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第二十三話 契約
しおりを挟む長話を終えた果心居士。
黙って耳を傾けていた加藤段蔵は、胡乱げな目にて彼を見つめている。その目が「この大ほらつきめ」と言っていた。
これにあわてた果心居士、「そんな呆れたような顔を向けるでない。ワシとてこの話の一から十までを信じておるわけではないわ。ただかつて大陸より忍びの天敵のような女が、日ノ本にやってきたという話をだな」
「ならば、それだけ言えばよかろう。それを長々と……、おかげであの小僧をすっかり見失ってしまったではないか。もしや、わざとか?」
「くくく、ばれてしもうたか。まっ、ワシもヌシもこれ以上は野暮じゃろうて。それに個人的に少々頼みたいこともあったからの」
「?」
「あの小僧、芝生仁胡のことじゃ。星を読むに、どうにも騒動に巻き込まれる卦が出ておる。それにこの先、天の相にも乱れが視える。あの子はその渦中にしらずしらずに巻き込まれそうなんじゃ。ワシは少々、京に用事があってな、その間のことをまかせたい」
天の相の乱れ、それは乱世を意味している。
かつては覇を競っていた雄たちも、次々と散っていった。武田信玄も上杉謙信も既になく、松永弾正、浅井、朝倉家も滅んだ。
織田の勢いは日の出のごとくにて、かつては手も足も出なかった瀬戸内の水軍どもすら鉄甲船にて蹴散らし、ごちゃごちゃうるさい坊主どもの率いる一揆のことごとくをなで切りにし、いままさに西国をも呑み込もうとしている。
石高、財力、武力、人材、ありとあらゆる点において他を圧倒している。もはやこれと正面きって対抗できる勢力なんぞ日ノ本にはいない。
すでに八割がた天下は織田のものといっても過言ではあるまい。
それがくつがえる?
なにを馬鹿なと一笑にふしたいところだが、あいにくと果心居士の顔は真剣そのものにて、これが戯言の類ではないと悟る加藤段蔵。不敵な笑みが自然と零れるのをとめられない。
「ふたたび、乱世がくるだと……。そいつはいいな。だがそれとあの小僧の面倒をオレがみるのと何の関係がある?」
「それこそ大ありよ。よくよく考えてもみよ、あやつは忍びの天敵じゃ。これから存分に術合戦が楽しめるというのに、あんなのにその辺をフラフラされたら、すべてが台無しじゃぞ」
初めて鈍牛という青年と顔を合わせた夜の記憶がよみがえった段蔵。
おもわず顔をしかめずにはいられない。艱難辛苦の果てに身につけた技をあっさりと見破られた。あれは地味にこたえる。
たしかにせっかくの勝負の最中に、のそのそ現れられたら興醒めもいいところ。
「うむ。目を離すのは危険か。せめて居所ぐらいは把握しておいたほうが、よさそうだな」うなずいてから段蔵は言った。「ところで、京に用事とはなんなのだ?」
「なぁに、近々起こる天の相の乱れへの備えみたいなものよ。なんのかんのとあそこは魔窟だからな。この国に乱あるとき、中心はいつもあそこよ。そいつをちょいと見極めておこうかとおもってな」
「なるほど。で、報酬ついでにこちらにも情報は回してもらえるんだろうな」
「もちろん。それぐらいお安いごようじゃ。それからこいつを」
言って果心居士は懐から取り出した巾着を投げた。
加藤段蔵が受け取とると、ズシリとけっこうな重さ。中には相当な金子が入っており、おもわず口笛をぴゅうと吹く。
「ずいぶんな入れ込みよう。よほどあの小僧が気に入ったとみえる。弟子にでもするのか?」
「そいつもわるくはないのだが、惜しむらくはあれの気質は忍びに向かぬ。それよりもあの能力にこそ興味がある。さすがに手に入れることはかなわぬが、とっくりと調べてみたいとは考えておる」
「そういうことか。まぁ、いいだろう。この仕事、引き受けよう」
段蔵の返事に満足した果心居士。
「では、いずれまた」とその場を去っていく雲水。忍びらしく姿を消すでもなく、悠然と歩いてゆく。
その様子はまさに、巷のどこにでもいる旅の雲水。おそらく通りですれ違っても気がつけないかもしれない。それほど違和感なく周囲の景色に馴染み溶け込んでいる。
これに「どこまでも喰えぬ奴」とつぶやいた段蔵。彼はいかにも忍びらしく、音も無く姿を消した。
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