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第二十五話 首
しおりを挟む天正十年六月二日未明。
燃え盛る境内にて、飛び交うは怒号と矢玉、そこかしこにて剣や槍を手に斬りむすんでいる男たち。鉄と鉄、命と命がぶつかり火花を散らす。
はげしい戦闘がくり広げられているのを、ぼんやりと眺めていたのは鈍牛こと芝生仁胡と、その肩にのっている愛猫の茶トラの小梅。
「どうして、こんなことに」
「にゃあ」
小荷駄部隊の応援要員として、第二陣の運搬の手伝いに急遽駆り出された鈍牛。
命じられるままに荷車を引いて街道を駆けに駆け、右も左もわからぬ京の都をウネウネ抜けて、辿り着いたのが本能寺。
安土よりぶっ通しの強行軍。到着したときにはすっかり陽が暮れていた。
指示されるままに荷を下ろし終わって、ついでに武具の調整やら在庫の整理、なぜだかソロバン片手に帳簿つけまで手伝わされて、ようやく解放されたのがついさっきのこと。
境内のすみっこの岩によっこらせと腰をおろし、もらった握り飯を小梅と分け合いながら、白湯をすすっていたら、急に表が騒がしくなる。
てっきりお味方が馳せ参じたのかとのぞいてみれば、ズラリとひるがえる旗には桔梗の紋。
「あれは、たしか……、明智さまの。それよりもなにやら雰囲気がおかしいような……」
鈍牛の予感的中。
境内を「明智謀反!」の声が駆け巡り、ときをおかずして騒乱へと突入。
あれよあれよという間に建物に火がついて、御覧の有様。
もちろんすぐさま逃げるべきなのだが、あいにくと寺の周囲は水も漏らさぬ包囲網にて、蟻の這い出る隙間もなし。
これは困ったとおもっていたら、「そんなところで何をぼやっとしておる。女らを連れて、早や立ち去れ」と織田家中の侍から声をかけられた。
鈍牛は知らなかったのだが、謀反の相手が明智であったのが、むしろ運がよかった。
なにせ明智光秀という御仁は、たいそう人間が出来た方にて、民や女子どもらへの乱暴狼藉をとても嫌う武将。部下にもこれを固く戒めている。だから戦のおりには、下働きなど戦いに関係のない者らは見逃してくれるそう。
教えてもらった裏庭の一角へいくと、すでに二十ほどもの女や雑役夫らの姿があった。
だがまだ建物の中には数名が取り残されているという。
これを知った鈍牛、「ちょっと見てくる」と火の中へ飛び込んだ。
大声で呼びかけながら、逃げ惑っている者たちを次々と見つけて、みなのいるところへと向かわせる。
そうこうしているうちに、気がつけばかなり奥にまで立ち入っていた鈍牛。
火勢はますます強くなるばかり。
熱波で肺が苦しい。煙が目に染みる。懐にて丸まって震えている小梅の身も心配だし、そろそろ引き返そうかとしたとき、「待ってくれ!」との声。
待てと言われて、待ってしまう鈍牛こそが、なんとも素直。
ふり返るとそこにいたのは、絵物語から飛び出してきたかのような見目麗しい若侍。それが右に血刀、左に錦の布にくるまれた何かを下げている。
「そこもとに頼みたいことがある」
炎に照らされた顔が白く、涼やかな目元にて見つめられると、同性ながらおもわずドキリとなる鈍牛。
若侍は包みの中の品を、しかるべき織田家中の者に渡して欲しいと懇願。
覚悟を決めている男の最期の願いを受けて、これを無下にする鈍牛ではない。
黙って包みを受け取ると、若侍はにこりと笑って、「かたじけない。こちらから奥へと抜けるがいい。そちらならば、まだ火の手も回っておらぬはず。では、さらば」
言うなり颯爽と駆けだした若武者。
喧騒の坩堝と化した火の海へとその姿を消した。
残された鈍牛、包みを大事そうにかかえて、教えてもらった方へと向かう。
途中で火と煙に追われ、あちこち逃げ惑いつつ、なんとか辿り着いたのは貴人用の奥向きの台所。
そこでようやく水を得て、喉の渇きを癒し、少し落ち着いたところで気になったのは包みの中身。
金銀の精緻な刺繍が施された布は立派にて、小ぶりな西瓜ほどの大きさ。だが底ににじんでいるのは明らかに血糊。
おそるおそる開けてみれば、中から人の首がゴロリ。
誰の首かなんて言わずもがな。
期せずして頭領の命令を達成してしまった鈍牛。
とりあえずこのまま持ち運ぶのはまずいと考え、適当な入れ物を探すと、目についたのはよさげな壺。みれば糠床にて、ちょうどいいとこれをひっくり返して、中身を抜くとここに首をおさめ、上から糠をびちゃびちゃ詰めて隠し、木蓋をしっかりとはめる。
「ふぅ、とりあえずこれでよしっと」
ひと仕事終えた鈍牛、近くにあった風呂敷にこれをくるむと背に担いで、外へと向かう。
じきにどうにか逃げ出す人たちと合流。
そろって本能寺の境内を出て、周囲をかこんでいた明智の軍勢へ「おそれながら」とおずおず申し出る。
すぐさま手荷物やら、姿やらを検められる一行。
なにせ時折、女の格好に扮して逃げ出す輩もいるそうで。
ドキドキしながら自分の番が来るのを待っていると、「ちょっと待て」といきなり槍を突きつけられた鈍牛。なにせ彼は六尺越えの大男。その立派な体躯ゆえに、疑われてしまったのである。
みな戦場の空気に当てられ、いささかいきり立っているから、彼がしどろもどろで言い訳をするほど、ますます怪しまれる結果に。
と、そんな鈍牛の窮地を救ってくれたのは見知った顔であった。
「おっ、鈍牛どのではないか。いつぞやは世話になったな」
声をかけてきたのは矢那六輔。明智家中の足軽の小頭にて、かつて鈍牛が安土に着いてすぐに手助けをしたことのある者。
「その者はただの雑役夫よ。人物はオレが請け負うゆえに、かんべんしてやれ。それにしても、どうしてこんなところにおるのだ?」
たずねられたので、かくかくしかじかと説明をする鈍牛。
すると周囲からどっと笑いが起こり、場の雰囲気が一気になごむ。
またその様子に何ごとかとぞろぞろ集まってきた明智の家来衆の中には、以前に鈍牛に世話になった者らが多数いて、彼らの声もあって鈍牛の潔白は証明されて、無事に解放された。
壺の中身もいちおうは検められたが、いっしょに入れてあった大根の漬物のおかげで誤魔化せた。
かくして難を逃れた鈍牛。
とりあえず首を持って安土へと戻ることとする。
天正十年六月二日未明。
明智光秀謀反にて、織田信長、本能寺に死す。
かくして新たな戦乱の世の狼煙があがった。
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