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其の四百五十四 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 鳥丸
しおりを挟む苦しい熱が遠ざかった。息をするのがずいぶんと楽になる。
ぼそぼそという低い話し声を耳にして、ぐったりしていたおみつは薄目を開けた。
人面炎馬に尾っぽで張り倒されたせいで、意識がまだ朦朧としている。視界がぼやけており、よく視えない。
その中に映る影は五つ……うち四つはずっと自分を守ってくれていた者たちだ。よかった、みんな無事であったのだと、おみつはほっとする。
それと自分を含めて、みんなを炎の中から助け出してくれたであろう長身の背中、あれは――。
「藤士郎……さ……ま……」
つぶやいた声がかすれている。
煙と熱で喉を痛めたらしい。うまく名を呼べない。
それでもその声が届いたのか、長身の影がちらりとこちらをふり返った。
まだよく視えていないのだけれども、おみつには藤士郎とおぼしき影が小さくうなづいたような気がした。
それを目にしたとたんにおみつは安堵に包まれ、ふたたび意識を手放した。
◇
おみつを河童たちと猫又の心助に託し、狐侍はひとり炎の中へと戻る。
これを待ち受ける人面炎馬は、両断された脚がすでに元に戻っていたばかりか、その身がひと回りほど大きくなっていた。どうやら回復がてらまたぞろ周囲の炎を吸ったらしい。
これを前にして、狐侍はおのれの手元をじっと見つめる。
握られている愛刀の小太刀・烏丸(からすまる)は、伯天流剣術の継承者に代々受け継がれてきた、九坂家先祖伝来の……というわけではない。
幼少期に父母に連れられて訪れた知念寺の古物市で、たまたま見かけたのを気に入って、ねだって買ってもらった品だ。
そのとき払った代金の額は忘れてしまったが、ずいぶん粘ってかなり安くしてもらった覚えがある。
なお烏丸とは藤士郎が勝手につけた銘である。
安くて丈夫で妙に手に馴染む小太刀。
弘法筆を選ばずというが凡人には無理。上等な筆なんぞ、きっと震えてまともに握れやしないはず。藤士郎の場合もそれと同じである。
じつはそれゆえに気兼ねなく振り回せる。これこそが狐侍の技の冴えを支えている秘密でもあった。
そういった点では、烏丸との出会いは藤士郎にとって僥倖であったといえよう。
巡り会って以降、幾多の死闘激闘をともに潜り抜けてきた相棒。
それが人面炎馬には通じない。
いいや、伯天流そのものが、人の技が通じない。
河童の丸薬にて己が身を異形と化したとて、それは同じ……。
どくん!
狐侍の思考を遮ったのは、手の中の愛刀より伝わってきた鼓動。
けっして気のせいなんぞではない。異形化したことにより、かつてないほどに鋭敏化された感覚が、それを肯定する。
そして人の身を捨てつつあるからこそ、狐侍にもすぐに理解できた。
「そうか……、おまえもか」
とたんに次々と甦るのは烏丸と超えてきた死線の数々。
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そしていま――。
狐侍のもっとも身近にて、ともに戦い続けてきた刃。
数多の強敵どもを退け、ときに屠り、妖をも斬り伏せてきた。
そんな小太刀が、いつまでもまっとうなままでいられるわけがない。
「いっしょに堕ちてくれるか?」
とのつぶやきに、烏丸がいま一度、どくんと脈打つ。
それを受けて狐侍は柄を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
とたんに鋭く伸びた爪が、親指の付け根の肉に食い込み血が滲む。
黒い血がつぅと流れ、手元より滴っては刀身をも濡らす。
鋼に宿りし魂と黒血が交わることで、烏丸の身にも変化が起きた。
刀身がじょじょに黒銀色へと染まっていく。
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