高槻鈍牛

月芝

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第三話 小夜

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「おや、仁胡じゃないか。どこへいくんだい」

 村の外れへと通じる道を、のそりと歩いていた彼に声をかけたのはの小夜。十六の花も恥じらう乙女。
 彼とは一歳違いの幼馴染みにて、彼女の方が年上。
 里のみんなが仁胡を鈍牛と呼ぶ中にあって、小夜だけは必ず彼を本名で呼ぶ。
 それは彼女が気がやさしくて力持ちな彼を好いているから。
 幼いころから手間のかかる男にて、のんびりした性格ゆえに、村のいたずら小僧どもからよくからかわれていた。それをいつも「こらーっ!」と駆けつけて、助けていたのが小夜。
 ずっと弟のように面倒をみていたのだが、気がつけば背はグンと抜かれて、腕っぷしもまるでかなわなくなっていた。それでも他の里の男たちのように横柄な態度をとることなくやさしいままの彼を、小夜はいつのまにか異性として意識するようになる。
 うっかりざんばら髪の中にあった顔をのぞきこんだのが決定打となり、以来、小夜は自分の気持ちに素直になった。
 しかし鈍牛のあだ名は伊達ではない。
 小夜は目下、大苦戦中である。

「ああ、小夜ちゃん。頭領のおつかいで、ちょっと出てくる」
「頭領って……。あんな呑兵衛、いまどきそんな風に呼んでるの、村でもあんたぐらいだよ」
「だって叔父さんがそう呼べって言うから」
「うわぁ」

 顔を引きつらせて、そんな声をあげた小夜。
 えせ忍者の長が「オレさまのことは頭領と呼べ」と命じる。しかも他には誰も相手にしてくれないから、逆らえない甥っ子にこれを強要するだなんて、なんと格好悪いんだろう。
 仁胡の両親が相次いではやり病で亡くなったことにより、棚ぼたにて長者におさまった現当主。その阿呆さ加減に彼女は心底、あきれ果てている。
 悪い人ではない。いささか小狡いところはあるものの、なんだかんだできちんと兄夫婦の忘れ形見の面倒はみている。まぁ、なにかとこき使ってはいるけれども。
 そう、芝生慈衛とはそんな男であった。
 そしてそんな酔っ払いが自分の発言に責任なんて持つわけもなく、昨夜に自分が何を吐いたのかもまるで忘れており、のちに思い出して真っ青になることに。
 この話には端から真意なんぞなかったのである。
 なのにそんな男の命令を忠実に守ろうとする仁胡こそが、輪をかけての阿呆なのかというと、彼とても本心から信長公をどうにかしようなんぞとは、露ほども考えていない。
 というか不可能である。
 でも頭領が命じた以上は、いちおうは従うフリだけでもしておかないと、彼の面子が立たないとおもんばかってのこと。
 やさしさが斜め上に突き抜けてしまった結果なのだが、これはいらぬやさしさであった。
 阿呆の酔払いと、馬鹿正直者の気づかいがそろった時。
 世にも奇妙な星が巡りだすことになろうとは、遠ざかる仁胡の背を見送る小夜も夢にもおもわないことであった。


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