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その二十五 上野戦争の夜
しおりを挟む「西から敵が攻めてくるんでしょう。江戸も焼かれちゃうの?」
「どうだかなぁ。わたしが薩長の連中なら、絶対にやらないけど。あとあとのことを考えたら、どう考えても損だろうし」
「そうなの?」
「そうだぞ。へたに焼き討ち、略奪、乱暴狼藉なんてやってみろ。ぶち切れた江戸っ子たちが怒り狂って収拾がつかなくなる。信用がた落ちにて大義名分も失う。まずまちがいなく、新政府なんて向こう十年は建てられなくなるな。最悪、今度は薩長が朝敵認定されかねん」
「へー、江戸っ子つよいねえ」
「おー、強いぞぉ。火事と喧嘩は江戸の華ってな。無駄に血の気も多いし。まぁ、なんといっても民草が最強だ。ほら、庭の雑草だって抜いても抜いても、ちっともなくならないだろう? あれと同じだ」
「なるほどぉ」
子どもたちからの問いに、そのようにわたしは答えたものの、実際のところはわからない。
わたしが知っているのは、人間なんてちょっとしたことでタガが外れるということ。
連戦連勝にて、旧幕府軍をけちょんけちょんにしている新政府軍。
勢いのままに北上中。いささか勝ちに驕っているらしく、悪い評判もちらほら。
いくら上が厳しく手綱を握ったとて、末端まではとても目が行き届かない。どこにでも阿呆は紛れ込んでいる。
散々に素っ首を刎ねてきたわたしが言えた義理ではないが、血は時に人心を惑わせ狂わせる。凄惨な戦場を経てきた男たち。その理性や良心を頼りとするのは、いささか心許ない。
だからわたしはいつでも子どもたちを連れて逃げ出せる用意だけは整えて置き、つねに刀を手の届くところに置いておいた。
もちろん鍛錬も欠かしていない。
というか、御様御用の役目を返上したあとも続けている。すでに生活の一部になっており、しないとどうにも落ちつかない。これはもう身に染みついた呪いのようなもの。
我ながら難儀な体になってしまったと、嘆息するしかない。
◇
欠かさなかった鍛錬が無駄にならなかったことをよろこぶべきか、悲しむべきか。
わたしの生涯において、最後の仕事となる出来事が起きたのは慶応四年の皐月も半ば、夜更け過ぎのことであった。
その日は朝から上野にて彰義隊を中心とした旧幕府軍と新政府軍が激突。
彰義隊とは将軍の警護を名目に結成された隊にて、江戸市中の治安維持なんぞにも携わっていた連中。
我が山部家にも隊への参加打診がくるも、使いの者には「兄はすでに北へ向かった」とだけ告げて誤魔化しておいた。
筋書きとしては北へと移動する旧幕府軍残党に馳せ参じて、どこぞの戦場にて山部三成は討死。
もちろんでたらめである。
これにてわたしは双子の兄を失った、哀れな妹ということになり、長らく続けてきた一人二役を終えて、晴れて女の身に戻る。
男どもに混じって戦なんぞをするつもりは、毛頭ない。
武士の一分だかなんだか知らないが、馬鹿ばっかりにて、ほとほとあきれて愛想も尽きた。
いや、とっくに尽かしてはいたのだが、この後におよんで死に急ぐ意味がわからん。
残された者はどうする? 新たな時代に放り出されて路頭に迷う家族は? 妻は? 子は? 友は? 想い人は?
なのに武士としての本懐を遂げるとか。
連中は頭に蛆でもわいているのだろうか?
侍としての矜持を散々に愚弄し、踏みにじり、蔑ろにしてきたくせに、何をいまさら武士のふりをして、あたら命を散らす!
わたしは男どもの身勝手さに、ただただ憤りしか感じない。
◇
上野での戦いは、明け六つ過ぎに始まり、暮れ六つ前には終わった。
結果は新政府軍の圧勝である。
その間中、わたしは屋敷の門を固く閉じ、一室にこもって遠くに聞こえる戦の気配に怯える子どもたちを、ずっと抱きかかえていた。
やがて日が暮れ、長い緊張に疲れ果てた子どもたちが、安らかな寝息を立て始めても、わたしは警戒を解かなかった。
夜が更けていく間も、まんじりともしない。
虫のしらせとでもいおうか。
何かが起こるという予感があった。
ドンドンドン。
唐突に低い音が鳴った。
何者かが表から門を叩いているのだ。
子どもたちは眠りこけており、物音に気づかない
わたしは打掛を羽織り、刀を手にひとり門へと向かう。
くぐり戸の内側から「何用か」と問えば、「おたのもうします」との男の声。
声の響きに切実なる想いを感じたわたしは、すぐに戸を開けた。
すると、転がり込んできたのは血まみれの武士。左腿と肩には銃創、他にも切り傷が多数にて、意識が朦朧としている。
痛々しい姿からして、おそらくは上野の戦いの敗残兵。
けれども何よりわたしを驚かせたのは、飛び込んできた窮鳥が、まだ少年と見まがう年頃であったこと。
せいぜい十二、三といったところであろう。たぶん元服前。
若い、あまりにも若すぎる。
「すぐに血止めをして、医者を呼んできてやる。だから気をしっかり持て!」
わたしは屋敷に戻って、必要な品を取ってこようとした。
しかし袖を掴まれ、引き留められる。
瀕死の窮鳥が息も絶えだえにてたずねる。
「こちらは彼の高名な御様御用人、山部三成さまのお宅で……」
わたしがうなづくと「よかった」と安堵ののちに少年は請う。「不躾ながら、介錯をお願いしたく……。なにとぞ、なにとぞ、武士の情けにて」
なんということだ。
この少年は助かることよりも、あくまで武士として死ぬことを願っている。
武士道からすると、それはきっと素晴らしいことなのだろう。
まさしく武士の本懐、武士の一分というやつなのかもしれない。
だが、何だこれは?
こんな年端もいかぬ子どもに、大人たちは何をした! 何を教えた! 何を信じ込ませた!
これでは、これではまるで……。
まるでわたしと同じではないか。
ただ斬ることのみを叩き込まれた、わたしと何ら変わらぬではないか!
わたしや女凶賊竜胆だけではなかったのか? 我が山部家だけではなかったのか? 人であることを辞めていたのは?
狂っていやがる。
どいつもこいつもろくなもんじゃねえ!
◇
窮鳥はすでに視界がぼやけているらしく、女姿のわたしを三成当人だと思い込んでいる。
ここで真実を告げるのは、あまりにも酷というもの。
だが、だがっ。
わたしが逡巡していると、表に複数の足音が迫るのが聞こえてきた。
新政府軍の追っ手が血の跡をたどってきたのだ。
どうする? 子どもたちと自身の平穏を守るのならば、素直に突き出すのが一番だろう。庇い立てする義理はない。なによりわたしは武士なんかじゃない。
しかし、それでもわたしは……。
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