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酸性雨の街
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しおりを挟む管理人の男は、申し訳なさそうな表情を浮かべて、頭を掻きながら穴から出てきた。
雨ガッパから垂れた滴が部屋の中に落ち、ジュッと音を立て、湯気を上げる。
男は私の方をチラリと見て、それから溜めを作り、言った。
「ああ、……さっきは悪かったな、姉ちゃん……自分の事を抑えられなかった。感情的だった。すまねえ」
私は破顔して答えた。
「気にしなさんな。今そうやって思えるなら、別にとやかく問い詰めたりしないよ。それで、要件は何?」
男は私の言葉に顔を上げ、苦笑しながらも表情を明るくさせ、言った。
「……ああ、さっきエル坊に聞いた話なんだが、あんた、運び屋なんだって? ヴェロニカって言えば、結構有名な運び屋だが……あんたがそうなのか?」
得心がいき、私は心の中で頷いた。私が誰かを知って態度を改めたということか。
「そうだけど。それが、何か関係あるの?」
張り詰めた態度を変えずに私は言う。
男は私の方を見て、何か紙のような物を取り出し、見せてきた。
「あんな事をしちまった後に都合の良い話なんだが、一つ仕事を頼まれちゃくれないかと思ってな……。あんたなら、確実に届けられるだろうし……。
駄目か?」
私は男が差し出してきた紙を受け取る。それは古典的な形の封筒で、きつい糊で封がしてあった。
私はその封筒を顔の横で振りながら、聞く。
「それで、報酬は? 前払いってことになるけど」
パッと顔を輝かせた男が、明らかにホッとした様子で、慌てたように言う。
「ああ、そうか。引き受けてくれるのか。良かったあ。俺あ実は、それを無事に届けられる自信がなかったんだ。あんたが引き受けてくれると、本当に助かる。
報酬は……、そうだな。今手元には金がねえから……。
あいつらの中の一匹なら、どうだ?」
一匹、と聞いて、私は表情を固くした。
男はなんでもなさそうな風に話を続ける。
「ああ、あいつらはな、これから精肉場に連れていって、肉になる手筈なんだ。分かるだろう、こっちだって好きでやってるわけじゃないんだ。でもな、仕方がないんだよ。機械連中の機嫌を取りながら、こっちも商売上差し出せるものがなけりゃ、奪われちまう。利用価値って奴だ。俺達も生きるのに必死なんだよ……」
「彼等は全員、屠殺場に行くことになるのか」
男が目を丸くするので、私は舌打ちをした。
「ああ、そうだ。一人残らずだ。その為に街を回ってる。大した金にもなりゃしねえが、やらなきゃ殺されるだけだからな。やるしかねえんだよ」
私は男から目を外し、言う。
「それで、いずれ殺されるあの子達から一人選んで、それを報酬代わりにする、と? 馬鹿馬鹿しい。金がなけりゃ意味がないんだよ……。金を寄越せよ、金を。それ以外は、駄目だ」
カイの快活な笑顔を思い出し、私は首を振る。
男は苦しそうな表情に逆戻りし、それから手持ち無沙汰に辺りを見回す。その度に、テントで見たポケットの辺りにぶら下がっている銀色の鍵のようなものがチャラチャラと音を立てる。
私はそれを見咎め、言う。
「それ、何なんだ」
男はああ、と呟き、ポケットのそれを持ち上げる。それは良く見ると、幾つもある銀色の板を金属製の紐で束めたものに見える。
男が当然の事のように言う。
「これは、あいつらの管理番号と回収日とかを書いたタグだ。出荷する時に間違わねえように、俺が管理してるんだよ。まあ、出荷されちまえば用無しだけどな」
「あの子達は、全員殺されるのか」
男は薄く微笑って言う。
「当たり前だろ。運び屋なら、これぐらいの事、見慣れてると思ってたが。そうでもないのか?」
「いや、……私がおかしいだけだよ。多分」
カイ。カイ・シマン。余計な関わり合いをするから、こういうことになるんだ。そう、私は自分で自分を責めた。助けられないと分かっているのに、余計な深入りをするから。
私はどうしたい? どうするのが正解だ?
これまではどうしてきた? どうやって乗り越えてきた?
唐突に聴き慣れた低い声が、頭の中で響き始める。
お前は自分の為にしか行動できない。
ヴェロニカ、お前は偽善者だよ。
誰の何の役にも立てない。偽善を貪って生き永らえている、哀れな小娘。
違う。
大きく息を吸う。吐く。それを男に見られながらも、繰り返す。
……私は、偽善者なんかじゃ、ない。
でも、偽善者じゃないなら……どうすれば良い?
私は、どうすれば良い? どうすれば?
男は私が深呼吸する様子を黙って見つめていたが、遠くで大きな音がして、身を震わせた。
「……何だ?」
私は顔を上げた。
「……ここはこんな雨が降る街なんだろう? 何でこんな所で子供達を管理してるんだ? もっと良い場所がありそうなもんだが」
男は躊躇いなく、淡々と言う。
「それは、ここがその雨で守られてるからさ。俺らは慣れてるし、生活拠点も既に作ってあるから問題はないが、機械も人間も、この雨にわざわざ打たれようとは思わない……、ところでどうなんだ? 引き受けてくれるのか? 引き受けてくれるのなら、さっきも言ったように、あいつらの内の一匹を連れていって貰っていい。好きにしてくれていいんだぜ。なあ、頼むよ。後生だから……」
あの子達を連れて行くことは不可能に近い。少なくとも、私一人の力では。
救える命がすぐ目の前にあるのに。私は何もしない。何もできない。
それで私はいいのか?
私は男の頼みを無視し、質問する。
「……それで、この手紙はどこの誰に届ければいいんだ?」
私の質問に、男は淀みなく答えた。
「ダストシティだ。機械と人間が交易してる都市があんだろ? そこの情報屋のラーフって奴に渡してくれればいいんだ。言っておくが、結構危険な橋だぜ? 俺が嫌がってるのはそのせいだ。やばいんだ、結構」
「そうか……」
私はそう言って、硬い床に腰を下ろした。
キュロス・エネルギーの白い照明が眩しく、私は目を閉じる。
答えが出ない。
違う。
答えを出せないのだ。
……どちらにしろ、全ての子供達を救うことは出来ない。
ふー、と、長い息を吐いて、私は顔を上げ、男の方を見た。
私は言った。
その時、私の胸は確実に痛み、痛みを伴った不快な高鳴りを感じた。
「引き受けるよ、その仕事。どうせ、元からダストシティには寄るつもりだったからな……。報酬は、いい」
「いい?」
男が驚いて目を丸くするので、続けて私は言う。
「良いんだ。子供達も、要らない。その代わり、地下通路を開いてくれ。私はどうやらそこから来たらしいんだ。通路さえ開いてくれれば、私は何も言わずに出ていくよ。……それで文句はない筈だ」
男は明らかに戸惑いを表情に浮かべ、視線を泳がせていたが、やがて気を取り直したように、言った。
「そりゃあ、あんたがそれで良いのなら、俺の方は万々歳なんだが……。このヤマは、大分やばいヤマだぜ。
……報酬もなしで、本当に良いのか?」
私は叫ぶように言った。
「しつこいぞ。条件は飲んでやったんだ。さっさと通路の鍵を開けてくれ。そのかわり、ついでにこいつを届けてやる。それで全部チャラだ。
……報酬は、届け先からでもふんだくってやるさ。あんたの分もな」
男が苦笑して、言った。
「分からねえヒトだな、あんた」
私は何も言わず、まだ鋭い痛みが残る足腰を持ち上げ、コートについた砂を払った。
「じゃあ、そういうことで」
男との話し合いは、そこで終わった。
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