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089 麗らかな梅苑にて
しおりを挟むある日のことであった。
麗らかな昼下がり、城内の梅苑にて。
リードをはずされ、フセがキャッキャと喜んではそこいらを駆け回っている。
元気な赤べこを横目に、枝垂は梅の木の様子を診て回っていた。なお飛梅さんはジャニスの訓練に付き合っており、ここにはいない。
この前の一騎打ちにて、ジャニスはラジール王子に惜敗したのが、よほど悔しかったらしく、「次こそは絶対に勝つ!」と以前にも増して鍛錬に熱を入れている。
ラジール王子さま、ちょっぴり残念系イケメンかとおもいきや、なかなかどうして強かった。やればデキる男である。その実力を紫イモの貯蔵庫防衛戦のときに、是非とも発揮して欲しかった。
ブ~ン。
風にのってどこからともなく羽音が聞こえてきた。
これだけ花が満開しているのだから、ミツバチや蝶々が蜜を求めてやってきてもおかしくはない。枝垂はとくに気にすることなく庭内の視察を続ける。
にしてもこの場所はあいかわらずだ。
紅、白、ピンク、色とりどりの可愛らしい花弁たちが、目を楽しませてくれる。鼻孔をくすぐるは馥郁(ふくいく)たる梅の香り。ここの梅の凄いところは、互いの匂いが混ざったり、けっして喧嘩したりしないこと。
個々でも主張すべきは主張しつつ、それでいて全体で絶妙な調和がとれている。
じつは枝垂が星のチカラで生やした木々は、地球の梅と見かけこそはソックリだが、いろいろとおかしい。
なにせ季節に関係なく花がずっと咲き誇っている。
かとおもえば、三十日ほど経つと夕暮れ刻になると急に花が散り、夜のうちにぷくりとした福ふくしい実をつける。一両日中にそれがぽとりと地面に落ちたとおもったら、入れ替わりに枝が新たな蕾をつけて、また盛大に花開く。
そのため、ほぼ咲きっぱなし。梅の実も定期的にたくさん採れる。
おかげで梅干し、梅酒、梅ジュース、梅シロップ、梅ジャム、はちみつ漬け、しょうゆ漬け、浅漬け、甘露煮、カリカリ梅、梅肉ソース、クエン酸たっぷりの梅の濃縮エキス、梅ポーションなどが作り放題だ。
しかも処理しきれない分は、そのまま地面に放置しておけば、土に還っていい肥料になるから手間いらず。なんなら紫イモ畑に撒いてもいい。
おまけに……
「う~ん、やっぱり毛虫やアブラムシの一匹もいやしない。特に薬をつけなくても虫がつかないんだもんなぁ」
幹や枝、葉の裏なんかを調べつつ枝垂はうなる。
そうなのだ。梅の木栽培の天敵ともいえる、ウメスカシクロバ、イラガ、ウメシロカイガラムシ、タマカタカイガラムシなどの姿が皆無。
いちいち害虫を取り除いたり、薬剤を散布しなくていい。
やることといったら、せいぜいカビなどが生えないように風通しをよくする剪定作業ぐらいである。
「この調子なら病気知らずかもしれないなぁ。楽でいいけど、じいちゃんみたいな梅マニアにとっては、イージー過ぎて逆につまらないかも」
死別した枝垂の父方の祖父は大の梅好きであった。自分の初孫に梅の品種を名づけるほど。
祖父のもとでしばらく暮らしていた枝垂は、門前の小僧もなんとやら。自然と梅の知識に詳しくなった。
柳川枝垂という名前の梅の品種がある。
一重咲きの薄紅色中輪。蕾は濃紅色の萼(がく)に包まれているが、開花すると萼は反り返り、淡紅色の花弁がぱっとあらわになる。
この梅は日本三名園である偕楽園(かいらくえん)にて、六名木のひとつに数えられており、樹勢強健でも知られている。
野梅性にて原種に近く、枝が細くトゲ状の小枝が多い。
可憐な見た目ながらも香り高く、一見すると華奢だがじつはかなりワイルドだったりもする。
花言葉は「忠実」「忍耐」「清らかさ」など。
そんなことをつらつら思い出していたら、またしても「ブ~ン」という羽音がした。
先ほどよりも音が大きい。近くにいるのか。
まぁ、どうせ相手はミツバチの類なので、余計なことをしなければ刺される心配はまずない。慌てなければどうということはない。
だから適当に聞き流しながら散策を続けていたのだけれども、この場ののどかな雰囲気のせいで枝垂はすっかり忘れていた。
ここが地球ではなくて、危険な生物がそこいらを闊歩している、剣と魔法とスチームパンクな異世界ギガラニカであるということを。
ブブ~ン。
木の陰から姿をみせた羽音の主は、一メートルほどもあるでっかいミツバチであった。
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