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其の四百六十二 屍の道
しおりを挟む川、湖沼、泉、湧き水……。
水はそこかしこにある。
けれども、この恩恵を得られる場所は限られている。
地形の問題だ。
砂浜、岩場、干潟、藻場、葦原、水辺林、湿地……ひと口に水辺といっても、いろいろだ。
周辺との兼ね合いもある。
ゆえに適した水飲み場には、動物たちが集まる。
身体を清潔に保つ、あるいは体温調節をするための水浴び場ともなれば、さらに限定される。
多くの獣たちが集う場所。
これすなわち絶好の狩り場ということ。
だから水辺では、人知れず高度なかけ引きや戦いが繰り広げられている。
生きるのに欠かせない水。
野生では水を飲むのも命懸けなのである。
もしもその水がとても甘露であるならば、争奪戦はより熾烈を極めるであろう。
それと同じことが浅間山にて起きていた。
湧くのは大地の力にて、これに群がるのは己が何者なのかも知らぬ有象無象の妖だ。
だが、これを喰らえるのは山の火口付近の危険な場所のみ。
道なんぞはない。
急な斜面、脆い地形、転がり落ちてくる石が当たれば肉がひしゃげ骨が折れ、頭蓋をもたやすく打ち砕く。
気まぐれに地面から吐き出される噴気は灼熱のごとき熱をまとい、触れれば肌が赤くただれ、吸い込めば喉が焼かれる。
一帯に熱がこもっており、そこにいるだけでじりじりと生気を奪っていく。
ときには毒煙が噴き出すこともある。うっかり吸えばたちどころに意識を失い、それきりとなる。そんな目には見えない脅威が溜まっている場所もある。
であるのならば、空から直接向かえばといいたいところだが、山の火口よりもうもうと立ち昇る大量の噴煙がそれを許さない。
煙が白いときはまだいい。視界を奪い、進む邪魔をするばかり。
怖いのは煙が灰色になったときだ。
こうなると煙の中には灰や細かな石粒片が大量に含まれており、ほんのわずかにでも目に入れば容赦なく眼球を痛めつけ、ときには失明へと至らせる。吸い込めば咳が止まらなくなり肺を病む。煙に毒が含まれていることもある。
並みの者では近づくこともままならぬ。
なのに向かう有象無象の妖があとを絶たないのは、彼らが無知蒙昧であることもさることながら、それだけ大地の力が甘露であるから。
自我に乏しく、知性なく、本能に従って生きている妖らにとって、それは誘蛾灯にて、とてもではないが我慢できるものではない。
ならば協力するなり、分けあうなりすればいいのだけれども、生憎とそういう了見を持ち合わせていないので、結果として奪いあい殺しあう。
ゆえに、大地の力が湧く場所へと至る方向には、犠牲となった妖らの骸が転がることから、誰が呼んだか屍の道と云われるようになってひさしい。
近頃、そんな屍の道の様子がおかしい。
少し前までは、道半ばで力尽きた妖が点々と転がる程度であったのに、いまや足の踏み場もないほど。
埋め尽くしているのは、もちろん妖どもの死体だ。
その死体の状態がまた尋常ではない。どれれもこれも原型を留めておらず、無惨に切り裂かれたり、引き千切られている。
ある日、ふらりと江戸の方からやってきた流れ者の仕業だ。
人の形をした黒い異形が走る。
駆け抜けざまに、進路上に居たもの、襲いかかってきたものらを、片っ端から屠っては血の雨を降らす。
血が血を呼び、喧騒がさらなる喧騒を呼んだ。
黒い異形が突き進むほどに闘争の濃度が増し、戦いが激しくなっていく。
いつしか一対多数の戦いとなっていたが、血風が舞い上がり、絶唱が響くたびに積み上げられていくのは、死、死、死……。
さなかに猛々しい咆哮をあげたのは、黒い異形であった。
さなかに艶めかしい嬌声をあげたのは、黒い異形であった。
さなかに狂ったような歓声をあげたのは、黒い異形であった。
凄惨な修羅地獄の中で、黒い異形の身に少しずつ変化が生じていく。
全身を覆う漆黒の鱗の色味がより強くなるも、艶が失せて何も映さなくなった。周囲の光すらをも呑み込む奈落のように闇色が濃くなる。
そんな鱗の一枚一枚の形状が、ぎざぎざで棘のある柊(ひいらぎ)の葉のようになった。
これにともない外観の印象がより凶悪さを増した。
一本角の兜を被ったかのような頭部、その目元からのぞく双眸は紅にて、金の瞳孔は猫のようににゅうっと縦にすぼまり、これを囲む虹彩は盛りの紅葉のごとき鮮やかさ。
真・屍の道をこしらえた黒い異形は、勢いのままに浅間山へと入った。
戦いは山中でも続き、やがて舞台を大地の力が湧く場所へと移しても、終わることはない。
群がる有象無象の妖らを蹴散らし、蹂躙しつつ、大地の力を喰らうことで、黒い異形はより強くなっていく。
その光景は、まるで新たに天魔王となる者へと、みずからの命を供物として捧げるために、集っているかのようであった。
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