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忙しい中での来訪者
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一週間が経ち、体調は万全と思えるまで元通りになった。
俺の発情期は毎回それほど重くなく、五日目ほどで終わる。ただ体調がよくなっても微妙にフェロモンが漏れていることがあるらしく、念のため、あと二日ほど外出を控えて部屋で待機する。その頃に一度加賀に連絡を入れるようにしていた。よかった、という安堵の言葉と共に、さっそくだけど、とこれからのスケジュールを口頭で告げられる。休む暇のない内容に、頭には入りきれなかったが、口を挟むことなくただ「わかりました」と承諾した。一週間休んでいた分のしわ寄せがくるのは仕方がない。その上ツアーに向けてのダンスレッスンもある。
加賀との会話が終わるとメンバーにも連絡を入れる。藍にも感謝の言葉を述べて、発情期が終わったことを伝えた。為純にはどうするか一瞬考えたが、忙しさが続くので連絡は控えた。
一週間を終えた次の日、迎えに来た加賀の運転する車で一旦事務所に向かった。
俺が着くと、メンバーがすでに揃っていて「体調大丈夫か?」と訊かれたので、笑顔で「よくなった」と答える。みんな揃ってこれからの仕事のことを話し合った。
なんでもウェブCMの依頼も来ているらしく、デビュー時にチョコレートのCMに出た以来なので「やった!」と大いに盛り上がった。
その後は、俺だけ動画を撮ったりして、午後から四人揃って雑誌の取材を受けた。夕方からラジオ出演の収録を行う。
そうした一日を終えて、次の日、昼からテレビの生放送の出演のため、テレビ局に出向いていた。楽屋に入り、ヘアメイクも終えて、衣装に着替え、メンバーと話をしながら出番までの時間を待つ。今日は曲も歌うことになっているので気合が入っている。
そんな中、楽屋にノックの音が響いた。てっきりスタッフか加賀かと思っていれば「失礼します」と言って現れたのは為純だった。
「柏原……さん?」
勇吾は驚いたように動きを止めた。他のメンバーの視線が一斉に俺に向く。
「こんにちは」
為純はよそ行きの顔でにっこりと愛想よく笑い、俺を見つけると「久しぶりだな」と気さくに声をかけた。
慌てて立ち上がり駆け寄る。
「どうしてここに?」
「ドラマの撮影だ。同じ建物内にいるって聞いて来てみた」
後ろから矢田も現れたので、慌てて「ご無沙汰しています」と頭を下げる。矢田も「お久しぶりです」とにこやかに笑顔で返した。
そのうちに加賀が戻ってきて、矢田と為純の姿を見た瞬間、あからさまに嫌そうな顔をする。でもそれはすぐにかき消え、いつものように落ち着き払った様子で「お世話になっております」と挨拶をした。
「忙しいって言ってたから、顔だけでも見ようと思ってきた」
為純がそう言って微笑むと、他のメンバーから「ラブラブ」と冷やかすような声がかかる。
なんというか気まずい。めちゃくちゃ居心地が悪い。
為純の腕を引いて部屋の外に出る。
「そっちだって忙しいんだろ」
楽屋から出たら出たで、忙しなく動いているスタッフが通りすがりに興味津々な様子でこちらを見ていく。廊下だから仕方がないが、通り過ぎてもずっと振り向いて見ている人もいて、居たたまれない。
「来たかったんだ」
俺にまで作った顔をして甘い言葉を囁くので「そういうのは……」と文句を言おうとして、ぐっと口を噤む。人前で言い争っている姿を見られたくない。
「元気そうでよかったよ」
それをいいことに、為純は俺の顔を「睫毛がついてる」と優しく拭った。言い返したい気持ちをこらえて、引き攣った笑顔で「ありがとう」と答える。
すると為純の顔が今にも吹き出しそうになった。絶対にわかっててやってる。
「まだ忙しそうだな」
「おかげさまで、毎日が忙し……」
「後ろ、ぶつかる」
為純に言われ、不意に肩を抱き寄せられた。
ぶつかりそうになったスタッフは「すんません」と言って急いで去って行ったが、こんな所で長話も迷惑な話だ。
離れようとすると、何か気になったのか為純がいきなり顔を近づけてきた。くんくんと俺の顎の辺りから首元の匂いを嗅いでいる。驚いて思わず後ずさりする。
「悪い。なんか匂いが……」
ぎくりと体を強張らせたが、素知らぬ振りで「化粧か、ヘアワックスかも」と自分の体を嗅いでみる。もう発情期は終わっているので、フェロモンは漏れていないはずだ。
俺の後ろから盛大な咳払いが聞こえた。
加賀が「これから本番ですので……」と遠回りに追い払おうとしている。ナイスフォローだ。
「ああ、悪かったな」
為純は気を悪くしたふうはなく俺から離れる。
そこにスタッフが俺たちを呼びに来た。振り向くとドアの隙間から三つの顔が覗いている。みな好奇心に満ちた顔でじっとこちらを見ていたので、勢いよくドアを開ける。
「うわっ」
雪崩のように、三人が床に崩れ落ちる。
「ほら、行きますよ」
加賀の声に、三人は「ははは」と乾いた笑い声で軽く埃を払って立ち上がる。
俺が苦手とする生放送であったが、比較的穏やかに進んだのは、新曲やダンスの話に終始していたからだ。
最後の新曲の披露も滞りなく終え、ふと加賀を見ると、その背後にうっすらと為純の姿が見えた。驚いたが、声にも顔にも出さなかった俺を褒めてほしい。
司会者も気がついたようで、「素敵なかたも応援してくださいましたね」と喜びを露にしている。ここは関係者以外立ち入り禁止だし、矢田も隣でにこにこしていないで止めてほしい。
慌てて、ありがとうございました、と四人揃って頭を下げてカメラの前から消える。正味十五分程度の出演ではあったが、最後の最後で冷や汗をかいた。
加賀が寄って来て「お疲れ」と労う。背後を見てもそこにはもう為純の姿はなかった。
その後、ネットではムンシュガの生放送中に柏原為純が見学にきていたと話題になった。為純の姿が一瞬カメラに抜かれていたらしい。柏原為純と冬木行理は相手の仕事現場にも姿を見せる本当に仲のいいカップル、とまで書かれている。
一緒に食事をしたことを何度か記事にされて、熱々だのラブラブだの書かれてきたので、今更何を言われようと気にしてないが、本当に予告のないことだけはやめてほしい。
ただでさえ取り繕うのが苦手なのに、よく顔に出なかった。
恋人のふりなのに、自分の仕事の合間に見に来るまめさに驚きを禁じ得ない。いや……面倒くさがらずに、定期的に一緒に食事にも行っているし、連絡もしていることから、見た目以上に誠実なのだと思う。俺に対してからかっている部分もあるだろうが、それ以上に大切にされている、とも感じるときもあった。浮名を流す気配もない。
もし俺だったら、一緒の建物内にいる為純の仕事場に行くだろうか? と考え、為純だからできたことかもしれないが、そうでなくても行かないと思う。気恥ずかしいし、そこまで関心を持てない。
「行理、聞いてる?」
「あ、うん、聞いてる」
慌てて返事をしたが、上の空だったのは加賀にはお見通しだっただろう。これからのスケジュールをもう一度繰り返して言う加賀に、今度はちゃんと耳を傾けて話を聞く。
為純に煩わされる暇などないのだ。
俺の発情期は毎回それほど重くなく、五日目ほどで終わる。ただ体調がよくなっても微妙にフェロモンが漏れていることがあるらしく、念のため、あと二日ほど外出を控えて部屋で待機する。その頃に一度加賀に連絡を入れるようにしていた。よかった、という安堵の言葉と共に、さっそくだけど、とこれからのスケジュールを口頭で告げられる。休む暇のない内容に、頭には入りきれなかったが、口を挟むことなくただ「わかりました」と承諾した。一週間休んでいた分のしわ寄せがくるのは仕方がない。その上ツアーに向けてのダンスレッスンもある。
加賀との会話が終わるとメンバーにも連絡を入れる。藍にも感謝の言葉を述べて、発情期が終わったことを伝えた。為純にはどうするか一瞬考えたが、忙しさが続くので連絡は控えた。
一週間を終えた次の日、迎えに来た加賀の運転する車で一旦事務所に向かった。
俺が着くと、メンバーがすでに揃っていて「体調大丈夫か?」と訊かれたので、笑顔で「よくなった」と答える。みんな揃ってこれからの仕事のことを話し合った。
なんでもウェブCMの依頼も来ているらしく、デビュー時にチョコレートのCMに出た以来なので「やった!」と大いに盛り上がった。
その後は、俺だけ動画を撮ったりして、午後から四人揃って雑誌の取材を受けた。夕方からラジオ出演の収録を行う。
そうした一日を終えて、次の日、昼からテレビの生放送の出演のため、テレビ局に出向いていた。楽屋に入り、ヘアメイクも終えて、衣装に着替え、メンバーと話をしながら出番までの時間を待つ。今日は曲も歌うことになっているので気合が入っている。
そんな中、楽屋にノックの音が響いた。てっきりスタッフか加賀かと思っていれば「失礼します」と言って現れたのは為純だった。
「柏原……さん?」
勇吾は驚いたように動きを止めた。他のメンバーの視線が一斉に俺に向く。
「こんにちは」
為純はよそ行きの顔でにっこりと愛想よく笑い、俺を見つけると「久しぶりだな」と気さくに声をかけた。
慌てて立ち上がり駆け寄る。
「どうしてここに?」
「ドラマの撮影だ。同じ建物内にいるって聞いて来てみた」
後ろから矢田も現れたので、慌てて「ご無沙汰しています」と頭を下げる。矢田も「お久しぶりです」とにこやかに笑顔で返した。
そのうちに加賀が戻ってきて、矢田と為純の姿を見た瞬間、あからさまに嫌そうな顔をする。でもそれはすぐにかき消え、いつものように落ち着き払った様子で「お世話になっております」と挨拶をした。
「忙しいって言ってたから、顔だけでも見ようと思ってきた」
為純がそう言って微笑むと、他のメンバーから「ラブラブ」と冷やかすような声がかかる。
なんというか気まずい。めちゃくちゃ居心地が悪い。
為純の腕を引いて部屋の外に出る。
「そっちだって忙しいんだろ」
楽屋から出たら出たで、忙しなく動いているスタッフが通りすがりに興味津々な様子でこちらを見ていく。廊下だから仕方がないが、通り過ぎてもずっと振り向いて見ている人もいて、居たたまれない。
「来たかったんだ」
俺にまで作った顔をして甘い言葉を囁くので「そういうのは……」と文句を言おうとして、ぐっと口を噤む。人前で言い争っている姿を見られたくない。
「元気そうでよかったよ」
それをいいことに、為純は俺の顔を「睫毛がついてる」と優しく拭った。言い返したい気持ちをこらえて、引き攣った笑顔で「ありがとう」と答える。
すると為純の顔が今にも吹き出しそうになった。絶対にわかっててやってる。
「まだ忙しそうだな」
「おかげさまで、毎日が忙し……」
「後ろ、ぶつかる」
為純に言われ、不意に肩を抱き寄せられた。
ぶつかりそうになったスタッフは「すんません」と言って急いで去って行ったが、こんな所で長話も迷惑な話だ。
離れようとすると、何か気になったのか為純がいきなり顔を近づけてきた。くんくんと俺の顎の辺りから首元の匂いを嗅いでいる。驚いて思わず後ずさりする。
「悪い。なんか匂いが……」
ぎくりと体を強張らせたが、素知らぬ振りで「化粧か、ヘアワックスかも」と自分の体を嗅いでみる。もう発情期は終わっているので、フェロモンは漏れていないはずだ。
俺の後ろから盛大な咳払いが聞こえた。
加賀が「これから本番ですので……」と遠回りに追い払おうとしている。ナイスフォローだ。
「ああ、悪かったな」
為純は気を悪くしたふうはなく俺から離れる。
そこにスタッフが俺たちを呼びに来た。振り向くとドアの隙間から三つの顔が覗いている。みな好奇心に満ちた顔でじっとこちらを見ていたので、勢いよくドアを開ける。
「うわっ」
雪崩のように、三人が床に崩れ落ちる。
「ほら、行きますよ」
加賀の声に、三人は「ははは」と乾いた笑い声で軽く埃を払って立ち上がる。
俺が苦手とする生放送であったが、比較的穏やかに進んだのは、新曲やダンスの話に終始していたからだ。
最後の新曲の披露も滞りなく終え、ふと加賀を見ると、その背後にうっすらと為純の姿が見えた。驚いたが、声にも顔にも出さなかった俺を褒めてほしい。
司会者も気がついたようで、「素敵なかたも応援してくださいましたね」と喜びを露にしている。ここは関係者以外立ち入り禁止だし、矢田も隣でにこにこしていないで止めてほしい。
慌てて、ありがとうございました、と四人揃って頭を下げてカメラの前から消える。正味十五分程度の出演ではあったが、最後の最後で冷や汗をかいた。
加賀が寄って来て「お疲れ」と労う。背後を見てもそこにはもう為純の姿はなかった。
その後、ネットではムンシュガの生放送中に柏原為純が見学にきていたと話題になった。為純の姿が一瞬カメラに抜かれていたらしい。柏原為純と冬木行理は相手の仕事現場にも姿を見せる本当に仲のいいカップル、とまで書かれている。
一緒に食事をしたことを何度か記事にされて、熱々だのラブラブだの書かれてきたので、今更何を言われようと気にしてないが、本当に予告のないことだけはやめてほしい。
ただでさえ取り繕うのが苦手なのに、よく顔に出なかった。
恋人のふりなのに、自分の仕事の合間に見に来るまめさに驚きを禁じ得ない。いや……面倒くさがらずに、定期的に一緒に食事にも行っているし、連絡もしていることから、見た目以上に誠実なのだと思う。俺に対してからかっている部分もあるだろうが、それ以上に大切にされている、とも感じるときもあった。浮名を流す気配もない。
もし俺だったら、一緒の建物内にいる為純の仕事場に行くだろうか? と考え、為純だからできたことかもしれないが、そうでなくても行かないと思う。気恥ずかしいし、そこまで関心を持てない。
「行理、聞いてる?」
「あ、うん、聞いてる」
慌てて返事をしたが、上の空だったのは加賀にはお見通しだっただろう。これからのスケジュールをもう一度繰り返して言う加賀に、今度はちゃんと耳を傾けて話を聞く。
為純に煩わされる暇などないのだ。
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