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第六十四話 海辺の怪異
しおりを挟むこれは敵のクノイチたちを食い止める白巴蛇と別れた直後。
鈍牛こと芝生仁胡が、ひと足先に目的地であった浜へとやってきたときのこと。
彼女に言われた通りに、舟の準備をしておくべく、辺りをキョロキョロ物色した鈍牛は一艘の帆舟に目をつける。
全長二丈(約六メートル)ほどの細長い笹の葉のような形をしており、帆も小さい。
おそらくは二名から三名程度で乗り込んで、岸に近い海での漁に使用するものなのだろう。
これぐらいならば自分でもなんとか操れるかもと考えた鈍牛、さっそく舟を陸から海へと押すことに。
と、その前に、ずっと懐に入れていた愛猫の茶トラの小梅を外に出してあげる。
長らく縮こまっていたので、すっかり体が硬くなっていたのか、それをほぐすかのようにして伸びをする猫の姿を尻目に、鈍牛は出航作業に取りかかった。
とはいえ係留している綱をはずし、舟体を押すばかり。
六尺越えの背にて怪力を誇る鈍牛、舟の縁を掴んだ手にぐっと力をこめて、全身にてこれを押す。とたんにズズズと前へ動いた。
屈強な海の男たちが五名がかりで綱を引き、ようやく動かせるほどの重さもあるというのに、それを一人で成してしまう青年。
どうやら故郷の高槻を出立してより、安土からこっち、いろんな経験をして、またぞろ彼の肉体が厚みを増していたことに、気づいていた者がいたであろうか。おそらくは当人にも自覚なし。なにより鈍牛はまだまだ成長期半ば、その体はほんの少し目を離しているだけで、グンと育つ。これまで上へ上へとのびていた分が、近頃、前後へと回されつつあるようだ。
じきに舟を水に浮かべ終わったものの、あまり岸に近いとすぐに波にて逆戻り。
仕方がないので濡れるのも構わずに、舟の穂先についた綱を担ぐと、そのまま沖へと歩き出す。
この浜は遠浅の海にて、足が充分に届くがゆえに、鈍牛の背丈と力があれば舟を引っ張ることも可能。
沖へ八丈(約二十四メートル)ばかりまで運んだところで、「これでよし」と作業を終えた鈍牛は浜へと戻る。
そこには陽の熱で温まった砂を相手に「にゃんにゃん」と戯れている小梅の姿があった。
なんとも愛らしい仕草にて、これを前にすれば怒れる不動明王も地獄の閻魔も、たちまち頬を緩めそう。
もちろん鈍牛の頬や目尻はとっくに陥落している。
そんな場合ではないとはわかっているのだが、どうにも止められない。
とはいえ残してきた白巴蛇の身も気になるので、すぐに顔を引き締めると、視線を浜の入り口の方へと向けた。
「だいじょうぶかな。あまり無茶をしてなければいいのだけれども」
そうつぶやかずにはいられない青年。
その視界の片隅を何かが横切る。
あまりにも一瞬の出来事、ゆえにはじめは何が起こったのかわからなかった。
何が起こったのかわかったのは、「にゃーっ」という小梅の悲痛な声が、空の上から聞こえてきたから。
いつの間にやらすぐそばの砂場で遊んでいた愛猫の姿が消えている。
その身は見上げた先に!
なんと鳶だか鷹だか鷲だか知らないが、大きな鳥の足に掴まれた小梅が宙を飛んでいくではないか!
あわてた鈍牛、「こらーっ」と声をあげて、すぐさま後を追う。
鳥はスイと飛んで沖合へ向かう。
そして何を思ったのか、掴んでいた猫をポイッっと放り出したのは、ついさっき鈍牛が浮かべた舟の上。
訳がわからないなりに小梅の身を案じた鈍牛、いそいで自分も舟へと駆けつけた。
縁に手をかけ、中に乗り込んで見れば、そこには茶トラの愛猫の無事な姿。
小梅も何がなにやらわからないといった表情にて、きょとんとしている。
こんな真似を仕出かした大鳥は、舟の上空をぐるりぐるりと優雅に旋回。
いったい何がしたかったのやら、もしや揶揄われたのか? と鈍牛。なんにしてもひと安心にて小梅をやさしく抱きしめた。
だが、ほっとしたのも束の間。
ふらりと舟が勝手に動き出す。
帆も立ててはおらず、櫂もまだ舟底にあるというのに。
えっ! えっ! と動転しているうちにも、舟は沖へ沖へと。
あきらかに波に攫われているのとは違うことだけは、海の素人である鈍牛にもわかる。それぐらいに不自然な動きにて。
ちょうどその時、浜にあらわれたのは加藤段蔵。道すがら白巴蛇の手を抜けた一団を始末して駆けつけたところ。
遠ざかる舟に「おーい」と声をかける。
鈍牛も「おーい」と答えて、口早やに状況を説明するも、見る間に浜から遠ざかり両者の距離は広がるばかり。
いっそ飛び込んでしまえばよかったのだが、鈍牛はあいにくと海で泳いだことはない。それに首には大事な品の入った壺の風呂敷包み、愛猫の小梅も抱えては、とてもそんな無茶はできなかった。
まごまごしているうちに、どんどん遠ざかる陸地。
船足も心なしかじょじょに増しており、スーッと海面を滑るかのよう。
いかに超人的な肉体を持つ忍びの飛び加藤だとて、さすがに水の上は走れない。こればかりはどうしようもない。
鈍牛が乗った舟が遠ざかるのを、指をくわえて眺めていることしかできなかった。
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