10 / 64
レジスタンス
□
しおりを挟む私がガレージの車の側でコーヒーを堪能していると、奥からカルネの悲鳴が聞こえてきた。
「なんじゃこりゃあ!」
と言うので、
「どうかしたの?」
というと、
「腕の中から芋虫が出てきたぞ。気色悪っ!」
私は貴重なカップ一杯のコーヒーを啜りながら、片手間に答える。
「ああ、瘴気まみれの街に行った時の。草とか蔦とかすごくてさ、多分、かき分けたときに入ったんだろうな。増えてなかった?」
「全部死んでる。間違えて入って出られなくなったんだな、こりゃ。寝たな? 草の上で」
鷹揚な声で答えた。
「寝た、寝た。丁度いいサイズの草の絨毯があったから。宿もないしさ」
「それにしても、これはなあ……」
カルネがこちらに顔を突き出してきて、ニヤリと笑顔を見せる。私はそれを無表情に見つめる。
「初めて見た」
「そりゃあ良かった」
私はコーヒーを飲み終わり、立ち上がって、ガレージの外に出て行った。
数時間後、カルネから連絡が入る。陽は陰り始めており、牧場の柵越しに荒野に沈み掛かっている太陽の淡い影が見えていた。
私は彼女の言った通り、「寂しがっているらしい」ヤギの元へと向かったが、私が近付くことはおろか、声を掛けても反応すらしないヤギ子だった。
出荷するわけではない、カルネが個人的に愛玩目的で飼っているヤギだ。
昔から愛玩扱いだった訳ではなかったヤギ子は、番号札の付いている首輪を取ろうとすると、何故か強く抵抗したらしく、それからは仕方なく最早意味もなさない首輪を首に掛け続けている。
因みに裏面には「ヤギ子ラブ♡」とカルネの字で書かれているのだが、当のヤギ子本人は気づいていないだろう。
流石に一撫でもしないで帰るのは悪いだろうと思って、小さな牧場の柵をくぐり、中に入る。
顔見知りの弟子が一人、山羊や羊たちに草や餌をやっており、私は軽く頭を下げる。彼も反応して、少しだけ頭を下げる。
私が至近距離まで辿り着いても、ヤギ子は一向に私の事を無視して、一心不乱に草を食んでいる。
私がそっと背中に触れ、案外しっかりとした硬さのある背中を縦に撫でても、特に何も反応しなかった。
その時、何かの視線を感じる。
丘の上。
ここは荒野の末端だが、すぐ側に豊かで巨大な森と、周囲を広く見渡せる小高い丘が幾つかある、珍しい景観を持つ場所だが、その丘の上の一つから、何かの視線を強く感じた。
私は目を凝らし、遠くに見える丘の一つを見据えるが、視線の主のような者の姿は見つけられない。
私が見るのを諦め、再びヤギ子に目を落とすと、暫くして、バイクのエンジンの音が聞こえてきた。
その音は次第に遠くなり、やがて聞こえなくなった。
音が聞こえなくなり、私はいつの間にか止まっていたヤギ子を撫でる手を、再び動かし始める。
その時、懐の液晶タブから軽い音が鳴り、見ると、カルネが作業が終わった旨を伝えてきた。派手なスタンプと共に。
どこで買ってるんだか。
私は弟子に挨拶して、ヤギ子を最後に一撫でし、牧場を後にする。
陽は完全に沈みかかっている。
冷え始めた空気の温度を感じながら、私は一つ息を吐いた。
ーーーー
ガレージに戻ると、カルネが私の腕を左手にぶら下げ、右手にカップを持ち、ニカッと朗らかに笑んできた。
私も微笑で返し、カルネから腕を受け取ると、壁に掛かっているもう一つのパイプ椅子を開き、座った。
カルネは無言でカップを傾け、何かを飲んでいる。
コーヒーのいい匂いがする。
私は左腕を肩に嵌め込みながら、聞く。
「追いコーヒー?」
「何で二杯目だって分かるの?」
彼女が驚いた瞳でこちらを見つめるので、何気なく言ってやった。
「一杯目にしては帰ってくるのに時間あったから、多分二杯目をやってる頃だろうなと思ってたから。……まだ、余ってる?」
カルネはいやらしげに微笑むと、横に首を振って言う。「もうない」
「ああ、そう。残念だなあ」
「お茶ならあるよ」
「いらない。トイレ行きたくなるし、痛いなあ……」
「神経繋ぐの、どんな感じ? 私、どこも悪くないから、分かんないんだよね、感覚」
私は繋がった義手の左腕をぐるぐると回しながら、答える。動作は全く問題ないようだ。流石はカルネの腕だと、私は胸の内で思った。
「神経繋ぐのは、あれだよ……歯を抜いたりする時みたいな感じの痛さだよ……良いもんじゃない」
カルネがカップを持ちながら、嫌そうな顔をする。
「おお怖」
「今日は泊まっていくよ」
私は暗くなっているガレージの外を見、コートを羽織りながら、言う。
彼女が嬉しそうな声で笑って、言った。
「ああ、その方が良いな。あ、朝、出かける前に、機体の点検もやっとくから、さ。それから出発したら良いよ」
意外に感じ、私は聞いた。「良いの? そんな事してもらって」
「ボロそうだったし。あんた、最後の点検、いつよ。三ヶ月ぐらいしてないんじゃないの?」
……五ヶ月は点検をしていなかった。これは良くない兆候だと、薄々私も感じていた。
彼女の好意に感謝すると共に、その見返りに内心びくつきながら、彼女に甘えることにした。
「じゃあ、頼むよ。コーヒー、もうない?」
彼女は朗らかに笑って言った。
「来月かな、来るとしたら」
カルネが話しているのは、キャラバンの事だった。数ヶ月に一度、この場所にも来るらしかった。
時々、旅の途中で出会う商隊から携帯食料やら水やらを買い込むことが私にもあった為、全く馴染みがないわけではないのだが、私はやはり、ここの食糧事情にも、経済事情にも詳しくはないのだなと、再認識させられる。
何故旧時代の車がここにあるのかも、私はカルネに問いただそうとは思わなかった。
ロボットや、人間達がまだ多く暮らす国であれば、当然まだ車は需要がある。だがそれは、最早当然、旧時代の型ではなくなっているのが殆どだった。旧時代の車はオイルで走るが、結局電気に変換不可能なため、キュロスのエネルギーを使える現在の型が主流だ。
私のバイクも、キュロスのエネルギーで走っている。最早旧時代のエネルギーはどこでも使う事は不可能だ。
なのに、何故かカルネはこの旧時代の車を、どうやら修理している最中のようだ……。
私は問わなかったし、カルネも自分から話し出すような気配も見せなかった為、私はそのまま、雑談話に花を咲かせた。
夜が訪れ、微かに笑い声が響く音が大きくなった気がした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる