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040 赤い霧の夜
しおりを挟むその日は朝からどんよりした空模様にて、風もなく、朝からちょっと蒸し暑かった。
昼過ぎから降り始めた雨により、草原一帯が濡れそぼる。
天の恵みは地上の熱を冷ますには至らず。逆に暑さを助長することになった。
くすみが落ちたらしく、ほんの少しだけ小綺麗になった世界。
周囲の草たちが放つ緑の気配がぷんと濃くなり、いささか鼻につく。空気が重く、やや息苦しい。何もせずともじっとり肌が汗ばむ。そのせいで履いているブーツの中が蒸れる。足の裏がむず痒くってしょうがない。
そんな鬱陶しい雨だが、夕方近くになってようやくあがった。
これには小隊一同、ほっと胸を撫で下ろしたものである。
だが安堵したのも束の間のこと、日暮れとともに今度は霧が発生し、たちまち視界が悪くなってしまった。
そんな気の滅入る夜の片隅にて――
「センパイ、聞きましたかあの話」
「あの話? なんのことだ」
「勇者ですよ、お星の勇者さま」
「あー、アイツのことか……。俺はまだ直に見ていないけど、第六小隊の奴らがずいぶんと愚痴っていたな。実戦演習とかで狩りにつき合わされたらしいが、ちっとも言うことを聞かないもので、そのくせ何かあればすぐに『勇者の自分に指図をするな!』と癇癪を起こすものだから、お守りをするのが大変だったって」
「その勇者さまがまたぞろ揉め事を起こしたそうです。酔っ払ってフラフラ街を出歩いたあげくに、通りすがりの嬢ちゃんに声をかけて、無理やり路地裏に連れ込もうとしたんだとか」
「おっふ、そいつはひどいな。いろいろ勘違いしている野郎とは聞いていたが、それほどとは……」
「いや、じつはそれがまた傑作でして。その嬢ちゃんがとある高位貴族の次女だか三女で、お忍びで散策をしていたところだったらしくって、陰から密かに守っていた護衛の連中がすぐさま飛び出して、たちまち勇者さまをのしてしまったそうですよ」
「うわぁ、みっともないのにもほどがある」
白昼の天下の往来かつ、公衆の面前にてとんだ醜態を晒したもので、そのことはたちまち都中に知れ渡ることになってしまった。もちろん無礼を働かれたお嬢様の家の方もカンカンである。
いままでは上層部が裏から手を回して騒動を揉み消し、どうにか勇者の悪評を城内のみに留めていたのだが、こうなってはさすがにもう無理、庇いきれない。
当面は新聞紙面をおおいに賑わせることになるだろう。
いかに強制振り分けとはいえ、とんだ貧乏クジを引いたもんだと嘆きつつ。
「にしても第三小隊の連中、遅いっすね。どこで道草を喰ってるのやら」
「おおかた雨のせいで足止めでも食らったんだろうよ。じきに来るさ」
ボヤく同僚をなだめていたのは、街道警備を担う第八小隊の先輩格の者だ。
ここは草原と山の国イーヤル、現在は哨戒任務の交代のために、街道沿いに設けられた中継地点の休憩所にて待機しているところである。
だが肝心の第三小隊が待てど暮らせど姿を見せず。
予定時刻はとうに過ぎている。通信にも応答なし。もっともこの地では、雨と霧のせいで通信障害が起きることはままある。
とはいえ、さすがに不審におもった部隊長が、斥候を遣ろうとしたところで、霧の向こうよりガラガラガラガラ……
近づいてくるのは車輪の激しく回る音。
かなりの速度を出している。
何事かと警戒を強める第八小隊の面々であったが、そんな彼らのもとへと飛び込んできたのは、一台の幌馬車であった。
荷台の幌が裂けており、車体もボロボロ、かなり無理をして走らせたせいで、牽引していた馬は口から血泡を吹いており、到着するなり悲しそうに「ヒヒィン」とひと鳴き、どうと倒れて死んでしまった。
イーヤル国は「緑海」と称されるほどの広大な草原地帯を領土に持つ。騎竜や騎馬の名産地として広く知られており、育成にもチカラを入れている。ゆえにこの国では、騎竜や騎馬を乗りこなせないと、一人前の男として認められない。
だからこそ、この馬の乱雑な扱いは異常であった。
御者台で手綱を握っていたのは商人とおもわれる男だが、周囲に警護の姿はなく、当人も肩に酷い傷を負っているではないか。
何か鋭い突起物に貫かれたかのような創傷は深く、そのせいで男の意識は朦朧としている。
「どうした! いったい何があったのだ? 賊の襲撃でも受けたのか、それとも禍獣が出たのか」
介抱するかたわらで、部隊長が声を張り詰問すると、薄目を開けた男がいまにも消え入りそうな声にて懸命に伝えた。
「ち、ちが……う……。霧が、赤い霧が……で………た……」
とたんに部隊長の表情が変わった。
隊員らの間にも緊張が走る。
赤い霧、それはギガラニカに住まう者たちにとっては脅威であり、共通の忌まわしい敵を示す言葉。
「ただちに本部に緊急連絡を送れ。なに? まだ通信障害が続いているだと。くそっ、これだから旧式のボロ魔道具は……ならば誰でもいい、すぐにヴァストポリへ走れ、領主に赤い霧が発生したことを報せるんだ。それから残りの者たちは――」
「た、隊長、大変です!」
部隊長の言葉を遮ったのは、駆け込んできた隊員である。表にて歩哨に立っていた者だ。
「西方面より赤い霧がこちらに近づいてきています!」
まるで逃げた馬車を追ってくるかのようにして、赤い霧が迫っているとの急報であった。
さりとて霧に意思があるはずはない。
進行速度が異様に速いのは、どうやら街道沿いを進んでいるせいらしい。
石畳が敷かれ、整備された道は遮るものが何もない。
そこを流れるようにしてするする滑り、赤い霧は移動している模様。
休憩所の敷地の外へと向かい、状況を自分の目で確認した部隊長の決断は速かった。
「全員、最低限の装備を残し荷物をすべて放棄しろ。鎧や盾も捨てろ、騎竜たちの防具や鞍(くら)もはずしてかまわん。お前たちならばそんなものに頼らずとも乗りこなせるだろう? 身軽となったところで全員騎乗し、すみやかにヴァストポリまで撤退する。それから……」
言うなり剣を抜いた部隊長は、ぐったりしている怪我人へと近づくなり、喉をひと突きにした。
ひゅっとの呼気にて、刺された男の体が一瞬だけびくりと痙攣するも、それきりとなる。
「悪いな。緊急事態につきろくに動けぬ者を連れて行く余裕はない。恨むのならば恨んでくれ。俺は部下たちを守らねばならん。詫びはいずれあの世でする」
非情な決断を下した部隊長を責める者は、この場には誰もいない。
それほどまでに赤い霧と、その奥よりあられる存在は脅威なのだ。
怪我人や弱卒を守りながらで生き残れるような生易しい相手ではない。
そのことを、みんな知っている。
準備が整ったところで、第八小隊は撤退を開始した。
『大陸北東部の辺境、イーヤル国の緑海にて赤い霧が発生』
辺境に激震が走る。
その凶報は、すぐさま近隣諸国および中央へも伝えられた。
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