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其の三百四十 妖花
しおりを挟む「ほらね、だから言っただろう? 金子は使いどころ次第で役に立つって。ちょっともったいなかったけどねえ」
「……それは、まぁ、いや、しかし――」
景気よく金子をばら撒くことで、巧妙に身を隠しこちらをつけ狙っていた刺客を炙り出し、藤士郎たちは敵を仕留めることに成功する。
なのに長七郎が釈然としていないのは、撒かれた金子に群がる人たちの狂乱ぶりをまざまざと見せつけられたから。
目の色を変えて我先にと地面に散らばる小判に飛びつく姿に、良家の箱入り息子はかなりおっかなびっくり、強い衝撃を受けたらしい。毒気に当てられてしまったようだ。
「まぁ、長七郎の言いたいこともわからなくはないよ。でもね、だからってあの人たちを蔑んだり、意地汚いとおもうのは絶対に駄目だよ。みんなお金の大切さを知っているからこそ、必死になるんだ。苦労したことがあるからこそ、つい飛びついてしまったんだ。なのにそれを浅ましいとか、上から目線で切り捨てるなんて、それこそ傲慢というものだよ」
藤士郎の言葉にはっとした長七郎は、つい口から零れそうになっていた侮蔑の言葉を途中で呑み込んだ。
若者がなにがしかの気づきを得た様子に藤士郎は満足し、うんうんと頷く。
◇
数日ぶりに不快な視線から解放された。
藤士郎たちはのびのびと街道を行く。足取りもやや軽い。
でも安息の時間はわずか一日と続かない。
街道沿いを進んでいると、道の先にて争う声がする。茶屋のところで揉め事が起きていた。
どうやら茶屋の娘が客の三人組に絡まれていたのを、たまさか居合わせた旅の剣客が庇っているようなのだが……。
三人組の身形はそれなり。どこぞのご家中の者らしい。家の用事か、はたまた主命を受けての遠出かは知らぬが、どちらにせよ、市井で揉め事を起こすのはあまり行儀のいいことではない。旅先の解放気分にちょいと浮かれたか。
それと相対する旅の剣客はすらりと長身にて、まるで役者絵から抜け出したかのような色白の美男であった。どこか浮世離れしている雰囲気を持っている。唇が赤いのは紅をつけているからか。
そんな美男が「まぁまぁ、お兄さんたち。そんなに鼻息荒く群がるから、娘さんがすっかり怯えてしまっているじゃないか」といきり立つ男たちをなだめている。
けれどもむしろ火に油を注ぐことになっている。
なぜなら男たちはすでに茶屋娘なんぞは眼中になく、口を挟んできた美男に舌なめずりにて、彼に好色な目を向けていたからである。
事実、その美男は衆道の気がまるでない藤士郎の目から見ても、くらりとくるぐらいに薫り立つ色香があった。
まるで妖花のよう。みなその美貌にうっとりして目を奪われている。
でも藤士郎がそれよりも気になったのは、そんな美男が背に持つ刀であった。
長い……五尺ほどもあろうか。優美な曲線を描く野太刀だ。黒漆に銀銅蛭巻の細工が施された鞘もまた趣がある。今時の刀とは違った風格がある。おそらくは鎌倉の世が終わり、足利氏が台頭する頃の業物であろう。
だというのに周囲は刀そっちのけで、目先の美貌に目が眩んでいるのは、あまりにも刀が大きすぎるからか。持ち主と相まって、どこか現実味が薄く、ひょっとしたら芝居の小道具かと勘違いしているのやもしれない。
なのに藤士郎がすぐにそれは違うと気づけたのは、美男がときおり見せる何気ない仕草から。
五尺もある刀は重い。その重さをまるで感じさせない立ち居振る舞い、自然な所作にて重心を維持しつつ、刀の重みが一か所にかからないようにしている。さりげなく体にかかる負担を散らしているのだ。
昨日今日で身につく芸当ではない。数えきれないほどの歳月を、愛刀とともに過ごすことで、剣身が一体となるからこそ可能なこと。
(この男、出来る。強い――)
密かに警戒を強める藤士郎であったが、その時のこと。
美男が騒ぎを起こしている男たちに流し目をくれて、にこりと微笑んだ。
「ここだと茶屋に迷惑がかかります。人の目もあります。この裏にちょうどいい土手があるので、話の続きはそちらでゆっくりと」
紅を差した唇から零れるこの言葉を受けて……。
男たちは誘われたとおもったらしく、好色な獣の表情を浮かべる。
でも藤士郎は心底ぞっとした。
誘いは誘いでも、男たちとは違う意味で捉えたからだ。
だというのに世事に疎く初心な長七郎は、ただただ義憤を起こし、「おのれ、一人に三人がかりとは卑怯な」と、止める間もなく茶屋の裏手に消えた男たちを追いかけてしまい、藤士郎も慌ててそれに続いた。
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