狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百六十 意富加牟豆美

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 柿の木材は全体が淡色でほんのり橙色を帯びた色味をしている。だが、その中でときおり黒い条があらわれることがある。この黒い条が強くなると、木材全体が黒に近しい色味になる。これを黒柿という。黒柿は年経るほどに、磨き込むほどに、より味わい深い姿となっていく。
 そんな珍重な黒柿にて作られた正方形の小箱。茶の湯の椀を入れるのによさげな大きさと形。なかには柔らかな紫色の袱紗の布にくるまれた、桃の実がひとつ収められていた。
 この果実は地獄に一本だけ生えている木から採れた仙桃にて、その名を常世仙桃・意富加牟豆美(おおかむづみ)という。大いなる神の霊威を宿している。
 その由来は神話の時代にまでさかのぼる。

 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が亡き妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻そう黄泉の国へと赴いたものの、「途中、けっして私の姿を見てはならぬ」という妻との約束を破ってしまい失敗する。
 ばかりか、黄泉の国の化け物たちに追われることになった。
 どうにか地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)までは辿りつくも、追捕の手はすぐ背後にまで迫っている。とてもではないが逃げきれない。
 そこで生えていた桃の実をもいで三つ投げつけることで、どうには追手を撃退し、命からがら地上への帰還を果たした。
 その時に伊邪那岐命を助けた桃こそが意富加牟豆美であった。

 意富加牟豆美の希少さ、霊験あらたかなのは言うに及ばず。
 でも、そんな桃を包んでいる袱紗もなにげに凄い。
 百年物にて、さる徳高い高僧が日夜の修行のおりに大切に愛用していた品である。御坊のありがたい読経を朝夕、ずっと間近で聞き続けたがゆえに、穢れを寄せつけぬ力を持つようになった護布だ。

 箱の蓋がはずれぬようにと結ばれた真田紐も逸品だ。
 遥か昔は遠い天竺にて編まれた紐だという。
 が、これについては真偽のほどは定かではない。

 いったいどこから都合をつけてきたものやら……。
 そんな品々に守られた仙桃を運ぶ大役を任されたのは、おみつである。
 どうして茶屋の看板娘に託されたのかというと、仙桃がたいそう傷みやすいから。本来、地上にあるものではない。常世の桃は現世の穢れに触れると、たちまち腐る。ゆえに扱えるのは穢れを知らぬ、魂清らかな乙女のみにて、おみつに白羽の矢が立った。 
 現在、おみつの姿は空の上にある。
 有翼の黒銀虎の姿となっている銅鑼の背にまたがり、江戸の地を離れては西へ。信濃国へと急ぐ。

「寒くないか、おみつ」

 銅鑼が自分の背にいる娘に声をかけると、「大丈夫です」との返事だが、声が少し震えている。
 それも無理からぬことであろう。普通の人間がいきなり空を飛べば、誰だってこうなる。
 高さだけではない。風もあるから空は地上よりもずっと寒いのだ。
 志乃のはからいにて、おみつは裏地に毛皮が張られた防寒用の旅合羽を着込み、手甲や脚絆(きゃはん)にて旅装は整えているとはいえ、隙間風を完全に防ぎきれるものではない。これが不安や心配などの気持ちと相まって、若い娘の身からみるみる体温を奪っていく。

 今回の信濃国は浅間山行きの旅。
 時間は味方ではない。
 遅れるほどに藤士郎を取り巻く状況が悪化していく。
 そのせいもあって、ついつい気が急きがち……。
 でも、だからこそ焦ってはならない。
 無理をさせておみつが倒れたり、仙桃が駄目になっては元も子もない。
 ゆえに銅鑼は急ぎたい気持ちをぐっと堪えて、「まだ先は長い。ここいらで少し休憩しよう」とおみつに告げた。

  ◇

 人気(ひとけ)のない山の中は、日当たりのいい岩棚へと銅鑼は降りた。
 銅鑼の背から降り、地に足がついたとたんにおみつは、ほっと安堵の表情となる。
 気丈に振る舞ってはいたが、やはり……。
 その姿を盗み見て銅鑼はひそかに反省しつつ、己の体の調子を確かめる。
 橈骨との戦いの傷はほぼほぼ癒えている。力もあらかた戻っている。
 あとは気構えの問題だ。

 浅間山にて――九分九厘、異形化した藤士郎と一戦交えることになるだろう。
 とうに理性が失せている状態のあれに、まともに言葉が通じるとはおもえない。ましてや、おとなしくこちらが差し出した桃を口にするわけもなく。
 むしろ己を滅する力を持つ仙桃を厭い、強く拒絶するだろう。
 鐘ヶ淵にて別れた時のままであれば、苦もなく取り押さえられた。
 しかし大地の力を存分に喰らい続けている今、どれほど強くなっているのかわからない。
 藤士郎は刻一刻と天魔王へと近づいている。
 おみつを守りつつ、これをぶん殴って黙らせて、その口に仙桃をねじ込むのは、相当に骨が折れることであろう。

 休憩にて、存分に陽の光を浴び英気を養う。
 血色を取り戻したおみつを乗せて、銅鑼はふたたび空へと舞い上がった。


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