのある雰囲気にて、男たちはようやくひと息つけた。
「なんなんだよ、この家は? いったいどうなっていやがる!」
ほっかむりを脱いだ兄貴分は半べそ顔、「ぢくしょう」と涙を拭いながら鼻をすする。
「もう、いやだ。はやく逃げよう」
「兄貴ぃ」
弟分たちもべそをかいており、涙と鼻水で顔がぐじゅぐじゅであった。
兄貴分も気持ちは同じである。こんな場所、とっととずらかりたい。だが、こんな目に合ったというのに、手ぶらで逃げるのはどうにもしゃくである。
意を決しての泥棒はじめ、せめて何かひとつでも……。
と考えていたら、都合のいいことに、周囲には物がごろごろあるではないか。
ここならば何か値打ち物が見つかるかもしれない。鼈甲(べっこう)の櫛(くし)、珊瑚の簪(かんざし)、可愛い小物の類、綺麗な着物や帯でもあればめっけもの。
だからさっそく室内を物色しようとするも、そんな矢先のことであった。
「おい、おい」
と呼ぶ声がする。
野太い男の声だ。
声は鏡台の方から聞こえてきたもので、三人組はぞぞぞと肌を粟立て真っ青になった。
なおも「おい、おい」という呼び声は続く。
三人組はどうしていいのかわからず、おろおろとするばかり。
すると声の主が焦れたのか、不意に鏡台がかたかたと震えだした。
かとおもったら、ぱかん。
はずれたのは台の上に立て掛けてあった鏡入れの蓋である。
あらわとなるぴかぴかの鏡面、そこには髭面の男の顔が浮かんでいた。
藤士郎の父親である九坂平蔵であった。なんの因果か、平蔵は死んでから地獄で官吏の職についている。平蔵は鏡や夢を通じて、現世にいる妻や息子と連絡をとっている。
けれどもそんな事情を知らぬ者の目には、鏡の怪にしか映らない。
三人組は泡を食って逃げ出した。
「ほんの出来心だったんですぅ!」
「ひぃぃ、ごめんなさーい!」
「助けて、おかあちゃーん!」
鏡の中の人物と目が合ったのも怖かった。
だが、その背後をちょろちょろしている鬼たちはもっと怖かった。
我先にと部屋から逃げていく男たち。
それを見送ることになった鏡の中の平蔵はわけがわからず、きょとんとしていた。
◇
廊下をどたばた、まろび転びつ。
家の中のどこをどう走ったのか、三人組が辿り着いたのは台所である。
これに兄貴分は「しめた!」と喜んだ。
なにせ台所には勝手口がある。そこから外へ逃げられる。
裸足のまま土間へと降り、男たちはそのまま勝手口へと一目散に向かった。
だが兄貴分が戸の引手に指をかけようとしたところで――。
からりと戸がひとりでに開き、ひゅうどろどろ。
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藤士郎の母志乃である。
あの世にて夫婦水入らずの生活となるはずが、夫は仕事が忙しくてちっともかまってくれない。早々にあちらの暮らしに飽きて、この世に出戻り、いまは九坂邸に憑いては一人息子の世話を焼きつつ、現地駐在員みたいなことをしている。
出会いがしらの遭遇に「きゃーっ!」
甲高い悲鳴をあげたのは男たちの方であった。
そして揃ってばたんと仰向けに倒れてしまった。ようやく助かったとおもったところで、この仕打ち。ついに精神が限界を迎えたのである。
白目をむいて口から泡を吹いている男たちに、ふよふよ浮かんでいる志乃はぷんすか。
「なによ、ひとの顔をみるなり失礼しちゃうわ」
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