高槻鈍牛

月芝

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第二十六話 火炎地獄

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 上を下への大騒ぎとなっている都を抜け出し、足早やに安土へと向かった鈍牛。
 だが瀬田の大橋を越えたあたりで、逆に安土から流れてきた人々の波とかち合う。
 その中にはお城で世話になった姉さま方の姿もあった。
 なんでも城と町が燃えており、命からがら逃げ出してきたんだとか。
 しかしその中には、よく見知った娘の顔が見当たらない。「どうしたのか」とたずねたら、城下の町の途中までは一緒だったのだが、炎の中を逃げ惑ううちに、どこぞではぐれてしまったんだとか。
 これを聞いた鈍牛、姉さま方が止めるのも聞かず、猛然と走り出す。

「待ってろ、七菜ちゃん。死ぬんじゃねえぞ」

 人の波に逆らって駆けるは六尺越えの大男。
 やや長い手足をめいっぱいに動かし、ざんばら髪をたなびかせて走る姿が、暴風となりて安土へと向かう。
 一方その頃。
 燃え盛る安土の町中にいた七菜は、ある人物と行動を共にしていた。



 時を少しばかり遡る。
 明智謀反の報は、一両日中には畿内を駆け巡り、もちろん織田家のお膝元である安土にも届く。
 ただ当初はそれほどの混乱はなく、むしろ不自然なほどに静かな構えですらあったのだ。
 その理由は、ひとえに明智家の対応にある。
 よほど入念に段取りをしていたようで、京での謀反に呼応するやいなや、粛々と安土各所の制圧が進められた。
 あまりにも鮮やかな働きにて、気づいたときには、すでにすべてが終わっていたのだ。
 織田方に油断がなかったとは言わない。
 けれども、それを考慮しても明智方の動きがあまりにも迅速すぎる。おそらくはまえまえから機会を伺っていたのだろう。
 制圧戦の指揮をとっていたのは明智光満。
 明智光秀のいとこで馬上での戦働き、その手綱さばきの見事さは、崖のごとき一ノ谷を駆け下りた義経もかくやと、もっぱらの評判。
 そんな勇将に率いられている兵に弱卒がいるわけもなく、またつけ入る隙もまるでなくて、織田方の主だった面々は安土より落ちのびるのが精一杯であったという。
 安土を抑えたのちに、明智光満は終始徹底して治安維持に努めたので、民の動揺も表向きはさほどでもなかった。
 それに戦国の世にあっては、交代劇なんぞ珍しくもない。精々が「またか」といった印象。下々にとっては上なんて誰でもいい。ちゃんと支配さえしてくれれば。
 あとは京にて首尾よく信長を討った明智光秀が、その首をひっさげて勝ち名乗りをあげ、各地の協力者たちが一斉に挙兵し、織田家のすべてを手中におさめるばかり。
 しかしその計画がじょじょに狂い始める。
 その筆頭が安土での火炎地獄の出現。
 はじめはただの小火かと、みな、甘く見ていた。だがそれがあちこち同時に火の手があがったとなれば話がちがってくる。
 奇妙な話は他にもある。
 火を見つけて、これを消そうと水をかけたら、とたんにかえって勢いを増し、ぱっと燃え広がったという。
 そのせいで被害が一気に拡大。おりから琵琶湖より吹く風がこれを煽り、城も町も手のつけられないあり様に。

 逃げ惑う人々をよそに、城下を飛び交っていたのは忍びたち。
 この火事は彼らの仕業。成したのは、三つの忍びの集団。
 一つは伊賀者たち。
 天正伊賀攻めにて、織田勢に蹂躙され尽くした彼の地の生き残りの一派。故郷を失い散りぢりになるも、ずっと陰に潜み報復の機会を伺っていたところ、堺の商人らから打診を受けて、此度の謀反に加担する。
 一つは風魔。
 関東の雄、北条家に仕える忍び集団にて、主命により参加。日に日に脅威度を増すばかりの織田勢。ここいらで一度、力を削いでおこうとの思惑。また今回の一件を企んだ者たちに恩を売る意図もあった。
 一つは元甲州透破たち。
 武田家に仕えていたが、長篠の戦いにてお家が滅亡した後は、織田家臣の森長可に属したものの、これに不服を唱えて離反していた者ら。京のやんごとなき身分の方に雇われて、安土へとやってくる。
 各々が違う筋より仕事を請け負い、暗躍していたところ、似たような動きをしている者たちと遭遇。目的が同じならば、みなで手分けした方がよいと、共闘の形をとったのだが、それがおもいのほかにうまくいった。
 だからであろうか、あるいはこれほどの破壊をもたらす鬼炎に酔うたのかもしれない。
 火をつけているところを、小娘に見咎められるという失態を犯す。

「ちょっと、あんたたち。いったい何をしているのよっ!」

 安土の城で下働きをしている七菜であった。
 姉さま方たちと避難している途中ではぐれてしまい、運わるく凶事に遭遇してしまったのである。
 人も物も建物も暮らしも人間関係も想いも、炎はすべてを台無しにする。
 これまで築き上げてきた大切なものの一切合切を。
 怒りのあまり冷静さをかいた七菜は、自身の危険も省みずに男たちに向かって声をあげてしまっていた。
 仕事中の姿を他人に見咎められる。
 ましてやそれを素人なんぞに……。不覚以外のなにものでもない。忍びにとっては恥。
 覆面からのぞく目にたちまち剣呑な光が宿る。
 音もなく腰のモノを一人が抜くと、周囲の者たちも次々とこれにならう。
 炎に照らされた刃が、鈍いかがやきを放つ。
 それらが一斉に自分へと向かってくるのを、七菜はただ眺めていることしかできなかった。


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