高槻鈍牛

月芝

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第二十九話 蛇眼剣

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 二人の始末をつけ、追撃者はあと一人。
 と、よろこびたいところだが、お良の表情はむしろ険しさを増していた。
 なぜならこの戦いの最中にあって、最後の一人は微動だにすることなく、静かにこちらを見つめていたから。
 静観などと生易しいものではない。仲間の命を犠牲にし、ヘビのような目にて、じっとクノイチの戦いぶりを検分していたのだ。
 薄闇の中とて完全に姿を捉えられており、もはや隠れることもかなわない。
 お良は正面から対峙して、戦う道を選ぶ。
 忍びとしての技量ならば、自分の方が勝っているとの自信がある。だが剣をとっての接近戦となれば五分五分、いや六対四で相手に有利と彼女はみていた。

「たいしたものよ。お荷物を抱えてのこの戦いぶり。それに引きかえ、こいつらのだらしないことといったら」

 足下に転がっている仲間の骸を、いまいましいとばかりに蹴りつけるヘビ目の男。
 肉を打つイヤな音がやたらと耳につき、お良は柳眉を寄せる。
 すでに頭巾はどこぞへ失せており、そのうつくしい顔が露呈していた。
 にもかかわらず男の瞳には、ひと欠けらの好色も浮かんではいない。
 見目が麗しい、もしくは女というだけで、油断してくれる者は存外多い。クノイチにとっては姿形もまた立派な武器。しかし目の前の相手には通用しそうもなかった。
 お良は、ふぅ、と一度深く息吹をすると、空気を全身へと行き渡らせて、血のめぐりを活性化させる。とたんに体温があがり、熱量を発生させ、これを喰らって筋肉たちがよろこびうたう。
 短時間ではあるが、通常よりも速く強く動けるようになる秘術。
 準備を整えたお良が二本の小太刀を構える。

「小太刀の二刀流か……。そういえば皇家の犬がそのような武芸を使うと聞いたことがある。これは面白い」

 男が片手にて持ち上げた刀の切っ先を、クノイチにむけた。
 刀越しに男の両目が妖しく光り、殺気がひたひたと不気味ににじり寄る。
 負けじとにらみ返したお良。その身を左へよけた。間髪入れずにくり出されていたのはするどい刺突。目に意識が行った瞬間を狙われたと気づいて、お良は歯噛みする。
 ふたたび対峙する両者。
 目を見ては先の二の前、だからお良は相手の刀にだけ集中しようとした。なのにそれが出来ない。
 ヘビ男の目の動きを無意識のうちに追ってしまっていた。
 いや、ちがう。視線が操られていたのだ。目玉の動きの緩急と殺気を巧みにつかい、目の前の相手を翻弄する技。
 刹那のやりとりにて、勝敗を決する剣の勝負にあって、これはおそろしい。
 お良は自分の足が泥沼にはまったかのような錯覚におそわれる。相手の術中にはまりつつある。下手に長引かせるとますます不利になると考え、意を決し攻めに転じた。
 右の小太刀が閃けば、左の小太刀が突く。左右交互に、ときには同時に刃を繰り出す。
 怒涛の攻め手。
 これを冷静に受け流す男。
 火花がいくつも闇に咲く。そのたびに両者の顔が照らし出されるも、二人とも感情の類は一切浮かべておらず、能面のような表情であった。
 八合、十合とぶつかり続けて、その数が十三になったとき、二人の動きが止まる。
 お良の左の横薙ぎを受けて、ヘビ男の刀がこれをふせいだことによって生まれた拮抗。
 あばらを下から抉るように突きあげられたのは、お良の右の小太刀。
 剣の動きが封じられてからの、完全なる死角からの攻撃。かわしようのない一撃。
 しかし次の瞬間、驚愕したのはお良。
 見えないはずの必殺の突きを、跳ね上げた膝にて完璧に逸らされたから。

「おしかったな。だがあいにくとオレに死角はない」

 そう言った男、ヘビに似た両の目がギョロリと動く。
 左右の瞳がてんでバラバラに。ある程度、訓練をすれば左右の目にて違う方向を同時に視て、一度に把握できる領域を広げることは可能だ。だがこれは、そんなモノとはまるで別物。ありえないことに完全に独立した別個の目玉と化している。
 これこそがお良の攻め手をすべて防いだからくり。
 双剣を使うは、手数と回転が有利となるため。だが男の目はそのことごとくをしっかりと追い、これを潰す。
 ここにきて六対四の勝ち目が、七対三へと傾いてしまった。
 内心で焦りを禁じ得ないお良。だが無情にも、ついには八対二にまで追い詰められてしまうことに。
 攻め手を封じられて、いったん距離をとろうとしたお良に、男の切っ先が迫る。
 これをひらりとかわした。だというのに右肩に激痛が走り、つつうと血が伝い袖を濡らす。
 よけたはずの刀が当たった? これ以降、不可解な現象に翻弄されて、クノイチは傷を増やしていく。
 致命傷こそではないものの、小さな傷も積み重なれば枷となる。流れ出る血とてかなりの量に。
 ただでさえ疲れているところに、傷口が熱を帯び、失われた血によって思考もにぶる。
 なんとか懸命に意志を奮い立たせるも、それも限界に近い。
 そのとき、付近にておおきな火柱が上がった。
 ふいに一帯が明るくなる。
 ついにここまで火炎地獄が迫ってきたのだ。
 もはや一刻の猶予もないと、握った刀に力を込めたヘビ目の忍び。それでも迂闊に仕掛けたりはしない。窮鼠猫を噛むではないが、命のやり取りにて勝ちを目前にしたときこそ、もっとも用心すべきだと彼は知っていたから。
 それはとても正しい判断。だがこの場合においては、お良の光明となる。
 わずかながらに猶予が生まれる。その最中にてクノイチの目に映ったのは、敵の刀が強い炎に照らされて浮かんだ、きらめき。
 人を斬るために、よくよく手入れされた刃。それが放つ光彩が歪んでいたのだ。
 歪んだ鏡に姿を映せば、そこに映った姿も歪む。光もまたしかり。通常の刀身に光を当てれば、このような輝きかたはしない。
 それでお良は気がつく。相手の刀がほんのわずかながらに歪んでいることを。
 視線の誘導とこの刀の歪みを利用した錯覚。これこそがヘビ目の男の術の正体。
 自分が避けたときの動きと、相手の切っ先の動き。
 双方を考慮すれば、おそらく術が産み出す錯覚が及ぶ範囲は剣の周囲二寸(約六センチ)程度。このわずかな間合いが生死を分ける境界。
 しかしこのわずかが難儀。
 どうしたものかと考えていたら、お良はギョッとなる。
 見れば暗闇の向こうにて、石を手におおきく振りかぶっている七菜の姿が目に入ったから。あの馬鹿、不甲斐ないクノイチを見かねて、助太刀をするつもりのよう。
 心意気はありがたいが、あまりにも無謀。最悪、自分が犠牲になって敵を引きつけ、彼女には逃げてもらうという道も残されていたのに、それもこれでおじゃん。
 でも七菜としては、そんな気は毛頭ない。
 お良は自分が死んだら鈍牛がかなしむから助けたと言っていたけれども、その逆もまたしかり。お良の身に何かあったら、やっぱり鈍牛は泣く。
 そんなのを許せるほど乙女は意気地なしではない。
 えいっと放りなげられた石。だがモノを投げる鍛錬なんぞ生まれてこのかたしたことのない素人に、真っ直ぐモノが投げられるわけもなく、石は忍びたちの頭上を通り過ぎて屋根にこつん。
 その音にヘビの目の片方が反応して動くも、もう片方はお良から一瞬たりとも目をそらさない。
 陽動にもならなかった石は、拳ほどの大きさもあったか。
 しかし屋根に当たった石はころころ転がり、加速して、そのままちょうど男の真上へと落ちてきたからたまらない。
 頭上から迫った何かに、つい手が出たのは、狂ったほどに積み上げた鍛錬の為せる技。頭よりも先に体が勝手に動いていた。いわは条件反射のようなもの。
 ガキンと鈍い音がして石は容易くはじかれる。
 その隙をついてお良の双剣が迫るも、これは予想していたらしく、返す刀にて正面から受け止められてしまった。

「甘い、その程度の動き、このオレが見破れぬとおもうてか」ニヤリと男が笑うも、すぐに「なに!」と驚愕の声をあげる。

 自慢の愛刀にひびが走る。
 不用意に石を弾いたときに、当たり所が悪かったのだ。
 刀身を意図的に歪めて錯覚を起こすように造られたがゆえに、歪みの起点となる箇所だけは、ほんのわずかながらに他の部分よりも強度が下がる。だがそれは本当に針で突いた点のごとく小さなものにて、たとえ千合万合はげしく打ち合おうとて、当たるものではない。
 しかし七菜の勇気が、乙女の矜持が、その万に一つを引き当てる。
 そしてこれを見逃すお良ではない。
 一撃目では砕けぬ刃に、二撃目が間髪入れずに襲いかかり、ついに刀身がパキンと折れた。
 勢いのままに振り抜かれたクノイチの切っ先が男の首をかき切る。

「そんな、ばか……な……」

 致命傷を負ったヘビ目の男。その身はふらふらと動き、最後はどぼんと水路に落ちてそれきりとなった。


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