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人間牧場
□
しおりを挟むシンクに落ちる水滴の音が、台所から聞こえてきた。
私はカップを持ち上げたまま、努めて淡々と言った。まるで自分に言い聞かせるみたいに。
「まず初めに言っておくが、それは出来ない。理由を説明すると、それは不可能な事だからだ」
私はそう言いながら、カップを雑にあおる。苦味が一気に押し寄せ、コクを飲み込む間に、再び顔を落とした。
前を見ると、ニッカが沈痛な面持ちで私の足元辺りを見つめている。まだ殆ど減っていないコーヒーが入ったカップを、大事そうに握りしめながら。
「……どうしても、ですか」
私はカップをテーブルに置きながら、言う。
「うん。こういうことは今までにも何度かあったし、その度に同じ事を言うんだけれど……。私個人にしたって、別に自由の身というわけではないんだよ」
私は一瞬でサラの顔、酋長の顔、ザックの顔、農場、地下の暗い通路、ニッカ、そういった様々ある実在の風景を思い描く。
私は息を吐いて言う。
「……私は、レジスタンスという、反機械組織に所属している。未だに何世紀も前の戦争の衝撃と恨みを連綿と後世に伝え続けてきた連中が作り上げた組織だ。
私はそこで拾われた。というよりも、預けられた、かな。まあどちらにしても、私にしたって彼等の組織に所属している訳で、決して自由の身ではあり得ない。やりたい仕事をしているように見えるし、自由にも見えるかもしれないけど、私は必ず、あの場所に戻らなくちゃならないんだ……。
私もちょっと聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」
私が目を上げて言うと、ニッカは暗い表情をしていたが、笑顔で答えた。
「どうぞ」
私は言う。
「あなた、ニッカさん、ここでの仕事が楽しいんじゃないの? さっき搾乳場を見せてくれた時も、あんなに楽しそうに、嬉しそうに話をしてたじゃない。ここでの仕事について……。
あれは嘘だったの?」
彼女は再び、少し俯きがちになり、カップの縁を指で撫でた。それを何回か繰り返してから、ハッと息を吸う気配が聞こえ、それから、言った。
「……それは、嘘じゃないんです。私が、私達が育てた仔たちが作ったお乳が、大きな都市で一番の賞を取った時だって、凄く嬉しかったし、今だって、お乳の味や仕事を褒められたら、とても嬉しい……。商人の方達が、時々そう言ってくれるんですよ。出荷をお願いしている業者さんも。
私の所のお乳はとても美味しくて、質が良くて、高値で良く売れるって。
そんな時は本当に嬉しいし、私は私で、この仕事に自分なりの誇りみたいなのは感じてます。
でも……」
私は何も言わず、聞いている。
彼女は続ける。
「でも、ここは私の居場所じゃないんです。イヴちゃんも……。ここにいたもう一人、いなくなったって言いましたよね? 彼女は脱出に成功したんです。機械たちに迎合しないで生きられるように、自分の力で外の世界に飛び出していったんです。それは凄い事でした……私が気づいた時には、大騒ぎになっていて。数多くの仔たちが怒ったアラキさんや機械たちの犠牲になって、なぶられて、それで……」
私はポットに手を伸ばし、「お代わり、貰ってもいい?」と聞く。彼女は控えめな笑顔で、どうぞ、と言った。
私はポットのコーヒーを注ぎながら、言う。
「……ここの仕事には誇りを持っている。楽しさも嬉しさもある。だけど、自由になりたい。そう言う事だね?」
そう言うと、ニッカは俯いて、聞こえないくらいの声で、「はい」と言った。
私は暫くの間黙っていたが、カップにコーヒーを注ぎ終わると、その漆黒の液体を見ながら、言った。
「私の友達にさ」
「はい?」
彼女が驚いたように顔を上げたので、私は微笑んで言った。
「そんな反応しないでくれよ。私だって若い女だし、こんな仕事してたら友達の一人ぐらい、いるさ。そうだろう?」
私が戯けた笑みでそう言うと、ニッカは小声でええ、まあ、と呟き、再び俯き加減になる。
彼女の頭の小さな旋毛を見ながら、私は続ける。コーヒーは少しだけ冷たくなっている。
「私の友達がさ、昔、組織の空気が嫌だって、その場所を飛び出したの。何日も帰ってこなくて、探しに行こうとする人と、放っておく人に別れたの。私は探しに行こうと決めた方で。
でも、私の部屋に帰って、明日捜索隊と出かけるって段になった時に、私のベッドから紙が落ちてきてね」
彼女が顔を上げた。
「そこには彼女の拙い字で、『私、これからは師匠の所で生きていくことにするから、皆にもそう言っといて』って。そいつの師匠って、凄腕の修理屋でさ、機械を主に修理してるの。時々、ロボットとも取引したりもしてたらしい」
「ロボットの為に、ですか……?」
私は頷いて言う。
「そう。まあ、師匠の受け売りなのかもしれないけどさ、そいつ、こないだロボットの親子みたいな奴に修理を頼まれてさ。直したんだ、弟子たちは皆怖がって出てこなかったらしいんだけど、彼女だけは一途に、真摯に直してあげたんだって」
私はそう言いながら、彼女の快活な笑顔を思い起こす。
義手とバイクの点検をしてもらってから、もう一月になろうとしている。
移動にかかる時間が長いとはいえ、時間がとても短く儚いものに感じられた。
私は顔を上げて言った。
「あいつは、さ。一応は自由になれている気がするんだよ。この不条理な世界で。まあ自分のやりたい事をやってる訳だし、誰に強制されている訳でもない、自分の意思で親元から出ていって、別の頼れる存在を見つけた。その人に訓練を付けてもらって、独り立ちした。
口にすると素敵な話かもしれないけど、でも、私は思うんだ。あいつも気づいてるんじゃないかって」
「気づいてるって、何をですか……?」
私はコーヒーを一口啜り、それから言う。
「人はどこまで行っても、自分のルーツから逃れることは出来ないと言うこと」
「……」
それは自分に対して言っているかのようで、コーヒーが白紙に染み渡っていくように、己の心の内側、そのさらに奥にある部分を揺るがせ、染み渡らせ、そして、熱い感情を起こさせるような、そんな気配がした。
私はその気配を振り払うかのように、手をふりふりとばたつかせて、言った。
「まあ、あれだよ。あいつのいる仕事場兼、家もさ。本当はそんなに組織の本部から離れてはいないのさ。無意識かな。もっと遠くに、離れた場所でやっていくことも出来るだろうに、未だにそうしていない。
あいつは、組織とも取引をすることがあるから、それで仕方なくだ、とか言うこともあるんだけど、わかるんだよね。長いこと一緒にいると、嘘をついてるって事が」
それは自分も同じだ。誰に教わってバイクの運転や、銃の扱い方、運び屋としてのノウハウを身に付けたと思っているのだ。
私は長いため息をついて、それから、伺うように彼女の瞳を見る。その琥珀のような黄色がかった瞳は、私の顔を驚いたような顔とともに、離さないかのようにしっかりと捉えていた。
私はそこで一息つくようにして、カップを再びテーブルの上に乗せ、頭の後ろで手を組んだ。義手がカチリ、と小さな軋む音を立てた。
彼女はその音に気づかなかったようで、私がその姿勢になっても、まだ視線を冷めたカップの底に落としている。
私はそっと言った。
「あなたのルーツを教えてよ。私はそう言う話を聞くのが、好きなんだ。……駄目かな?」
私がそう言うと、ニッカは俯いた顔を上げて、色素の薄い表情を無理に笑顔にさせて、言った。私がそうさせているのは、明らかだった。
だが、そうしなければいけないような気がしたのだった。その時は。
彼女はまだ一口も飲んでいないであろうコーヒーを淹れたカップを、テーブルの私のカップの隣に置くと、それから、スッと背筋を起こして、初めて会った先程のような光る瞳で、自信の満ちた表情を浮かべて、答えた。
「分かりました。後悔なさらないでくださいね」
私は、心の中で独言る。
後悔なら、歳に似合わないぐらい、繰り返してきた。それはきっと、これからも続くのだろう、と。
彼女は背筋を伸ばしたまま、淡々と話し始めた。
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